永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(11240)

2013年04月09日 | Weblog
2013. 4/9    1240

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その32

「おはせぬ由を言へど、昼の使ひの、一所など問ひ聞きたるなるべし、いと言多くうらみて、『御声も聞き侍らじ。ただけ近くて聞こえむことを、聞きにくしとも思しことわれ』と、よろづに言ひわびて、『いと心憂く。ところにつけてこそ、もののあはれもまされ、あまりかかるは』などあばめつつ、『山里のあきの夜ふかきあはれをもものおもふ人は思ひこそ知れ。おのづから御心も通ひぬべきを』などあれば、」
――尼君がお留守の由をお伝えしておいたのですが、昼間の使いが、姫君がお一人で残っていられると聞き出して中将にお知らせしたものであろうか、ただたいそう何やかやと恨み言を述べて、
「お声を聞かせていただかなくても良いのです。ただお側近くで申し上げることを、聞きにくいともどうとも後判断ください」とさまざまにかき口説いたすえに、「まことに情けない心地がします。このような山里にいらっしゃれば、もののあわれも増さるというもの、これは余りななさり方です」などと非難がましく言いながら、「(歌)山里の秋の深夜の趣きについても、物思いを知る人ならよく分かる筈です。自然にお心も通うはずですのに」などとおっしゃる――

「『尼君おはせで、まぎらはしきこゆべき人も侍らず、いと世づかぬやうならむ』と責むれば、『うきものと思ひも知らですぐす身をもの思ふ人と人は知りけり』わざと言ふともなきを、聞きて伝へきこゆれば、いとあはれと思ひて、『なほただいささか出で給へ、と聞えうごかせ』とこの人々をわりなきまでうらみ給ふ」
――(少将の尼が)「尼君がお留守で、おとりなしを申すような人もおりません。返歌をなさらないのも、余りに世慣れぬ風でございましょう」と浮舟を責めます。浮舟が「別に辛い身の上とも気づかずに過ごしておりますのに、もののあはれを知る女と思い違えをしておいでなのでしょうか」と、ことさらお返事をする風でもなく口ずさんでいるのを、少将の尼が聞いてお伝えしますと、中将は感じ入って、「やはり、ほんの少しでもこちらへ出てくるよう、無理にでもお願い申せ」と、取り次ぎの人々を、しきりにお恨みになるのでした――

「『あやしきまで、つれなくぞ見え給ふや』とて、入りて見れば、例はかりそめにもさしのぞき給はぬ、老人の御方に入り給ひにけり。あさましう思ひて、かくなむ、と聞ゆれば、『かかる所にながめ給ふらむ、こころのうちのあはれに、おほかたのありさまなども、なさけなかるまじき人の、いとあまり、思ひ知らぬ人よりも、けにもてなし給ふめるこそ。それももの懲りし給へるか。なほいかなるさまに、世をうらみて、いつまでおはすべき人ぞ』など、ありさま問ひて、いとゆかしげにのみ思いたれど、こまかなるっことは、いかでかは言ひ聞かせむ」
――(少将の尼が)「いつも、不思議なほど冷淡でいらっしゃること」といって、奥へ入ってみますと、浮舟はいつもは決して覗くなどなさらない母尼のお部屋に逃げ込んでしまわれたのでした。少将の尼はすっかり呆れた気持ちで、中将に、こうこうでございました、と申し上げますと、「このような山里に侘しくも暮らしておられるという、そのお心根もあわれなのに、ほのかに拝見したところ、情れなくはおみえにならないお方と思いますのに、あまりにも風情の分からぬ人以上の仕打ちをなさるのが、まことに心外です。それもこれも世の中にどのような恨みを持ってもう懲り懲りというふうにしていらっしゃるのでしょうか。いつまでこうしていらっしゃるのですか」などと、様子を訊ねたりして、たいそう事情を知りたそうにしておいでですが、どうして仔細をお聞かせできましょうか――

では4/11に。

「ただ、『知りきこえ給ふべき人の、年ごろはうとうとしきやうにて過し給ひしを、長谷に詣であひ給ひて、たづねきこえ給へる』とぞ言ふ」
――(少将の尼は)ただ、「尼君がお世話申される筈のお方で、今まで長い間疎遠になっていましたのを、初瀬詣での道すがらお出会いになって、お連れ申したのでございます」とだけお答えになります――

源氏物語を読んできて(1239)

2013年04月07日 | Weblog
2013. 4/7    1239

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その31

「『苦しきまでもながめさせ給ふかな。御碁を打たせ給へ』といふ。『いとあやしうこそはありしか』とはのたまへど、打たむ、と思したれば、盤取りにやりて、われはと思ひて先せさせたてまつりたるに、いとこよなければ、また手直して打つ」
――(少将の尼が)「お側でお見上げするさえおいたわしいまでに沈み込んでいらっしゃいますね。碁でもお打ちになりませんか」と言いますと、「とても下手でしたが」とおっしゃるものの、打ってもよいとお思いのようですので、早速盤を取らせにやって、少将の尼が、われこそはと得意な気持ちで浮舟に先手を打たせてあげますと、浮舟はたいそう上手なので、今度は少将の尼が先となって打ちます――

「『尼上とう帰らせ給はなむ。この御碁見せたてまつらむ。かの御碁ぞいと強かりし。僧都の君、はやうよりいみじう好ませ給ひて、けしうはあらず、と思したりしを、いと碁聖大徳になりて、<さし出でてこそ打たざらめ、御碁には負けじかし>と聞え給ひしに、つひに僧都なむ二つ負け給ひし。碁聖が碁にはまさらせ給ふべきなめり。あないみじ』と興ずれば、」
――(少将の尼が)「尼上が早くお帰りになればよろしいのに。あなたのお上手なのをおみせしたいものですこと。尼上は碁がとてもお強いのですよ。僧都さまもお若い時からたいそうお好きでいらっしゃって、ご自身でも相当なものだと思っておられて、すっかり碁聖大徳(きせいだいとこ)気取りでいらっしゃいました。尼上にも『私は碁の名人と名乗りはしませんが、尼君の碁には負けませんよ』とおっしゃいましたのに、とうとうその僧都さまが二番も負けてしまわれたのでした。貴女は碁聖大徳(きせいだいとこ)以上の名人ということになりましょう。なんと素晴らしい」とすっかり興に入っていますが――

「さだすぎたる尼額の見つかぬに、もの好みするに、むつかしきっこともしそめてけるかな、と思ひて、心地あしとて臥し給ひぬ。『時々はればれしうもてなしておはしませ。あたら御身を、いみじく沈みてもてなさせ給ふこそくちをしう、玉に瑕あらむ心地し侍れ』と言ふ。夕ぐれの風の音もあはれなるに、思ひ出づること多くて、『こころには秋のゆうべをわかねどもながむる袖に露ぞみだるる』」
――(浮舟は心の中で)年をとって尼削ぎの額も見ぐるしいのに、このような遊びを喜んだりしているのを見ていると、厄介なことをし始めてしまったものだと(もう一番、もう一番と言われはしないかと)後悔して、気分が悪くなりましたからと言って臥せっておしまいになりました。
少将の尼が、「時にはこうして晴れやかにしていらっしゃいませ。もったいないまだお若い身ですのに、ひどく沈み込んでいらっしゃるのは残念なことで、玉に疵のあるような気がします」と言うのでした。浮舟は夕ぐれの風の音にしみじみ思い出すことも多く、「秋の夕ぐれといっても、もののあわれも良く分かりませんが、つくづく眺めていますと袖はいつの間にか涙の露に濡れております」とひとり言のように呟いています――

「月さし出でてをかしき程に、昼文ありつる中将おはしたり。あなうたて、こは何ぞ、と覚え給へば、奥深く入り給ふを、『さもあまりにもおはしますものかは。御志の程も、あはれまさる折にこそ侍るめれ。ほのかにも、聞え給はむことも聞かせ給へ。しみつかむことのやうに思し召したるこそ』など言ふに、いとうしろめたく覚ゆ」
――月がさし出でて趣き深い頃、昼お文を寄こされた中将がお見えになりました。浮舟が、まあ、
厭わしい、どういうおつもりなのかと思って奥深く入ってしまわれるのを、少将の尼は、「それではあんまりでしょう。中将さまの御厚意の程も、ひとしお身にしむ秋の夜と申しますのに。ほんの少しでもお話を聞いてさしあげなさいまし。それを、耳が穢れでもするようにお思いになられるとは」などと嗜めますので、浮舟は、この人も中将の方に付くかも知れないと、まことに不安な気がするのでした――

では4/9に。

源氏物語を読んできて(1238)

2013年04月05日 | Weblog
2013. 4/5    1238

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その30

「心ごはきさまには言ひもなさで、『心地のいとあしうのみ侍れば、さやうならむ道の程にもいかが、などつつましうなむ』とのたまふ。もの怖じはさしも給ふべき人ぞかし、と思ひて、しひても誘はず」
――(浮舟は)頑なな風には言わないで「気分が悪くてなりませんので、そのような遠出も憚られまして」とおっしゃいます。確かに宇治で正気を失っていた時の事を思えば、物の怪に怯えていらっしゃるのであろうと、尼君はむりにはお誘いになりません――

「『はかなくてよにふる川の憂き瀬にはたづねもゆかじふたもとの杉』と手習ひにまじりたるを、尼君見つけて、『二本は、またもあひきこえむ、と思ひ給ふ人あるべし』とたはぶれ言を言ひ当てるに、胸つぶれて、おもて赤め給へるも、いと愛敬づきうつくしげなり」
――(浮舟が歌を)「心細い有様で過ごしている私の身では、とても初瀬の二本杉(ふたもとすぎ)を尋ねてゆく心地にもなりません」と、手習いの反古の中に混じっていましたのを尼君が見つけて、「二本とあるからには、またお逢いしたいと思う方がおられるのでしょう」と、さりげなく冗談を言いますのに、浮舟はそれが半ば当たっていますので、どきりとして顔を赤らめていらっしゃるのも、まことに愛敬があって美しい――

「『ふる川の杉のもとだち知らねども過ぎにし人によそへてぞ見る』ことなることなきいらへを口とく言ふ。忍びて、と言へど、皆人慕ひつつ、ここには人ずくなにておはせむを、心苦しがりて、心ばせある少将の尼、左衛門とてあるおとなしき人、童ばかりぞとどめたりける」
――(尼君の歌)「貴女がどなたか知りませんが、私は亡くなった娘の代わりと思っております」と、特に優れたともいえぬ歌を即座に言います。尼君は少人数のつもりで詣でようとしましたが、皆が付いて行きたがり、ここに残る浮舟側が人手不足になりますのを気の毒に思って、気の利いた少将の尼と左衛門という呼び名の年輩の女房、そして女の童だけはこの庵室に残しておかれました――

「皆出で立ちぬるをながめ出でて、あさましきことを思ひながらも、今はいかがはせむ、と、たのもし人に思ふ人一人ものし給はぬは、心細くもあるかな、と、いとつれづれなるに、中将の御文あり。『御覧ぜよ』と言へど、聴きも入れ給はず。いとど人も見えず、つれづれと来し方行く先を思ひ屈し給ふ」
――一行が出立するのを浮舟は見送って、情けないわが身の上を嘆きながら、今は致し方が無いとは思いますものの、頼みに思う唯一の尼君が不在では、なんとまあ心細いことよ、と所在なくしております折に、中将からお文がきました。少将の尼が、「御覧になりますよう」とおすすめしても、浮舟はいっさい聴き入れません。普段よりいっそう人も少なく、心細そうに来し方行く末のことなどを案じていらっしゃる――

◆ふたもとの杉=古今集・旋頭歌「初瀬川古川のべに二本ある杉年を経てまたもあひ見む二本ある杉」

◆杉のもとだち=杉の幹

では4/7に。(4/3にはすみませんでした。本日2回分です)

源氏物語を読んできて(1237)

2013年04月05日 | Weblog
2013. 4/3    1237

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その29

「『笛の音にむかしのこともしのばれてかへりしほどぞも袖ぞ濡れにし』あやしう、もの思ひ知らぬにや、とまで見侍るありさまは、老人の問はず語りにも聞し召しけむかし」とあり。めづらしからぬも見どころなき心地して、うち置かれけむかし」
――(尼君のお返事は)「(歌・貴方の笛の音に亡き娘のことも偲ばれて、お帰りになったあとも、涙で袖がぬれたことでした)、不思議なほど、もののあわれも解しないのかしらと思える姫君の態度は、母尼の問わず語りでもお分かりでしょう」とありました。珍しくもないありきたりのお文なので、中将はしみじみとも読みもせず、すぐに下に置いてしまったようでした――

「荻の葉におとらぬ程々におとづれわたる、いとむつかしうもあるかな、人の心はあながちなるものなりけり、と、見知りにし折々も、やうやう思ひ出づるままに、『なほかかる筋のこと、人にも思ひ放たすべきさまに、とくなし給ひてよ』とて、経習ひて誦み給ふ。心のうちにも念じ給へり」
――荻の葉を渡る絶え間ない風の音にも劣らぬ程に、中将から引き続きお文が来るのは、ほんとうに煩わしい。男心というものは、いつもこのように執拗で無理強いなものだった、と、昔、匂宮と逢い初めて身に覚えた折折のことなども、だんだんに思い出されるにつけて、「やはり、こういう色恋のことを男に諦めさせるためにも、早く出家させてください」と言って、浮舟は経を習ったり、誦したりして、こころの内でもひたすら仏を念じていらっしゃる――

「かくよろづにつけて世の中を思ひ棄つれば、若き人とてをかしやかなることも殊になく、結ぼほれたる本性なめり、と思ふ。容貌の見るかひありうつくしきに、よろづの咎見ゆるして、あけくれの見ものにしたり。すこしうち笑ひ給ふ折は、めづらしくめでたきものに思へり」
――このように何事につけても世の中のことを思い捨てていられるので、若い女らしく、これといって華やかな事もないのは、塞ぎがちなご性分なのでしょう。しかし、ご器量がいかにも鬱っくしく、見る甲斐のある方なので、大方の疵は見過ごして、尼君は朝夕の慰めに飽かずながめていらっしゃる。浮舟のちょっと笑ったりなさると、それがたいそう珍しく素晴らしくも思えるのでした――

「九月になりて、この尼君長谷に詣ず。年ごろいと心細き身に、こひしき人の上も思ひやまれざりしを、かくあらぬ人とも覚え給はぬなぐさめを得たれば、観音の御しるしうれし、とて、かへり申しだちて、詣で給ふなりけり」
――さて、九月になってから、この尼君は再び初瀬詣でにお出かけになりました。心細い年月を重ね、恋しい娘のことも諦めきれないでいましたのを、このように別人とも思われない浮舟を慰めとして得ましたので、観音様のご利益もうれしく、この度は、その御礼参りの形で参詣されるのでした――

「『いざ給へ。人やは知らむとする。おなじ仏なれど、さやうの所に行ひたるなむ、験ありてよき例多かる』と言ひて、そそのかし立つれど、昔母君乳母などの、かやうに言ひ知らせつつ、たびたび詣でさせしを、かひなきにこそあめれ、命さへ心にかなはず、たぐひなきいみじきめを見るは、と、いと心憂きうちにも、知らぬ人に具して、さる道のありきをしたらむよ、と、そらおそろしく覚ゆ」
――(尼君が浮舟に)「さあ、行きましょう。人は気付きませんよ。同じく仏様でも、長谷のようなお寺で勤行してこそ霊験あらたかな、よい例も多いというものですよ」と言って、しきりに進めますが、浮舟は、昔も母君や乳母からこのように言い聞かされては、度々お参りもさせられましたが、何の甲斐もなかったようで、死にたいと願ったことさえままならず、例もないみじめな目を見ようとは、何と言う辛い運命であろうと思うにつけても、尼君のようなよく知らない人と一緒にそのような旅をするなどとは、とんでもない空恐ろしい心地がするのでした――

では4/3に。


源氏物語を読んできて(1236)

2013年04月01日 | Weblog
2013. 4/1    1236

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その28

「みな異ものは声やめつるを、これにのみめでたる、と思ひて、『たけふちちりちちり、たりたんな』など、掻き返しはやりかに弾きたる、詞ども、わりなく古めきたり。『いとをかしう、今の世に聞こえぬ詞こそは弾き給ひけれ』と褒むれば、耳ほのぼのしく、かたはらなる人に問ひ聞きて」
――調べも合いませんので、他の人はみな、弾きやめてしまったのを、大尼君は聴き惚れているのだと思い込んで、「たけふ、ちりりちりり、たりたんな」などと、撥で掻き返し、調子づいて弾いてはいらっしゃいますが、歌詞などは全く古めかしい。中将が、「まことに興味深く、当節では聞くこともできない歌をお弾きになりましたね」と褒めますと、耳が遠いので側の人に訊ね聞いて――

「『今様の若き人は、かやうなることぞ好まれざりける。ここに月ごろものし給ふめる姫君、容貌はいとけうらにものし給ふめれど、もはら、かかるあだわざなし給はず、うもれてなむものし給ふめる』と、われがしこにうちあざ笑ひて語るを、尼君などは、かたはらいたしと思す」
――(大尼君が)「近頃の若い方々は、こういうものをお好みにならないのですね。この頃ずっとこちらにおいでの姫君も、ご器量は綺麗でいらっしゃるようですが、こういうつまらぬ遊び事などなさらず、引き籠もってばかりいらっしゃる」と、自慢そうに人もなげに笑って話しますので、娘の尼君などは聞き苦しいと思っていらっしゃる――

「これにこと皆さめて、帰り給ふ程も、山おろし吹きて、聞えくる笛の音、いとをかしう聞えて、起き明したる」
――これで皆はすっかり興ざめして、中将もお立ち出でになります。お帰りの道すがら吹く笛の音が、山から吹き下ろす風に乗って、この庵にもまことに面白く聞こえてきますので、尼君達は夜一夜を寝もやらず明かしたのでした――

「つとめて」
――翌朝――

「『昨夜は、かたがた心乱れ侍りしかば、いそぎまかで侍りし。<忘られぬむかしのことも笛竹のつらきふしにもねぞなかれける>なほすこし思し知るばかり教へなさせ給へ。忍ばれぬべくは、すきずきしきまでも、何かは』とあるを、いとどわびたるは、涙とどめがたげなるけしきにて、書き給ふ」
――(中将から)「昨夜はあれこれと心が乱れておりましたので、急いでお暇いたしてしまいました。(歌)「忘れられぬ亡き妻につけても、冷淡な方(浮舟)につけても、声を出して泣かずにはいられませんでした。」やはり、私の心を少しでも分かってくださるように教えてあげてください。我慢できるくらいならば、どうしてこれほど好色がましいまで申し上げるでしょうか」とありますのを尼君は、亡き娘を偲ぶ悲しみにくれている折から、涙も堰かねる様子で、お返事を書きます――

◆容貌はいとけうらに=容貌(かたち)は、たいそう、けうらに(綺麗)に。

では4/3に。