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今日よりちょっといい、明日にしませんか

地域の再発見ツアーin熊本 行ってきました!(2日目)

2024年11月20日 13時30分44秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
熊本城は、阿蘇の火砕流が堆積した「茶臼山」と呼ばれる丘陵に築かれています。関ヶ原の戦いの頃には現在の位置に築城が始まり、慶長 12(1607)年に完成しました。


その城郭は周囲5.3km、総面積 98 万㎡に及ぶ広大なものです。往時の熊本城は大小天守をはじめ、櫓49、櫓門 18、城門 29 程度を数える。熊本城は明治 10(1877)年の西南戦争開戦直前の火災で天守、本丸御殿などが焼失したが、その後籠城に耐え、難攻不落で堅固な城として有名です。



明治時代に撮影された熊本城の写真。
しかし、2016年の熊本地震では、 重要文化財建造物 13 棟全ての建造物が被災しました。

中でも熊本城の北東に近接して位置する東十八間櫓、北十八間櫓は全壊した。宇土櫓の五階櫓は、屋根・外壁・建具破損で済んだが、続櫓は倒壊しました。不開門、長塀が一部倒壊し、他 8 棟が破損を受け修復が必要となっています。



今回の地震で最も大きく被害を受けたのが石垣です。熊本城の石垣は、 973 面・約79,000 平方メートルに及び、そのうち築石が崩落したのは 229 面、約 8,200平方メートルで全体の約 1 割、緩みや膨らみのため積み直しを要するのは 517 面、約 23,600 平方メートルで全体の約 3 割の面積に及びます。

1 平方メートルの築石の数は平均して 3~4 個程度と考えると、約 7 万~10 万個の築石を積み直すことになると言われています。


天守閣から、熊本市内を望む。いろんな場所で修復作業(詳細はこちら)がおこなわなれています。

宇土櫓の解体保存工事は、解体された部材を守るため鉄骨製の素屋根で櫓を覆って行われています。解体後の部材も素屋根内に保管され、できる限りもとの部材を使って再建される予定です。この日は、月1回の公開日で、工事の様子を見ることができました。



ちなみに、宇土櫓は、大天守や小天守より建築年代が古いと考えられており、清正が最初に入城した古城(隈本古城)に創建した天守の移築という説もあります。
次は、阿蘇神社へ。



阿蘇神社は、神武天皇の孫神で阿蘇を開拓した 健 磐 龍 命(たけいわたつのみこと)をはじめ家族神 12 神を祀り、 2, 000 年以上の歴史を有する古社です。

阿蘇神社の社殿群は、天保 6 年(1835)から嘉永 3 年(1850)にかけて、熊本藩の寄進によって再建されたもので、神殿や楼門などの 6 棟が国重要文化財に指定されています。中でも楼門は九州最大の規模を誇り、「日本三大楼門」の一つともいわれます。

平成 28 年熊本地震により重文の楼門や拝殿が倒壊するなど社殿のほとんどが甚大な被害を受けましたが、令和 5 年 12 月に復旧工事が完了しています。

食事は、阿蘇ジビエカレー


スパイスがしっかり効いてて美味しい阿蘇ジビエカレー。


2021 年3月に開通した、新阿蘇大橋(全長 525m、最大橋脚高 97m)。
近くには、新阿蘇大橋や長陽大橋、白川第一橋梁(南阿蘇鉄道)を望むことができます。



続いて山都町馬見原にある馬見原橋へ。その前に、 新阿蘇大橋展望所「 ヨ・ ミュール」にて、美味しいソフトクリームを!


南阿蘇自然派ソフト。



宮崎との県境を流れる五ケ瀬川に架かる橋で、かつて宿場町として栄えた馬見原商店街の入り口にある夫婦岩の間を抜けて渡る橋です。

上側幅5.8メートル、下側7.5メートル。上下の幅の隙間から歩行者は自然に橋の下側へと吸い込まれる設計になっています。



地元の杉材を使用した床の中央に開いた2つの円を覗けば、足元を流れる五ヶ瀬川の清流が眺められる仕掛けです。

唇のような形をした遊び心あふれるデザインは、1995年にくまもと景観賞さわやかまちかど賞を受賞しています。


晴天時は、さらにキレイに見えるかと思います。詳細はこちら

そして一路、宮崎市へ。
13年間で初めての雨天の旅。また、来年が楽しみです。



地域の再発見ツアーin熊本 行ってきました!(1日目)

2024年11月17日 13時16分52秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
所属する宮崎「橋の日」実行委員会の事務局を務める私は、熊本城や通潤橋で有名な熊本に、メンバー5名とともに、11月9日~10日の1泊2日にて出かけました。



まずは、熊本県人吉市の 国宝指定 青井阿蘇神社を訪ねました。


806 年(大同元年)創建の神社。現在の社殿は、江戸時代初期の慶長 15~18 年(1610~13)にかけ、当時の藩主・相良長毎(頼房)(さがらながつね(よりふさ ))により造営されたものです。



2008 年(平成 20 年)には本殿・廊・幣殿・拝殿・楼門が国宝に指定され、熊本県内の国・県指定の社寺建築の 9 割が球磨地方にある中、同神社はその代表的な建造物となっています。
2020年7月の水害による球磨川の氾濫では、人の高さ程、水があふれたとのことでした。詳細はYouTubeにて。



次に、同じ八代市にあり、石橋のことが学べる「東陽石匠館(せきしょうかん)」へ伺いました。



江戸後期から全国に数多くの「めがね橋」を架けた日本一の石工集団(種山石工)の発祥の地、八代市東陽町。種山石工は多くのめがね橋を架け、水路橋として有名な通潤橋などを築いたことでも有名です。

同館は先人たちの偉業を継承し、多くの人に種山石工の苦労と功績を知ってもらうための施設で、館内には関連品が各種展示されています。町内には21基の眼鏡橋が残されています。当会の制作した石橋ポスターも展示されていました!

続いて、2023年国宝に指定された通潤橋へ。
通潤橋放水

嘉永 7 年(1854 年)、水不足に悩む白糸台地に水を送るため、矢部の惣庄屋・布田保之助によって造られた近世最大級の石造アーチ水路橋であり、石造アーチ橋の中で唯一“放水”ができる橋です。

通潤橋の工事は、 1852 年(嘉永 5 年) 12 月に開始され、約 1 年 8 ヶ月の長い期間をかけて 1854 年(嘉永 7 年・安政元年) 8 月に完成した。この間、大工や石工(石工頭は種山石工の宇一、副頭が丈八)のほか、白糸台地や矢部地域の大勢の人の力で工事が行われました。

水路の長さ約 119.0m、橋の長さ約 78.0m、橋の幅 6.6m、橋の高さ約 21.3m、アーチの半径約 28.1m。約 6km離れた笹原川の上流から水を引き、水路の総延長約 30km、灌漑面積は約 100ha にも及びます。一昼夜で 15,000 立方メートルの水を送り、水田を潤す力を備えており、現在も白糸台地の棚田を潤しています。 1960 年(昭和 35 年)に国の重要文化財に指定され、 2023 年(令和 5 年)に国宝に指定されました。お昼を過ぎたところで食事へ



通潤酒造カフェは、酒造に併設された和風のカフェで、テラス席は池に面しており、ゆったりした時間を過ごせました。



お酒が無料でついてきましたので、思わず2杯いただきました。美味しかったです。次は、美里町の霊台橋へ。



霊台橋は、 昭和 42 年に国指定重要文化財になりました。
橋長 89.86 メートル、橋幅 5.45 メートル、橋高 16.32 メートル。

これは、江戸時代の石造単一アーチ橋としては日本一の大きさを誇る。緑川本流に架橋。矢部にいたる難所「船津峡」は、交通の要衝で江戸中期より木橋が架けられましたが、いずれも流失したため、砥用手永惣庄屋・篠原善兵衛が石橋架橋を計画し、峙原村(美里町涌井)の伴七(茂見伴右衛門)らが補佐しました。

種山手永の宇助を棟梁とし総勢 72 人の石工が各地より集められ、工事は弘化 3(1846)年より弘化 4(1847)年にかけておこなわれました。明治時代以降も、昭和 41(1966)年に上流に鉄橋が架かるまで道路橋として使用されました。次も、同じ美里町の二股橋へ。

(写真左側が二股福良橋、右側は二股橋)

釈迦院川と津留川の合流点が二俣にあり、この地点において釈迦院川に 3 基(二俣渡・年祢橋・新年祢橋)、津留川に 2 基(二俣福良渡・新二俣橋)が架かっており、これを「二俣五橋(ふたまたごきょう )」といいます。


(写真は二股橋)

それぞれの架橋年代も江戸時代~現代と幅ひろく、橋(架橋工法)の歴史がわかるフィールド・ミュージアムとなっています。この内、江戸時代に架けられたものは、二俣橋・二俣福良渡で、川の合流点に直角に交わる全国でも珍しい兄弟橋である。二俣渡は文政 12(1829)年、二俣福良渡は文政 13(1830)年に架橋されました。



遠くに天門橋が見えます。この橋は、 天草五橋の 1 号橋。 1 号橋から 5 号橋の間の国道 266 号・国道 324 号(重複国道)が日本の道 100 選」に選定の天草パールラインです。天草五橋・ 1 号橋(天門橋)は、全長 502m のトラス橋です。写真は三角港から撮影したもの。



2015 年に世界文化遺産に登録された三角西港は、 1887 年に開港しました。近代的港湾として日本でも最古にあたる、長い歴史を持つ港です。



三角西港は宮城県の野蒜(のびる)築港や、福井県の三国港とあわせて明治の三大築港とされています。港を設計したのは、オランダ人の水理工師「ローエンホルスト・ムルドル」。施工は熟練した技術を持つ天草の石工たちが行いました。



築港には、石工、大工、人夫、潜水夫など、合わせて 20 万人弱の人々が関わっています。施工は当時の最新技術が使用され、熊本県にとって初めての国外貿易可能な良港が誕生しました。



1日の予定を終え、ホテルへ。



ホテル到着後、町へ繰り出す!町並みも美しかった!
ここは震災後のシンボルとして、2019年9月、熊本市中心街の桜町に開業した大型複合施設「サクラマチ クマモト」です。熊本県内外から乗り入れする日本最大級のバスターミナルをはじめ、人気の地元飲食店など149店舗のテナントが集結する商業施設やホテル、大型ホール、シネマコンプレックス、マンション、駐車場などが集約しています。



くまもと花博が開催されていました。全長20mの花のトンネル が印象的でした。夜は、美味しい料理とお酒をいただきました。



帰りにライトアップされた熊本城を見ながら、10時ホテルへと遠回りをし、約1時間後、ホテルに帰りました。


ライトアップされた石垣が美しい。
明日はいよいよ、熊本城の見学です。楽しみ。(続く)


お問い合せに答えて

2024年09月29日 14時45分42秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
現在、宮崎「橋の日」実行委員会の事務局として、ホームページの管理をしています。いろんな方から「橋」に関する質問などが寄せられます。

今回は、最近いただいた質問についてご紹介します。

○お問い合せ
三重県伊賀市に住む者ですが、「拱橋」の読み方で悩んでおります。
「こうきょう」か「きょうきょう」か、です。
伊賀市にはちいさな伊賀鉄道という路線があります。2021年に、国登録有形文化財に登録されましたが、さて、どっちの読み方が正解?と。
文化遺産オンラインでは「こうきょう」ですが、道路的には「きょうきょう」ではないかとの意見もあり、悩んでおります。


○ご回答
小田拱橋のことですね。(伊賀鉄道小田拱橋 文化遺産オンライン

日本語的には、きょうきょうが正しいのです。しかし、おだきょうきょうでは、意味がわかりづらいため、呼び名として「おだこうきょう」という橋名としていると考えられます。

例えば、○○ばしという名前で呼ばれている橋が多いようです。しかし、一部の橋では、「ばし」の「ばし」は濁点がついて、川が濁るという意味から、○○「はし」と濁らない表現をしている橋もあります。

これらは、地域の人の想いと、公的に名称としてふさわしい呼び名にしています。呼び名は、「ばし」も「はし」も正解です。

よって、「きょうきょう」も「こうきょう」も正解で、「おだこうきょう」国土交通省と鉄道会社が命名したのではないかと推察します。

命名は、上記の行政がおこないますので、更にくわしいことをお聞きになりたい場合は、行政にお問い合わせください。


地元テレビに出演しました。

2024年08月05日 20時52分57秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
8月5日(月)宮崎の”橋”に注目知られざる魅力に迫ると題して、この夏、見に行きたい橋ベスト3をUMKテレビにて紹介しました。

放送内容はこちら

三股町梶山地区にある梶山橋
水の色がキレイです(光の関係で濁っています)
県内でも珍しい大小の2連アーチ橋。


橋のすぐそばにある飛び込み石。

こんなに身近に石橋を感じられる場所は少ない。

地元テレビに出演しました。

2024年05月06日 05時55分01秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
先日、UMKテレビにて「橘橋」の歴史について取材を受けお話したところ、好評とのことで、再び、5月1日(火)「4時どき!ニュース&イドバタ」に出演しました。

番組では、橘橋に関する歴史やエピソードを交え、宮崎市の町の魅力を橋を通じてお伝えしました。短い時間でしたが、宮崎市内の悠々と流れる大淀川、そしてそこに架かる橘橋。この風景が宮崎県民、そして宮崎市民の宝物であることを理解いただけたかと思います。まだまだ、伝えたいこともありましたが、いつかまた機会をいただけたら、興味深いエピソードなどお話しました。

以下の写真は、第5代目の橘橋。ノーベル賞作家川端康成が2日滞在の予定を2週間延ばしたという大淀川の夕焼けと橘橋。





地域のお宝再発見ツアー(四国橋三昧の旅)1~2日目

2024年04月06日 13時43分43秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
所属する宮崎「橋の日」実行委員会にて、地域お宝再発見ツアー「四国編」をおこないました。年度末の3月22日(金)の午後6時に、宮崎駅集合。参加した6名のメンバーは、レンタカー(トヨタ、シエンタ7名乗り)にて、宿泊地である別府へと出発。途中、延岡市にて夕食、ホテルに着いたのは22時でした。

翌朝、5時にホテルロビー集合。別府港フェリーターミナルへ。宇和島運輸フェリーにて、6時20分に乗船、一路、愛媛県八幡浜港へ。



久しぶりの船旅。八幡浜港までは3時間。


豊後水道と太平洋を望みながら、愛媛へ。あいにくの曇り空だったのですが、雨が降ることもなく、デッキで仲間と雑談をしていました。


到着後、港にある「どーや食堂」で朝食。


朝食メニューのまかない海鮮丼、このボリュームで600円。

この橋は長浜大橋、別名赤橋と呼ばれています。愛媛県最大の肱川河口に架かる橋で、現役で動く我が国最古の道路可動橋(バスキュール式鉄鋼開閉橋)は、1935年(昭和10年)8月に完成。


この橋は、延長232,3メートル、幅員6,6メートル、開閉部分の長さ18メートル、カウンターウェイトの重さ82トンで、1998年(平成10年)9月2日に国の登録有形文化財に登録された後、2014年(平成26年)12月10日に国の重要文化財に指定されました。


戦争被害にも遭っています。第二次世界大戦末期、米軍グラマン機の攻撃を受け、橋の開閉が一時不能になったそうです。各所に残された機銃掃射の跡(5mm位の鉄板を貫通)させた威力。改めて、銃撃の恐ろしさを感じました。


長浜大橋の近くには、土佐藩を脱藩した坂本龍馬と同志の 沢村惣之丞 が宿泊した冨屋金兵衛邸。四国路最後の夜を過ごした宿と呼ばれています。



現在、冨屋金兵衛邸は1日1組限定(1名様~ご家族様) で宿泊できるようです。
詳細は、こちら

この他にも隣接する、末永家住宅百帖座敷に立ち寄りました。



末永家住宅は、国の登録有形文化財に指定され、古き良き時代の歴史を見学できる住宅。末永家は回漕業を長浜で営んだ資産家で、この建物の建築主である末永四朗平は町議会員や町長として勤めた人物であり、この建物は長浜の歴史を伝える上で貴重な建物となっています。



本住宅内にある百帖座敷は、木造平屋建てで、末永家の接客用の建物と考えられます。18畳二間続きの座敷と5畳の付属室からなり、内部には、手の込んだ折上げ格天井(おりあげ ごうてんじょう)や洋風の照明器具などがみられます。
。(いよ観ネットより転載)立派なひな飾りに思わず、シャッターを切りました。

その後、タオルや造船で有名な今治へ。



瀬戸内しまなみ海道は、広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ全長約60kmの自動車専用道路で西瀬戸自動車道、生口島道路、大島道路からなります。



食事を済ませ、しまなみ海道の橋と海を見ながら、広島県尾道市まで車で移動し、岡山を経由して瀨戸大橋へ。



瀬戸大橋は、本州の岡山県倉敷市と四国の香川県坂出市を結ぶ10の橋の総称。



1978年(昭和53年)の着工から9年6カ月を経て1988年(昭和63年)4月10日供用開始。橋梁部9,368メートル、高架部を含めると13.1キロメートル (km) の延長を持ち、日本ではそれぞれ単独の橋とみなされる連続する10の橋を合わせた合計の長さは、鉄道道路併用橋としては世界最長で、瀬戸大橋は「世界一長い鉄道道路併用橋」として、ギネス世界記録に認定されています。


17時。高松市へ到着。参加全員で、街へ繰り出しました。上記写真は、商店街の中を高松琴平電気鉄道(ことでん)が走っており、目の前を電車が走る珍しい風景を間近に見ました。

飛び込んだ居酒屋では、35名前後のお客を2名で、料理、配膳、会計までおこなっていた姿に、参加者全員驚いていました。(ホントに2名・・2名だ・・)

橋三昧の一日が終わりました。明日は、こんぴらさんへ。

地域のお宝再発見ツアー(四国橋三昧の旅)3日目

2024年03月31日 11時12分43秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
大分市行きのフェリーの乗船が13時30分となっているため、朝の出発を7時にしました。朝から小雨、しかし傘が必要な程ではありませんでした。
朝食は讃岐うどんです。早朝から開店しているお店へ。


讃岐麺食堂 うどん 縁や。丸亀市土器町にお店があります 


大きなうどん釜が、間近に見られました!


お会計後のトッピングコーナーにお出汁がありますので、セルフでかけます。
優しいお出汁。中サイズを頼みましたが、量が多く他のやっと食べました。

その後、金比羅さんへ一路向かいました。まずは、金比羅さんの参拝に使われた鞘橋を見学に。


屋根のある橋を家橋と呼んでおり、この鞘橋は、刀の鞘のような形をした屋根のある珍しい浮橋で、現在のものは明治2年(1869)に建築されたものです。


明治38年に現在の場所に移築され、一般の通行は禁止されていますが、例大祭などの神事の際に用いられているそうです。


平成10年に国の有形文化財に登録。
その後、金比羅さんへ。



小雨の中、金比羅宮へ。くわしくはこちら


金刀比羅宮は、香川県 琴平町の象頭山に鎮座する神社です。

御本宮の御祭神は、大物主神と崇徳天皇です。古来から農業・殖産・医薬・海上守護の神として信仰されています。境内では、神様に奉仕する神職・巫女が一年を通して様々な祭典・神事を行っています。(神社ホームページより)



御本宮の金幣、「幸福の黄色いお守り」、例大祭の「お頭人様」、書院(重要文化財)の円山応挙の障壁画、蹴鞠(県無形民俗文化財)、門前町から御本宮までの785段の石段、「こんぴら狗」などが有名です。

石段1,368段目の山中には、金刀比羅本教の教祖である厳魂彦命をお祭りする厳魂神社(奥社)が鎮座します。(神社ホームページより)

仲間と励ましありながら、やっと登れました。幸せの黄色いお守りとこんぴらさんの名物である「加美代飴」を購入し、母親へプレゼントしました。

その後、フェリーは発着所である三崎港から、国道九四フェリーにて大分佐賀関へ。途中、霧が多量に発生して無事到着できる心配でしたが、乗船できました。



予約した乗船した方がベストです。1日前に締め切られますので注意が必要です。忘れた時はキャンセル待ちもできます。私たちも、到着時間が決められなくて予約できませんでしたが、キャンセル待ちにて、乗船できました。



到着後、関あじ関さばで有名な、関あじ関さば館へ。
お店の案内によると「豊後水道を一望できるレストランでは、新鮮な海の幸・山の幸をふんだんに 使った料理を堪能できます。名物の海鮮丼や期間限定のくろめ料理など様々な 料理で皆様をお待ちしております。」とのこと。午後2時に伺ったのですが、満席状態でした。


海鮮丼をオーダー。税別1,200円でこのボリューム。魚もコリコリしていて美味しかった!

その後、宮崎市内へ。午後6時に解散場所である宮崎駅に到着。楽しく旅行ができました。

地域のお宝再発見ツアー2023(四国橋三昧の旅)

2024年02月17日 10時01分08秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
今回で12回目となった同ツアー。土木遺産や歴史遺産、そして「橋」を、現地の方と交流しながら、学びを深めていく旅です。

これまで、九州管内を3回、台湾へ1回とツアーをおこなってきましたが、いよいよ四国へと足を伸ばすことになりました。

楽しい旅の報告は、また、ブログにてご紹介します。



金比羅さん

讃岐うどん

瀨戸大橋


8月4日(はし)第37回「橋の日」イベントを開催しました!

2023年08月06日 06時13分49秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
宮崎「橋の日」実行委員会では、8月4日(金)宮崎市橘橋にて、表記イベントを開催しましたよ。コロナ禍で中止となりましたが4年ぶりです!

式典途中で雨がパラつきましたが、橘橋へ日頃の感謝を込めて、献花。また橋の汚れをタオルで拭き取りました。
ありがとう橘橋、県内の橋。参加いただいた皆さま、ありがとうございました。




絵本の読み聞かせ、紙芝居上演講習会開催

2023年07月07日 05時57分54秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!

先日、宮崎市民プラザにて、宮崎県防災士ネットワーク 宮崎支部会員有志の皆さんを対象にして、標記講習会を開催し、関係者を合わせ25名の方が参加いただきました。

絵本「読み聞かせ」について、宮崎市立図書館より専門家2名が講師として、お話いただきました。絵本の持ち方や読み方、発声の仕方など、通常2日かかる研修を50分バージョンにお話いただきました。

その後、紙芝居の演じ方を都城市で、紙芝居活動を続けている「紙芝居まねきねこの会」久保田代表ほか2名の会員、紙芝居の歴史や演じ方から実演まで、楽しくお話いただき、笑いにあふれた時間となりました。

公的機関でこのような無料の講師派遣制度があります、また公開講座もありますので、活用してみてはいかがでしょうか。

関係者の皆さま、おめでとうございます!通潤橋、国宝指定!

2023年06月24日 08時41分24秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
この度、熊本県山都町の通潤橋が国宝に指定されました。近代石橋の成功傑作といわれる通潤橋。これまで6回程、同橋を観に行きました。個人的には、農業土木遺産として、先人の努力、優れた土木技術、江戸時代から170年護る人達のご苦労などを感じました。国の宝として、これから日本の未来を照らしてもらいたいと思います。







宮崎市へ絵本を寄贈しました。

2023年04月26日 06時13分11秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
先月、宮崎市へ「とんところ地震」の絵本を100冊寄贈しました。絵本は、当会の活動35周年を記念して増刷、宮崎市へ寄贈を準備しておりましたが、コロナ禍や市長選挙の影響で1年近く遅れてしまいました。

絵本は、宮崎市の沿岸部の幼稚園に配布されるとのことでした。

(絵本の概要)
江戸時代に宮崎県内を始め、宮崎市木花地区などに特に大きな被害をもたらした「外所地震」をテーマに絵本に制作。A4版22ページ。



橋の日活動、今期もあと3ヶ月

2023年01月07日 07時02分48秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
今期も活動もあと、3ヶ月。事務局として、全国に向けのパンフレットや資料の送付、紙芝居の上演、次年度の総会準備、助成いただいている団体への報告など、さまざまです。

また、有志メンバーで四国へ「橋&周辺観光ツアー」をおこなう予定です。2月か3月を予定しています。

下記は、本年度の活動を取りまとめた資料です。今年も、全国誌からの記事依頼があり、当会会長に記事を書いていただきました。活動を続けておくと良いことがありますね♪

この報告書。これまではExcelにて作成していましたが、今年からはPowerPointに変更しました。編集しやすくなりました!





地域のお宝再発見ツアーin西諸・東諸(1日目)

2022年12月04日 09時29分42秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
今年で11回目となるツアーは、11月19日(土)~11月20日(日)にわたり、小林市からえびの市、都城市、三股町を巡りました。ツアーでは、岩瀬ダム、東方大丸太鼓橋、月の木川橋、JR大畑駅・矢岳駅、都城市立図書館、梶山橋などを見学しました。
       岩瀬ダム(野尻湖)

大淀川下流の水害軽減(治水)と発電(利水)を目的とし昭和42年7月に完成しました。管理開始から50年以上が経過し宮崎県にて管理されています。岩瀨ダムを含め、宮崎県が管理するダムが13あり、九州電力に売電しています。

       旧岩瀬橋(小林市野尻町)

旧岩瀬橋は、明治25年に宮崎~人吉間の道路整備事業で建設されたのが始まりです。 建設当時は、切石積みの橋脚と木製の橋桁でした。 橋の西側にある水神碑は、当時、橋の建設に携わったとされる石工の名が記銘されています。 その後、大正14年に上部構造の建替えが行われ、当時としては最新技術を用いた鉄骨トラス構造の橋になりました。歴史的にも建築学史的にも貴重な文化財です。

        東方大丸太鼓橋(小林市東方)
大丸太鼓橋は、浜ノ瀬川に架かる石橋で、鹿児島県の豪商森山新蔵が私費で弘化4年(1847)に竣工させたものです。この橋は水路橋で、元は木造樋で通水していたが、洪水のたびに補修が必要で、また人馬は樋を渡れないため、上流の釣り橋を通行しなければならず危険でした。橋の完成後、大丸水田への用水、人馬の便は画期的に改善され、森山はその功績から侍に取り立てられたが、その後、息子の新五左衛門が京都の寺田屋騒動に関わって死んだことから、父新蔵も連座して切腹したそうです。


        石氷橋(小林市北西方)
石氷橋は、明治25(1892)年に木造でかけられ、その後昭和18(1943)年に現在の石造の太鼓橋となり、石氷川(岩瀬川支流)に架けられました。この橋は二連アーチ橋で、水面に映る影が眼鏡に似ていることから、別名眼鏡橋とも呼ばれています。


        月の木川橋(えびの市大河平)
昭和3年に架けられた石造りの3連アーチ橋です。正式名称は「月の木川橋」。全長58.2メートル、橋高17.2メートル。木材でやぐらを組んだ基礎に50センチメートル角の石を積み重ね、アーチの中央には5角の石を組み込んでいます。
鹿児島県串木野の肥田佐兵衛氏が請負、切石は、この有島川の上流から木馬で運び出されたと言われます。軌道は、昭和37年に廃止され自動車が通るようになったが、安全上の理由で通行止めとなり、現在、人だけ通る道となっています。国有形登録文化財。

         道の駅えびのにて昼食
季節に応じた旬の食材を丁寧に仕立てたバイキング。雄大な霧島連山を眺めながら、えびの産の新鮮な食材を使った多彩な料理をいただきました。

       JR矢岳駅(人吉市矢岳町)

険しい区間の多い肥薩線の山線の中で、最も標高の高い場所(536,9m)に位置する矢岳駅。


明治時代の典型的な平屋建ての駅舎が特徴で、駅構内には「D51-170号」が展示されたSL展示館。機関車を間近で見て、その大きさを感じました。

         JR大畑駅(おこばえき)人吉市大野町

日本で唯一、ループ線とスイッチバックを併せ持つ秘境駅。「こば」とは焼畑を意味した言葉で、その昔大きな焼畑があったことからこの地名が付けられたという説があります。自分の名刺を貼ると出世するという話から、駅舎には大量の名刺が貼られています。


大人気マンガ(アニメ)「夏目友人帳」にこの駅は登場することもあり、世界各国から聖地巡礼をする方が訪れているとのことです。


午後7時、宿泊先のホテルテラスタに到着。ホテル前では、イルミネーション点灯式と重なり、ライブイベントなどがおこなわれていました。



今年も橋の日役員のみで「橋の日」イベントを実施

2022年08月05日 06時29分02秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
2022年8月4日、例年であれば200名以上の方に参加いただいておこなう「橋の日」イベント。

今年もコロナウィルスの感染拡大防止の観点から、当委員会役員と関係者、また特別参加の学生3名で「橋の日」イベントを実施しました。宮崎の橋を代表して、橘橋へ日頃の感謝を込めて献花行事のみをおこないました。
日頃の感謝を込めて献花

昨年、30年ぶりに新調した横断幕と旗。