皇居正門前の石橋。昔は「西丸大手下乗橋」という木橋が架けられていましたが、その木橋に替わり明治20年、石橋に架け替えられられました。
皇居と言うとめがねの形をした橋を思い浮かべる人も多いと思いますが、これは「めがね橋」でも、「二重橋」でもありません。「正門石橋」が正式な名称なのだそうです!
(長さ:35.2m 幅:14.5m)
(お堀を望む)
たくさんの観光客が橋をバックにで記念撮影していました
皇居正門前の石橋。昔は「西丸大手下乗橋」という木橋が架けられていましたが、その木橋に替わり明治20年、石橋に架け替えられられました。
皇居と言うとめがねの形をした橋を思い浮かべる人も多いと思いますが、これは「めがね橋」でも、「二重橋」でもありません。「正門石橋」が正式な名称なのだそうです!
(長さ:35.2m 幅:14.5m)
(お堀を望む)
たくさんの観光客が橋をバックにで記念撮影していました
イタリアのフィレンツェを流れるアルノ川に架かるヴェッキオ橋は、フィレンツェにある橋の中で一番古い橋
イタリア観光の名所のひとつ。
石造3連アーチ橋。橋長100m、橋幅32m
橋は2層になっていて、上の階は両岸をつなぐ回廊、下の階は、橋の建設費や維持管理費を負担した宝石商たちが軒を並べたと言われています。
(橋上より)
ローマ時代からこの場所に橋があったとされています。
1117年と1333年の洪水で流された後、1345年に建造され、それ以来、660年以上、当時のまま残っています。
(橋上より)
現在、フィレンツェでこうして橋の上に住居があるのはヴェッキオ橋だけ。橋が建造された当時は、橋の上に住居を建てることは、それ程珍しいことではなかったそうです。
写真提供:ぴかちゃんさん
農業用水や生活用水を白糸台地に送るために、矢部手永の惣庄屋・布田保之助らによって完成しました。
約6キロメートル離れた笹原川の上流から水を引き、水路の総延長は約30キロメートル、灌漑面積は約42ヘクタールにも及び、通潤橋の完成後に、約100ヘクタールもの新しい水田が開墾されました。現在では約170ヘクタールに水を送っています。
宇市、丈八、甚平の作。
1960(昭和35)年に国の重要文化財に指定されました。
▼ 安政元年(1854) 長さ:75.6m 幅:6.3m 高さ:20.2m 径間:27.54m
話変わって、治水利水といえば、永遠の課題ですが、戦国時代には、戦国武将が国を治めるに、治水利水によって、石高に反映され、力をつけたと聞いています。町づくりを立案し、人と組織を上手に雇い、知恵を使った武将が生き残ったとも言えると思います。そういう意味で、橋の向こうにロマンを感じているところです。
(橋上から見た放水。すごい力です)
熊本県でも城つくりの名人「加藤清正」により白川水源から水を引き、干拓をおこなうなど地域を潤すためにの整備が行われました。
その土木技術は非常に優れており400年後の現在も実用として使われている遺構も少なくありません。
その干拓によってできた橋も多いと聞いています。
熊本への石橋ツアーでは、橋の美しさだけでなく、先人の治水利水への努力や技術に改めて関心しました。
日本有数の長さを誇る鉄線のつり橋です。長さ297メートル、高さ54メートル(ビル18階に相当)
そびえ立つ深い山々に囲まれ、眼下には清澄な十津川(熊野川)が流れまさに絶景!最高のロケーションです。
このつり橋は、1954年(昭和29年)村人の大金を出し合い(1戸当たり20~30万円 現在のお金にして400~500万円)つくられた橋。村人達の豊かなこころと団結がつくった橋と言えます。
迫力満点の揺れ太鼓
2006年に宮崎市で開催した全国「橋の日」サミットでは、揺れ太鼓のメンバーにパネリストとして出演していただきました。
9月の台風で、村内で大変な被害を受けています。一日も早い復旧を願っています。
以前のようにまた村を観光することで、彼らを元気づけ応援できると思います。
頑張ってください、十津川村の皆さん。
>>>十津川村観光協会
1934年(昭和9年)に完成。今もなお現役のスタイリッシュな美々津橋
宮崎県日向市美々津(耳川)に架かる美々津橋。 橋の完成は、1934年(昭和9年)ですから、今年で77年、きちんとメンテナンスされて、美しい佇まいを保っています。
この形式の橋(鋼スパンドレル・ブレーストアーチ)としては、国内最大スパンの橋です。ちなみに、この形式の橋は、全国に7つしかなく、九州唯一です。設計は天才橋梁設計技術者 増田 淳 (1883-1947)。
「美々津大橋」ができるまでは「美々津橋」が国道10号の橋でしたが、今は県道としての役割を担っている堂々たる2連アーチの大橋です。
橋長:168.7m 幅員:7.6m 土木学会が推奨する橋の土木遺産に指定されています。
美々津橋の親柱。 親柱の上には歴史を感じさせるアンティークなデザインのランプが設置されています。
耳川河口にある美々津の町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、神武天皇お船出の地としても有名です。
耳川は、独特の色を持つ珍しい川です。
河口部は釣りのメッカとしても有名。「幻の魚」と呼ばれる、マルカ(アカメ)が生息することでも知られています。
今日は、「クラシック音楽の日」。一ヶ月前は「橋の日」で忙しい毎日を過ごしていたことが懐かしい・・。さて、クラシック音楽を生演奏で聞いたのは、20歳の頃。友人とともに旅行した井の頭公園(東京)で聞いた音楽会だった。
すごい・・自然と音楽が溶け込んでいる。クラシックって敷居が高く、遠い存在だとこれまで思っていたが、違っていた。こころからの感動だった
そんな感動がいつか、自分の住む街で開催したい・・・自然の中でそして緑に包まれて素敵な音楽が聞けたら誰でも気軽に聞ける音楽会はないだろうか・・という想いに変わり、気付いたらその夢を語っていた・・。しかし、その単純な発想も具体的な形になるまでには、10年の歳月がかかった。
いつ、どこで、どんな風にと、思考錯誤の末、4月29日(みどりの日)に新緑あふれる城山公園で、人と音楽と自然がひとつになるような音楽会を開催しようということになった。 今、考えると会場が城山公園ということが音楽とともに来場者のハートをつかんだと思っている。
(野点のお茶会他、市内のまちづくり団体が参加して城山は一日賑やかに)
音楽祭のコンセプト「音楽と自然が一番近くなる日」はこのような趣旨から考えられたものだ。そして平成2年4月29日みどりの日に、仲間達とともに、「みどりの音楽祭」を開催することができた。
(まちづくり絵画コンクールも同時開催)
それから約7年間にわたりさまざまなテーマのもと、音楽祭を開催した。またいつか機会があれば、音楽と自然、たくさんのふれあいができるような楽しいひとときをつくってみたい。
(音楽祭オープニングセレモニーのテープカット)
第2回目の音楽祭からはマタニティウーマンによるテープカットを毎年を実施。最後となった第7回目の音楽祭りでは写真の子ども達が参加してくれた。。今年は、この子達も二十歳を迎える。月の経つのは本当に早い
(新聞に紹介していただいた)
(音楽祭の活動が宮崎ブロック青年会議所から認められて賞をいただく)
耶馬渓橋(やばけいはし)は、大分県中津市の山国川に架かる石橋で、1923年(大正12年)に架けられました。
有名な「青の洞門」の下流約500m、荒瀬井堰の下流にあり、その橋長は116mで、石アーチ橋として日本一の長さです。
8連アーチ石造橋も我が国唯一のものです。
景勝地「耶馬渓」の景色とあいまって、自然の中の構造物として独特の美しさを漂わせています。
大分県にはこの他にもたくさんの石橋があり、美しい橋が多いことが特長です。この橋は、土木遺産にも指定されています。