永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1225)

2013年03月11日 | Weblog
2013. 3/11    1225

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その17

「それらが女孫やうの者ども、京に宮仕へするも、異ざまにてあるも、時々ぞ来通ひける。かやうの人につけて、見しあたりに往き通ひ、おのづから世にありけり、と、誰にもきかれたてまつらむこと、いみじくはづかしかるべし、いかなるさまにてもさすらへけむ、など、思ひやり世づかずあやしかるべきを思へば、かかる人々にかけても見えず」
――その人たちの娘とか孫とかで、京で宮仕えしている者や、その他の暮らしをしている者(家庭に居る者か)などが、時折り訪ねてきます。こうした人々が、見知った方の邸に出入りし、自然に浮舟が生きていたのだと、どなたの耳にせよ知られるようなことにでもなりましたなら、どんなにか恥かしいことであろうか。いったい浮舟はどんな風に世の中をさまよっていたのか、などと想像も及ばないようなことを噂されますのも辛いと思いますので、そのような人々にも決して顔を見せません――

「ただ侍従、こもきとて、尼君のわが人にしたる二人をのみぞ、この御方に言ひ分きたる。みめも心ざまも、昔見し都鳥に似たることなし。何ごとにつけても、世の中にあらぬところはこれにやあらむ、とぞ、かつは思ひなされける。かくのみ、人に知られじ、と忍び給へば、まことにわづらはしかるべきゆゑある人にもものし給ふらむ、とて、くはしきこと、ある人々にも知らせず」
――(尼君が)昔から身近に使っている侍従と、こもきという女童の二人だけを、この御方に付き添わせています。この二人は見た目も性質も、以前見知った都の人には似ても似つかない。何につけてもこの世の中とは思えない、というのはこうした住居を言うのであろうと一方では慰む気持ちになるのでした。尼君は、姫君がこうまでして人に知られまいと隠れておいでなのは、よくよく面倒な事情がおありなのであろうと察して、詳しい事は同じ家の中の人にも知らせないのでした――

「尼君の昔の婿の君、今は中将にてものし給ひける、弟の禅師の君、僧都の御許にものしたまひける、山籠りしたるをとぶらひに、兄弟の君たちつねに上りけり。横川に通ふ道のたよりによせて、中将ここにおはしたり」
――尼君の娘の婿君は、今では中将になっておられますが、その弟の禅師の君は僧都の弟子で、叡山の横川に籠っていらっしゃいます。その方のお見舞いに、兄弟の君達がよく山に登っていかれます。ここ小野は京から横川へ行く途中にありますので、ある日ついでに中将がお立ちよりになりました――

「前駆うち追ひて、あてやかなる男の入り来るを見出して、死のびやかにておはせし人の御さまけはひぞ、さやかに思ひ出でらるる」
――先払いをして、品のよい男君が入って来られるのを内から見るにつけても、浮舟は、昔忍んで通っていらした方(薫か匂宮か)のご様子やお姿がまざまざと思い出されるのでした――

「これもいと心細き住まひのつれづれなれど、住みつきたる人々は、ものきよげにをかしうしなして、垣ほに植ゑたるなでしこもおもしろく、をみなへし、ききょうなど咲きはじめたるに、いろいろの狩衣姿の男どもの、若きあまたして、君もおなじ装束にて、南面に呼びすゑたれば、うちながめていたり。年二十七、八の程にて、ねびととのひ、心地なからぬさまもてつけたり」
――この小野の住まいもまことに淋しい住まいですが、住み馴れた尼君たちはこざっぱりとして、風雅な趣に暮らしていらっしゃる。垣根に植えた撫子も風情があり、女郎花、ききょうなども咲き始めています。そこに色様々の狩衣姿の若いのを大勢連れて、中将自身も同じ狩衣姿でいらっしゃる。南面に招じ入れたので、あたりを眺めておいでになります。年のころ二十七、八歳で、なかなか貫録も出て来て、思慮ありげな様子をしていらっしゃる――

◆こもき=女童の名前、「〇〇き」の「き」は君のこと。

◆昔見し都鳥=伊勢物語「名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」

◆世の中にあらぬところは=古歌「世の中にあらぬ所もえてしがな年ふりにたるかたち隠さむ」

では3/13に。

源氏物語を読んできて(1224)

2013年03月09日 | Weblog
2013. 3/9    1224

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その16

「尼君ぞ、月などあかき夜は、琴など弾き給ふ。少将の尼君などいふ人は、琵琶弾きなどしつつ遊ぶ。『かかるわざはし給ふや。つれづれなるに』など言ふ。昔も、あやしかりける身にて、心のどかに、さやうのことすべき程もなかりしかば、いささかをかしきさまならずも生ひ出でにけるかな、と、かくさだ過ぎにける人の、心をやるめる折々につけては思ひ出づ」
――尼君は、月の明るい夜などは琴を、少将の尼君などという人は琵琶を弾いたりなさいます。そして「あなたもこのような遊びをなさいますか。退屈でいらっしゃるでしょう」などと言います。浮舟は、自分は不運の身で、昔ものんびりと音楽を習う折とてなかった。ほんのちょっとした優雅なところもなく、これまで過ごしてきたものだ、と、わびしさがこみ上げて来て、このような盛りを過ぎた尼たちが慰みに琴を弾く折々につけても、幼いころを思い出すのでした――

「なほあさましくものはかなかりける、と、われながら口惜しければ、手習いに、『身をなげし涙の川のはやき瀬をしがらみかけてたれかとどめし』思ひのほかに心憂ければ、行く末もうしめたく、うとましきまで思ひやらる」
――やはり自分は何の取り柄もない身であると、われながら口惜しく、いたずら書きのついでに、(歌)「悲しさのあまり、早瀬に身を投げたものを、だれが邪魔をして救ってくれたのでしょうか。恨めしいこと」と、助けられたことが辛く、何ごとも心に叶わぬ身ゆえ、これから先もいったいどうなるのかと愛想も尽き、不安が募ってくるのでした――

「月のあかき夜な夜な、老人どもはえんに歌よみ、いにしへ思ひ出でつつ、さまざまのものがたりなどするに、いらふべき方もなければ、つくづくとうちながめて、『わらえかくてうき世の中にめぐるとも誰かは知らむ月のみやこに』今はかぎりと思ひはあてし程は、こひしき人多かりしかど、こと人々はさしも思ひ出でられず」
――月の明るい夜毎、年老いた尼君たちは、風雅にうたを読んだり、過ぎ去った昔を偲んだりして、さまざま話にうち興じていますが、浮舟はその中にも入りようがないので、ひとりしみじみと思い沈んで、(歌)「自分がこうしてこの世に生きていようとは、都では誰一人知らない」いよいよもう最後と決心した折は、恋しい人も大勢いましたが、今では他の人々はそれほどには思い出されない――

「ただ、親いかに惑ひ給ひけむ、乳母、よろづに、いかで人なみなみになさむと思ひ焦られしを、いかにあへなき心地しけむ、おなじ心なる人もなかりしままに、よろづ隔つることなく語らひ見馴れたりし右近なども、折々は思ひ出でらる」
――ただ母君がどんなに悲しまれただろう、乳母は万事につけて、何とかして私を一人前の良い縁組をと気を揉んでいたのに、私が急に居なくなってどんなに落胆しているかしら。宇治に居た頃は特に気の合った話相手もなかったので、何ごとによらず心おきなく話し合い、親しくしていた右近のことなども、時折りは切なく思い出されるのでした――

「若き人の、かかる山里に、今はと思ひたえ籠るは、難きわざなりければ、ただいたく年経にける尼七八人ぞ、常の人にてはありける」
――若い娘がこのような淋しい小野の山里に、世をあきらめて籠りきるのは難しいことですので、ここには年老いた尼君七、八人だけが、いつもここに居る人達なのでした――

では3/11に。


源氏物語を読んできて(1223)

2013年03月07日 | Weblog
2013. 3/7    1223

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その15

「このあるじもあてなる人なりけり。女の尼君は、上達部の北の方にてありけるが、その人亡くなり給ひて後、女ただ一人をいみじくかしづきて、よき君達を婿にして思ひあつかひけるを、その女の君の亡くなりにければ、心憂し、いみじ、と思ひ入りて、かたちをも変へ、かかる山里には住みはじめたるなりけり」
――ここの庵室の主人である僧都の母君も身分のある人でありました。娘の尼君は、さる上達部の北の方でしたが、その夫が亡くなりまして後、一人の娘を大そう大切に育てて立派な公達を婿に迎え、手厚くお世話していましたところ、その娘も亡くなってしまったので、つくづく世をはかなんで、出家してこの山里に住みついたのでした――

「世と共に恋わたる人の形見にも、思ひよそへつべからむ人をだに見出でてしがな、と、つれづれも心細きままに、思ひ歎きけるを、かくおぼえぬ人の、容貌けはひもまさりざまなるを得たれば、うつつのこととも覚えず、あやしき心地しながら、うれしと思ふ。ねびにたれど、いときよげに由ありて、ありさまもあてはかなり」
――歳月がたつと共に娘のことが忘れられず、亡き娘の形見と思えるような人をせめて見つけたいものと、心細いままに歎き続けていたところへ、このような思いがけない人で、容貌も様子も娘以上の人を得ましたので、現実のこととも思われず不思議な気がしながらも、嬉しさは格別です。この尼君も年はとっていますが、いかにも美しく品があり、物腰も上品でです――

「昔の山里よりは、水の音もなごやかなり。つくりざま、ゆゑある所の木立おもしろく、前栽などもをかしくゆゑをつくしたり」
――あの宇治の山里にくらべますと、ここは川の水音も静かです。庵室の造りや庭の木立ちも趣きがあって、前栽などもたいそう風流に作ってあります――

「秋にありゆけば、空のけはひあはれなるを、門田の稲刈るとて、所につけたるものまねびしつつ、若き女どもは歌謡ひ興じあへり。引板ひき鳴らす音もをかし。見し東路のことなども思ひ出でられて」
――秋になってきますと、空のけしきもあわれ深く、門田の稲を刈る頃ともなると、若い下女たちは、農夫たちの鄙びた稲刈り歌の物真似をして、お互いに興じあったりしている。引板(ひた)を引き鳴らす音も面白く、浮舟は幼い折に見た東国常陸の生活なども思い出されて懐かしい――

「かの夕霧の御息所のおはせし山里よりは、今すこし入りて、山にかたかけたる家なれば、松陰しげく、風の音もいと心細きに、つれづれと行ひをのみしつつ、いつともなくしめやかなり」
――この庵室のある場所は、あの朱雀院の女二の宮の御母御息所の住んでおいでになった小野の山荘よりは、もう少し奥まっていて、片側を山に寄せて建てた家ですので、あたりには松の木がこんもりと茂り、風の音もまことに淋しく聞こえるのでした――

では3/9に。


源氏物語を読んできて(1222)

2013年03月05日 | Weblog
2013. 3/5    1222

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その14

「夢のやうなる人を見たてまつるかな、と、尼君はよろこびて、せめて起しすゑつつ、御髪手づから梳り給ふ。さばかりあさましう引き結ひて、うちやりたりつれど、いたうも乱れず、解き果てたれば、つやつやときよらなり」
――(尼君は)初瀬のお寺で見た夢さながらのお方にお遭いしたことだと喜んで、この方を、無理にも起して座らせたりして、お髪を手ずから梳いてさしあげます。病の間中、無造作に引き結んでそのままにしてありましたのに、ひどく乱れてもいず、梳き終えてみますと、艶々として清らかに美しい――

「一年たらぬつくも髪多かるところにて、目もあやに、いみじき天人の天降れるを見たらむやうに思ふも、あやふき心地すれど、『などかいと心憂く、かばかりいみじく思ひきこゆるに、御心を隔てては見え給ふ。いづくに誰と聞こえし人の、さる所にはいかでおはせしぞ』と、せめて問ふを」
――「百年(ももとせ)に一年(ひととせ)足らぬ九十九髪(つくもがみ)」のような老女ばかりいる此処では、浮舟の姿は眩いほどで、今にも天に飛び帰ってしまいそうに不安に思われもしますので、尼君が、「なぜあなたはそのように、これほど深くご案じ申しておりますのに、うち解けぬご様子なのでしょう。あなたはどこの何という方で、どうしてあのような所にいらしたのですか」と無理に聞きますのを――

「いとはづかし、と思ひて、『あやしかりし程に、みな忘れたるにやあらむ、ありけむさまなどもさらに覚え侍らず。ただほのかに思ひ出づることとては、ただいかに此の世にあらじ、と思ひつつ、夕ぐれごとに端近くてながめし程に、前近くおほきなる木のありし下より、人の出で来て、率て行く心地なむせし。それよりほかのことは、われながら、誰ともえ思ひ出でられ侍らず』と、いとらうたげに言ひなして、『世の中になほありけり、といかで人に知られじ。聞きつくる人もあらば、いといみじくこそ』とて泣い給ふ」
――(浮舟は)ひどく恥かしがって、「気を失っていました間に、何もかも皆忘れてしまったのでしょうか、昔どうだったのか、などということなども、全く思い出せません。ただぼんやりと思い出せることとしては、何とかして、この世から消えてしまいたいと思いつつ、夕ぐれになりますと、いつも端近くに出てぼんやりと考えこんでいたことです。そのようななある夕べ、軒先の大きな木の下から、人が出て来て、わたしを連れて行くような気がしました。それから先のことは、自分が誰なのかもいっこうに分かりません」と、まことに可愛らしく言いつくろって、「この世にまだ生きていたのだとは、どうしても人に知られたくないのです。聞きつける人でもありましたなら、まことに悲しいことです」言って泣くのでした――

「あまり問ふをば、苦しと思したれば、え問はず。かぐや姫を見つけたりけむ竹取りの翁よりも、めづらしき心地するに、いかなるもののひまに消え失せむとすらむ、と、しづ心なくぞ思しける」
――(尼君は)これ以上問い糺すのも、辛そうなご様子なので、それ以上は聞くこともできません。かぐや姫を見つけた翁よりもめずらしい気がしますが、どうかした隙にこの人が消え失せてしまわないかと、気が気ではないのでした――

◆一年たらぬつくも髪多かるところ=伊勢物語の「百とせに一とせ足らぬつくも髪我を恋ふらし面影に見ゆ」

では3/7に。