永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(554)

2009年11月08日 | Weblog
09.11/8   554回

三十七帖【横笛(よこぶえ)の巻】 その(2)

 夕霧も種々のお布施を差し上げ、ご法事のお世話もねんごろに心を込めてなさるのでした。またあの一条にお住まいの女二宮(落葉宮)の御許にも、この一周忌の頃には殊に度々お見舞いに伺うのでした。

 山の帝(朱雀院)は、

「二宮もかく人わらはれなるやうにて、ながめ給ふなり、入道の宮も、この世の人めかしきかたは、かけ離れ給ふぬれば、さまざまに飽かず思さるれど、すべてこの世を思し悩まじと忍び給ふ」
――二宮(落葉宮)もこのような見っともないような境遇でわびしく暮らしておいでらしいし、入道の宮(女三宮)も、出家されたゆえ世間的な点では縁遠い暮らしでいらっしゃるので、あれこれとご不満もおありのようですが、何事もこの世のことは苦にすまいと我慢していらっしゃる――

 朱雀院は勤行なさる際も、女三宮も同じく仏を念じておられるはずとお思いになって、
度々お便りを差し上げなさいます。ちょうど御寺の近くで取れました筍や山芋などと一緒に、お手紙を細やかに優しくお書きになった最後に、

「春の野山、霞もたどたどしけれど、志深く掘り出でさせて侍る、しるしばかりになむ。『世をわかれ入りなむ道はおくるともおなじところを君もたづねよ』いと難きわざになむある」
――春の野山は霞ではっきりしませんが、あなたのためにと思って、心を込めて掘らせました。ほんのお印だけですが。(歌)「この世を捨てて仏の道に入るのが遅れても、私と同じ極楽をあなたも求めなさい」(ところ=山芋に極楽の場所を響かす)解脱はとても困難なことですが――

 女三宮が父朱雀院からのお手紙に涙ぐんでいらっしゃるところに、源氏がお渡りになってこられました。

◆この世の人めかしきかた=世俗的なこと
◆ところ=野老=山芋。

ではまた。



源氏物語を読んできて(553)

2009年11月07日 | Weblog
09.11/7   553回

三十七帖【横笛(よこぶえ)の巻】 その(1)

源氏(六条院、院、大臣) 49歳2月~秋まで
紫の上          41歳
女三宮(入道宮、宮、母宮)22~23歳
薫(若宮、宮の若宮)    2歳
柏木(故権大納言、故君、衛門の督)昨年33歳で逝去
明石の女御(女御)    21歳
匂宮(明石女御と今上帝の三宮)3歳
夕霧           28歳
雲井の雁(夕霧の正妻)  30歳
落葉宮(一条の宮、二宮)朱雀院と一条御息所の姫宮で、女三宮の異母姉
一条御息所(落葉宮の母宮)
秋好中宮(故六条御息所の姫宮で、冷泉院の中宮。御子はいない)


「故権大納言のはかなく亡せ給ひにし悲しさを、飽かず口惜しきものに、恋ひ忍び給ふ人多かり」
――故権大納言(柏木)が、はかなく亡くなられた悲しみを、絶えず残念なこととしきりに恋い忍んでいる人が多かった――

「六条の院にも、(……)ましてこれは、朝夕親しく参り馴れつつ、人よりも御心とどめ思したりしかば、いかにぞや思し出づる事はありながら、あはれは多く、折々につけて忍び給ふ」
――源氏は、(誰の死をも惜しまれる性質ですのに)ましてこの柏木は、源氏の邸に朝夕親しく出入りしては、源氏も他の人より目をかけておられましたので、あの不愉快な出来事があったものの、ひとしおあわれも深く、何かにつけて思い出しておられます――

 柏木の一周忌にも、源氏は誦経など特別におさせになりました。

「よろづも知らず顔に、いはけなき御有様を見給ふにも、さすがにいみじくあはれなれば、御心の中に、また心ざし給ひて、黄金百両をなむ別にせさせ給ひける」
――何も知らずに無邪気でいらっしゃる幼い薫の様子をご覧になるにつけ、源氏はやはりひどくいじらしく思われて、人知れず発心され、黄金百両の御布施を別に供養のために寄進なさったのでした。――

「大臣は心も知らでぞ、かしこまりよろこび聞こえさせ給ふ」
――(柏木の父の)致仕大臣は、源氏の思いや事情を全くご存知ありませんので、ただただ恐縮して御礼を申し上げるのでした――

ではまた。


源氏物語を読んできて(552)

2009年11月06日 | Weblog
 09.11/6   552回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(35)

 奥から御息所が少しいざり寄って来られて、夕霧に、けだるそうなご様子でお見舞いのお礼をおっしゃいます。夕霧が御息所に「お嘆きはごもっともですが、万事は前世のお約束と見えます。限度のある人生ですから」とお慰めになります。夕霧は、

「この宮こそ聞きしよりは、心の奥見え給へ、あはれ、げにいかに人わらはれなる事を、とり添へて思すらむ」
――御息所こそ噂以上に奥ゆかしい方でいらっしゃる。お気の毒に、落葉の宮が心に染まぬご縁組みをなさった上に、夫に死に別れ、世の噂になることをどんなにか思い悩んでいらっしゃることか――

 と思うにつけても、夕霧は一層落葉の宮のご様子が気にかかってお尋ねになるのでした。夕霧のお心の内では、

「容貌ぞいとまほにはえものし給ふまじけれど、いと見苦しうかたはらいたき程にだにあらずば、などて見る目により、人をも思ひ厭き、またさるまじきに心をも惑わすべきぞ、様あしや、ただ心ばせのみこそ、言ひもてゆかむには、やむごとなかるべけれ」
――落葉の宮のご器量はそうご立派でなくても、傍目におかしいほど見苦しくさえなければ、どうして自分は見目形で女を嫌ったり、大それた恋に迷ったりしよう、そんなことは恥ずかしいことだ。ただ気立てのよいことだけが、結局大切な筈なのに――

 と思っていらっしゃる。

「今はなほ昔に思ほしなずらへて、疎からずもてなさせ給へ」
――こうなれば、はやり私を亡き人に准じて親しくなさってください――

と、ことさら言い寄るようなさまではなく、優しく親切に思いを込めておっしゃる。
直衣姿がまことに凛凛しく、背恰好も堂々としてすらりとお見えになる。女房達は、「いっそのこと夕霧様がこういう風に、こちらにお出入りなさってくださったら」と囁き合っているのでした。
 柏木の死を惜しまぬ人はなく、帝までも管弦のお遊びなどの折毎に先ず柏木を思い出されてお忍びになります。まして他の人々も「ああ、柏木がおられたら」との口癖を、何かにつけて言わぬことがないのでした。

 まして源氏は、この若君を柏木の忘れ形見とみなしておられますが、他の人は知らぬことなので、甲斐のないこととあわれ深くお思いになっておいでになります。

「秋つ方になれば、この君這ひゐざりなど。」
――秋の頃になりますと、この君(薫)は、這ったり、いざったりなさるようになりました。――

◆三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 終わり。

ではまた。



源氏物語を読んできて(551)

2009年11月05日 | Weblog
 09.11/5   551回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(34)

一条の邸では、

「伊予簾かけわたして、鈍色の几帳の衣がへしたる透影、涼しげに見えて、よきわらはの、こまやかににばめる汗袗のつま、頭つきなどほの見えたる、をかしけれど、なほ目おどろかるる色なりかし」
――伊予簾を掛け渡し、鈍色の几帳の帷子(かたびら)も夏のものに衣替えしてありますので、内に透いて見える人影も涼しそうで、美しげな女童の濃い鈍色の汗袗の端や、髪型などがちらりと見えていますのも、風情がありますが、やはりいずれも喪の鈍色なので、心の滅入る痛々しさです――

 夕霧は、今日は簀子(すのこ)にお座りになっておられますので、お褥(しとね)を女房がお出しして、御息所のお出ましをお願いしますが、この頃お加減が悪く、奥で寄り伏していらっしゃる。女房が何かとお相手をしております間、夕霧はお庭の木立が若緑の枝を快げにそよそよと風に吹かれている気色をご覧になっているうちに、ご自分も、もののあわれにお心がそよぐのでした。

 柏の木と楓が他の木より目立って若々しく、枝を差し交わしているのをご覧になって、夕霧が「あの柏木と楓とはどうした因縁があるのでしょう。枝先がつながっていてたのもしい事ですね」と落葉の宮の許におっしゃるようにして、(歌)

「『ことならばならしの枝にならさなむ葉守の神のゆるしありきと』」御簾の外の隔てある程こそ、うらめしけれ」
――「同じく親しくするなら、もっと身近な連理の枝として、親しませていただきたい。(葉守の神のゆるし=落葉の宮を見守って欲しいという柏木の遺言)」御簾の外に隔てられている身が恨めしいことです――

 落葉宮は、少将という女房に返歌を言付けます。落葉の宮の(歌)

「『かしは木にはもりの神はまさずとも人ならすべき宿のこずゑか』うちつけなる御言の葉になむ、浅う思ひ給へなりぬる」
――「柏木には葉守の神が宿っていなくても人を近付ける梢ではありません。(私に夫がなくても、別の人を近付けようなどとは思いもよりません)無遠慮なお言葉をうかがって、あなたが浅はかな方だと思えてきました――
 このご返事に、夕霧は、それもそうだ、とお思いになって苦笑いなさる。

◆伊予簾(いよす)=伊予の国特産の細い篠で編んだ簾(すだれ)

ではまた。


源氏物語を読んできて(550)

2009年11月04日 | Weblog
 09.11/4   550回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(33)

 夕暮れの雲の色が鈍色に霞み、桜が散った木々にやっと今日気がつかれ、目をとめられて、大臣は懐から畳紙を取り出して歌を詠まれます。(歌)

「木の下の雫にぬれてさかさまにかすみの衣きたるはるかな」
――逆さまに親が子の為の喪服を着て、今年の春は涙にぬれて過ごすことだ――
(木に子を響かせ、かすみに墨を響かせ、黒染の衣の意を込める。近親ほど喪服の色は黒になる)

 夕霧の(歌)

「なき人もおもはざりけむうちすてて夕べのかすみ君着たれとは」
――あなた(父大臣)を後に残して、喪服を着ていただこうとは、亡き人も思わなかったでしょう――

 柏木の弟君の弁の少将の(歌)

「うらめしや霞のころも誰着よとはるよりさきに花の散りけむ」
――うらめしい事よ、墨染の衣を誰に着せるつもりで柏木は春の来ぬ間に死んだのでしょう――

 死後のご法要はさすがに御立派になされたようでした。

 夕霧は、あの一条の宮にも度々お見舞いに行っておられます。

「卯月ばかりの空は、そこはかとなう心地よげに、ひとつ色なる四方の梢もをかしう見えわたるを、物思ふ宿は、よろづの事につけて静かに心細く、暮らしかね給ふに、例の渡り給へり」
――四月の空は、何ともいえず心地よく、緑一色の梢も趣深く眺め渡されますが、物思いに沈みがちな一条の宮邸は、何もかもしめやかに心細く、日を過ごしかねておいでになるところに、夕霧がいつものように来られました――

 庭には、ようよう若草が萌え出で、砂を敷いた間から蓬が生え初めています。柏木がいらしたころは綺麗に植え込みの手入れをなさっておいででしたのに、今はなにもかも伸び放題で、この景色にも夕霧はほろりと涙を落としつつ分け入って行かれます。

ではまた。



源氏物語を読んできて(549)

2009年11月03日 | Weblog
 09.11/3   549回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(32)

 夕霧はその足で柏木の父大臣のお屋敷に参上しますと、ご子息たちが大勢来ておられます。大臣のご様子は、

「旧り難う清げなる御容貌、いたう痩せおとろへて、御髭などもとりつくろひ給はねば、しげりて、親の孝よりもけにやつれ給へり」
――(大臣は)歳をとられてもご立派でしたお顔が、ひどくお痩せになっていて、髭などもかまわれないので伸びきって、ご両親の喪に服した時よりも目立ってやつれていらっしゃる――

 二人は言葉もなくただ泣きに泣いていらっしゃる。夕霧が一条の宮に参られたことをお話になりますと、またさらにお泣きになるのでした。致仕大臣が、

「君の御母君のかくれ給へりし秋なむ、世に悲しき事の際には覚え侍りしを、女は限りありて、見る人少なう、とある事もかかる事も、あらはならねば、かなしびも隠ろへてなむありける(……)」
――あなたの母君の葵上が亡くなられたあの秋が、この世の悲しみの頂点だと思われましたが、女には決まりというものがあって、人にもめったに会わず、何事にも表立つこともないので、私の悲しみも人に知られずにおりました。(柏木は大した人物でもないにしろ、帝の信任もあって、次第に一人前になり、彼を頼みにしていた人が残念がるようですが)――

「かう深き思ひは、その大方の世のおぼえも、官位も思えず、ただ異なることなかりし、自らの有様のみこそ、堪へがたく恋しかりけれ。何ばかりの事にてかは、思ひさますべからむ」
――私がこうも歎きが深いのは、世間の信望や官位のことではなく、ただただ柏木自身の人柄が何ともいえず恋しいのです。どうすればこの悲しみを消すことができるでしょう――

 と、空を仰いでぼんやりなさっていらっしゃる。

ではまた。


源氏物語を読んできて(548)

2009年11月02日 | Weblog
 09.11/2   548回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(31)

 夕霧も涙をお止になることができません。夕霧は柏木の老成ぶりが早死の運命であったかと、

「この二、三年のこなたなむ、いたうしめりて、物ごころ細げに見え給ひしかば、『あまり世の道理を思ひ知り、物深うなりぬる人の、すみ過ぎて、かかる例心うつくしからず、かへりてはあさやかなる方のおぼえ、薄らぐものなりとなむ』、と(……)」
――(柏木は)この二、三年来というもの、ひどく沈みこんで心細そうにしておいででしたので、「余り人生が分かり過ぎて考え深くなった人が、悟り過ぎて、普通の人情の心を失い、返って世間の評判を失う(知性)のではありませんか」と、(申し上げますわたしを、反対にお諌めになられました――

「よろづよりも、人にまさりて、げにかの思し歎くらむ御心の中の、かたじけなけれど、いと心苦しうも侍るかな」
――何よりも、お話の落葉の宮の大そうなお嘆きのご様子が、勿体ない言い方ですが、とてもお気の毒でございます――

 などと、夕霧はやさしく、心細やかに申し上げます。

「かの君は五、六年の程の年長なりしかど、なほいと若やかになまめき、あいだれてものし給ひし。これはいとすくよかに重々しく、男々しきけはひして、顔のみぞいと若う清らなること、人にすぐれ給へる」
――柏木は、夕霧より五、六歳年上でしたが、それでも大そう若々しく優雅で、人懐っこいかたでした。夕霧の方は大そう生真面目で、落ち着いており、雄々しいご様子で、お顔だけがお若く際立って綺麗なのが、人に優れていらっしゃる点です――

 若い女房達は、悲しみも少しは紛れて、この夕霧をお見送り申し上げます。夕霧はお庭先の桜を眺めて「今年ばかりは(古歌=深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け)」を思われましたが、これは不吉な歌なのでこの場に相応しくないと口には出されず、「あひ見むことは(古歌=春ごとに花の盛りはありなめどあひみむことは命なりけり)」と口ずさんで、夕霧の(歌)

「時しあればかはらぬ色ににほひけり片枝枯れにし宿の桜も」
――春が来たので昔と同じ色に咲きました。片枝の枯れた宿の桜も(未亡人になられた落葉の宮もお元気でお栄えください)――

 御息所はすぐにご返歌を、(歌)

「この春は柳の芽にぞ玉はぬく咲き散る花のゆくへ知らねば」
――今年の春は柳の芽に露の玉を置くように、私どもは目に涙を宿して暮らします。柏木が世を去り、花の消息もございませんので――

 夕霧は、御息所がその昔、まあまあの評判の更衣(朱雀院の更衣)でいらしたのを思い出されて、なるほど噂通りの、ほど良いお心構えの方であるとお思いになります。
夕霧はこうして間もなくお帰りになりました。

◆あいだれて=愛垂る=甘える、人懐こい。

ではまた。


源氏物語を読んできて(548)

2009年11月01日 | Weblog
 09.11/1   548回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(30)

御息所も鼻声で、

「あはれなることは、その常なき世のさがにこそは。いみじとても、また類なき事にやはと、年つもりぬる人は、しひて心強う醒まし侍るを、さらに思し入りたるさまの、いとゆゆしきまで、しばしも立ち後れ給ふまじきやうに見え侍れば、すべていろ心憂かりける身の、今までながらへ侍りて、かく方々にはかなき世の末の有様を、見給へ過ぐすべきにやと、いと静心なくなむ」
――悲しいことは、その無情の世の常でございます。どんなに悲しくても、他に例のないことではありませんので、年老いた私などは強いて気強く諦めておりますが、落葉の宮の塞ぎこみようは全く恐ろしい程で、今にも後を追いそうに見えます。今まで辛い目ばかり見て参りました私が生き長らえて、今また逆縁の悲しみを見るとは、まことに心の落ち着く暇もございません――

 御息所はつづけて、

「自づから近き御中らひにて、聞き及ばせ給ふやうも侍りけむ。初めつ方より、をさをさうけひき聞こえざりし御事を、大臣の御心むけも心苦しう、院にもよろしきやうに思しゆるしたる御気色などのはべしかば(……)」
――あなたは親友でいらっしゃるので、自然お聞き及びのこともあったでしょう。私は初めからこの縁組を全く承知しなかったのですが、致仕大臣のご意向もお気の毒でしたし、朱雀院(落葉の宮の御父)も、まあ良かろうと、お認めになったご様子でしたので、
(私の方で思い直しまして結婚させたのですが、こうなってみますと、私の考えを押しとおすのであったと、しみじみ残念でなりません)――

 御息所は「それはそれとしましても、柏木がまさかこんなに早く亡くなられるとは想像もしませんでした」と、お話を続けられて、

「御子達は、おぼろげの事ならで、悪しくも良くも、かやうに世づき給ふことは、え心にくからぬことなりと、古めき心には思ひ侍りしを、何方にもよらず、中空に憂き御宿世なりければ、(……)」
――皇女というものは、並大抵のことでは、善かれ悪しかれ、こうして結婚なさることは、奥ゆかしいことではないと私の古い頭では思っておりましたが、落葉の宮はどのみち中途半端な不運の身の上だったのですから、(いっそ後を追って同じ煙に消えてしまうのも、口の端のうるさい世間を逃れるためには良いのかも知れませんが、そうさっぱりと思い切る事もできませんし…)――

 そうおっしゃって、そんな折に訪れた夕霧の懇ろなお見舞いを見に沁みて有難くお思いになり、話し終えて、また大そうお泣きになるのでした。

◆おぼろげの事=並み一通りの様、普通。(大抵下に打ち消しの語がついて言われる)

ではまた。