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地域の再発見ツアーin熊本 行ってきました!(2日目)

2024年11月20日 13時30分44秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
熊本城は、阿蘇の火砕流が堆積した「茶臼山」と呼ばれる丘陵に築かれています。関ヶ原の戦いの頃には現在の位置に築城が始まり、慶長 12(1607)年に完成しました。


その城郭は周囲5.3km、総面積 98 万㎡に及ぶ広大なものです。往時の熊本城は大小天守をはじめ、櫓49、櫓門 18、城門 29 程度を数える。熊本城は明治 10(1877)年の西南戦争開戦直前の火災で天守、本丸御殿などが焼失したが、その後籠城に耐え、難攻不落で堅固な城として有名です。



明治時代に撮影された熊本城の写真。
しかし、2016年の熊本地震では、 重要文化財建造物 13 棟全ての建造物が被災しました。

中でも熊本城の北東に近接して位置する東十八間櫓、北十八間櫓は全壊した。宇土櫓の五階櫓は、屋根・外壁・建具破損で済んだが、続櫓は倒壊しました。不開門、長塀が一部倒壊し、他 8 棟が破損を受け修復が必要となっています。



今回の地震で最も大きく被害を受けたのが石垣です。熊本城の石垣は、 973 面・約79,000 平方メートルに及び、そのうち築石が崩落したのは 229 面、約 8,200平方メートルで全体の約 1 割、緩みや膨らみのため積み直しを要するのは 517 面、約 23,600 平方メートルで全体の約 3 割の面積に及びます。

1 平方メートルの築石の数は平均して 3~4 個程度と考えると、約 7 万~10 万個の築石を積み直すことになると言われています。


天守閣から、熊本市内を望む。いろんな場所で修復作業(詳細はこちら)がおこなわなれています。

宇土櫓の解体保存工事は、解体された部材を守るため鉄骨製の素屋根で櫓を覆って行われています。解体後の部材も素屋根内に保管され、できる限りもとの部材を使って再建される予定です。この日は、月1回の公開日で、工事の様子を見ることができました。



ちなみに、宇土櫓は、大天守や小天守より建築年代が古いと考えられており、清正が最初に入城した古城(隈本古城)に創建した天守の移築という説もあります。
次は、阿蘇神社へ。



阿蘇神社は、神武天皇の孫神で阿蘇を開拓した 健 磐 龍 命(たけいわたつのみこと)をはじめ家族神 12 神を祀り、 2, 000 年以上の歴史を有する古社です。

阿蘇神社の社殿群は、天保 6 年(1835)から嘉永 3 年(1850)にかけて、熊本藩の寄進によって再建されたもので、神殿や楼門などの 6 棟が国重要文化財に指定されています。中でも楼門は九州最大の規模を誇り、「日本三大楼門」の一つともいわれます。

平成 28 年熊本地震により重文の楼門や拝殿が倒壊するなど社殿のほとんどが甚大な被害を受けましたが、令和 5 年 12 月に復旧工事が完了しています。

食事は、阿蘇ジビエカレー


スパイスがしっかり効いてて美味しい阿蘇ジビエカレー。


2021 年3月に開通した、新阿蘇大橋(全長 525m、最大橋脚高 97m)。
近くには、新阿蘇大橋や長陽大橋、白川第一橋梁(南阿蘇鉄道)を望むことができます。



続いて山都町馬見原にある馬見原橋へ。その前に、 新阿蘇大橋展望所「 ヨ・ ミュール」にて、美味しいソフトクリームを!


南阿蘇自然派ソフト。



宮崎との県境を流れる五ケ瀬川に架かる橋で、かつて宿場町として栄えた馬見原商店街の入り口にある夫婦岩の間を抜けて渡る橋です。

上側幅5.8メートル、下側7.5メートル。上下の幅の隙間から歩行者は自然に橋の下側へと吸い込まれる設計になっています。



地元の杉材を使用した床の中央に開いた2つの円を覗けば、足元を流れる五ヶ瀬川の清流が眺められる仕掛けです。

唇のような形をした遊び心あふれるデザインは、1995年にくまもと景観賞さわやかまちかど賞を受賞しています。


晴天時は、さらにキレイに見えるかと思います。詳細はこちら

そして一路、宮崎市へ。
13年間で初めての雨天の旅。また、来年が楽しみです。