新しい毎日が始まる! どんな一日もつくれる、そんな喜びはワクワク感も、大切にしたいですね。
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シーガイア周辺は、絶好のウォーキングコース。市街地からも離れ、緑豊かな静かな場所。
近くにはホテルシェラトン・グランデ・オーシャンリゾート、フローランテ宮崎、英国式庭園。付近に素敵なレストランも多い。
スタートは、テニスコート。駐車場がある。芝生が年中キレイだ。
九州・沖縄サミットの記念碑。サミットを冠したイベント会場が傍にある。
フローランテ宮崎周辺の道。
当たりは整備されており、景色も美しく歩いていて気持ちいい。
トイレや自動販売機のある公園。ここでひとやすみ。
祝詞にでてくる「みそぎ池」
やぶ椿。ここは市民の森。
木の根が見えている江田神社のそばの道。
ここはゴール地点。親水公園として整備されている。
妻は韓流ドラマのファン。今回で2回目となる韓国へと旅しました。
ソウルの中心を流れる漢江。東京の隅田川とおなじように、たくさんの美しい橋が架かっています。韓国のドラマでは撮影スポットとして登場しています。この漢江へ向け、宿泊しているホテルから早朝歩いてみました。
8月13日05:37。ホテル前を出発。
未明の街を歩く。対向車はごみ収集車。
歩道橋を渡り、漢江へ。
東湖大橋の途中には駐車スペースが設けられています。
漢江。ウィキペディアによると、大韓民国(韓国)統治圏の北部を流れる河川。全長494km、流域面積35,770km2。洛東江に続いて韓国2位の長さであるが、流域面積は洛東江より広く、韓国1位となっています。
橋の中間地点。橋の中央に線路が、その隣に車道と歩道が伸びたつくりで、電車の走る様子を間近に見ながら橋を歩いて横断できます。
東湖大橋の付近から北側に目を向けると、ソウルのシンボル・Nソウルタワーが見えます。
漢江沿いの道路。市内を走る道路は、ほぼ4車線。
川の南側に橋を渡りきると歩道は終わるので、歩道脇にある階段から橋の下におりることができます。
下ると、「漢江公園 蚕院(チャモン)地区」に到着。漢江沿いの河川敷にある漢江市民公園のひとつで、散策路やサイクリングロード、スポーツ広場などが隣の漢南(ハンナム)大橋まで広がっているそうです。
再び、ホテル近くまで戻る。
立体的に鳥が飛び立つようなデザインのお店。ソウルでは、このお店のように斬新なデザインをしている建物が多いと感じました。
7,990歩。距離にして5.5キロを歩きました。(2017年8月)
長女夫婦が住む横須賀へ、研修のついでに立ち寄った。宮崎へ帰る日の午前中、自宅から車で30分程の場所にあるヴェルニー公園に連れて行ってもらった。
横須賀本港に面したヴェルニー公園の見どころは旧海軍の碑や、フランス庭園など。横須賀市のホームページによると「公園の対岸にフランス人技師ヴェルニーが建設に貢献した横須賀製鉄所が望めることや、ヴェルニー・小栗祭りが、開催されることから、フランス庭園様式を取り入れた公園として平成13年度末に整備されました。フランス式花壇や噴水、洋風あずまやなどもあり、約1,400株のバラが彩りを添えています」と紹介されています。
上記の写真は、海軍の碑。浦賀に黒船が現れ鎖国の夢が破られた幕府は、横須賀に製鉄所を建設し、近代海軍の創設を企画しました。明治維新により明治政府が樹立され、政府は我が国の近代化に着手しました。特に海軍の整備が重要視され、日清・日露両戦役を経て次第に整備充実され、世界三大海軍国のひとつとしてその地位を占めるに至りました。近代海軍の創設及び成長という歴史の流れの中において、横須賀はその最枢要基地として我が国屈指の軍港都市となり発展を遂げましたが、昭和20年の太平洋戦争終結と共に海軍は80年の歴史を閉じました。(建立趣意より抜粋)
横須賀製鉄所、明治14年当時の様子。幕末の1865年(慶応元年)、江戸幕府の勘定奉行小栗忠順の進言により、フランスの技師レオンス・ヴェルニーを招き、横須賀製鉄所として開設されたそうです。
横須賀製鉄所(造船所)創設150周年記念映像「近代日本のルーツ 横須賀製鉄所」を紹介します。
対岸にあるのは、米軍横須賀基地。
ヴェルニー公園に隣接した海上自衛隊横須賀地方総監部の施設。
初めてみる潜水艦。乗ってみたいですね。
90分程、長女夫婦と孫とともに散策後、港が見えるスターバックスデータひとやすみ。2階のデッキから撮影した1枚です。
あと何回こんな時間を過ごせるだろうか?そんなことを思うなんて、人は笑うだろうか。でも、離れた家族や仲間と過ごす時間は、そう多くないと思う。だからこそ、その時を大切にしていきたいと思う。まさに一期一会。
研修のため訪れた東京。いつものように、朝のウォーキング。今回は、水道橋周辺を歩いた。
上記の写真は、ホテル近くにある神田協会。コンクリートづくりのキレイなデザイン。
ホテルからJR水道橋駅まで約5分で到着。水道橋の由来は、神田上水のかけひ(すなわち、水道の通る橋)が近くにあったことによるとされています。また、東京ドームシティの最寄り駅でもある。
神田川。「若かったあの頃♫・・・」かぐや姫の歌を思い出しながら、じっくり眺めた。
JR御茶ノ水駅へ。なんと、1904年(明治37年)12月31日に開通したとのこと(ウィキペディアより)
神田駿河台。徳川家康の死後、江戸幕府が駿府の役人を住まわせた事が地名の由来(ウィキペディアより)
池袋駅へ。ビルの上に広がる青空が眩しい。
ちょっと足を伸ばして、東京ドームシティへ。観覧車やジェットコースター・・。もう遅いけれど、子どもを連れて来たかったなぁ。若い頃は仕事で忙しくて、休みもなく働いてもんなぁ。お金もかかるしなぁ。いやぁ無理。今度は孫?。
ひんやりとした秋の朝。宮崎とは違った空気感。歩くだけの時間だけれど、なんだかいつも癒やされます。
朝7時、ようやく周辺が明るくなった頃、鹿児島市の天文館から、鹿児島港までのウォーキングを楽しんだ。鹿児島県内の有数の繁華街「天文館」、そして「おはら祭」昨夜の賑やかさのあとでも、道路がキレイに清掃されている。ゴミ回収者もこんな朝早くから走っていることなど、朝からちょっぴり感動。
携帯電話の位置情報を確かめながら、鹿児島港へとひたすら歩く。
ここは4車線道路。宮崎では道路幅が3車線まで、目新しく感じた。ここは小学校校門前。自転車との衝突を避けるための柵が設けられていた。
西側に城山が遠く見える。
遠く桜島。手前は、海上保安庁の巡視船「まつかぜ」。
折り返して、市内中心部へ歩き始める。
路面電車が走るまち鹿児島市。ここ大黒町の交差点に建てられた龍馬とお龍二人の像。龍馬は、京都で危機に際したときに西郷に助言され、鹿児島に逃避行したが、それが日本で初めての新婚旅行のとなったとか。
出張や旅行、研修などを通じて、いろんな場所に出かける。朝のちょっとした時間を利用して、ウォーキング。昼間、夜とは違う表情を魅せる街並みを眺めると、二倍楽しめるように思います。
そんな小さな体験や感動が、旅をより楽しくしてくるように思います。そして、過去の足跡をブログで振り返るとき、過去の自分が今の自分を励ましてくれます。
6月の札幌。大通公園を歩く。北海道を知るには、開拓の歴史を知ることが必要だとガイドボランティアの羽田さんが教えてくれた。
明治になって開拓の地、北海道にやってきたのは、各藩の武士達。寒さや未開の地であったことから、苦労は絶えなかったという。
また、当時アメリカにとっては燃料となる鯨の脂、それにとっては不凍港のある北海道は、魅力的な土地だったという。
その北海道で、反映の石杖となったたくさんの方がいることを知った。札幌市の都市開発に関わり、「北海道開拓の父」と呼ばれる島 義勇(しま よしたけ)もそのひとり。くわしくはこちら
ちなみに、大通り公園は、札幌市の中心部に位置し、大通西1丁目から大通西12丁目までの長さ約1.5Km、面積約7.8ha(ヘクタール)の特殊公園です。特殊というのは、火気が使用できるのもそのひとつ。トウモロコシも路上で焼いていました。
92種約4,700本におよぶ樹木のほか、初夏の訪れを告げるライラックまつり、YOSAKOIソーラン祭り、雪まつりやホワイトイルミネーションなどが有名です。まず向かったのは、近くにある・・・
石川啄木の像。啄木は北海道で代用教員の職や小樽、函館の新聞記者としては働いた
”しんとして 幅廣き街の 秋の夜の 玉蜀黍(とうもろこし)の 焼くるにほいよ”・・・。
「美しき北の都」「住み心地最もよき所」などと札幌を讃えた心情が吐露されていると言われています。
三日月状の石の滑り台(上の写真)。緩い勾配の箇所は殆ど滑りませんが、急勾配の箇所はスピードが出るようです。
これはモエレ沼公園のデザインをした有名な彫刻家ノグチイサムの作品。オブジェとしてだけではなく、楽しめるのがいいですね。
ライラックはヨーロッパ生まれの落葉花木とのこと。一般に親しまれているライラックという名称は英名で、日本でも呼ばれているリラという名称は、フランスでの名称。花は枝先に穂状に多数つけ、芳香があります。公園では、ライラックまつりの準備がなされていました。
左がホーレス・ケプロンの像
アメリカ合衆国から開拓師教師兼顧問として参画した。アメリカの自宅から数十種のライラックを試験的に持ってきたという。ケプロンの仕事は多岐に渡り、北海道の道路建設、鉱業、工業、農業、水産業など、開拓のほぼ全領域に渡っている。
右は、黒田清隆の像
北海道開拓長官黒田清隆の銅像。米国の農務長官ホーレス・ケプロンが顧問として招聘したのは黒田清隆。参議兼開拓長官など、幕末、明治と活躍。第二代内閣総理大臣でもある。
1926年に札幌控訴院として建てられ、1973年から札幌市資料館として用いられているそうです。
たくさんの噴水のあるこの公園では、たくさんの方々がゆっくりと時間を過ごしている。
大通公園近くにある札幌時計台。当時は、ビルもないので町のシンボルとしての役割を担っていたようです。
遠い札幌の町をイメージしながら、当時はさぞ魅力的な場所だったのだろうと思いました。
札幌テレビ塔からの眺め。昭和32年というから61年前。札幌のシンボル的存在で、夜は美しくライトアップされています。
テレビ塔から大通り公園を臨む。天候にも恵まれ、ゆったりと過ごすこと3時間。8千歩近く歩いていました。
今回は、研修のため参加のため、1日早く北海道に着いた。そして小樽へと向かった。何故なら、15年程前小樽に来たことが忘れられない思い出のひとつだったからだ。小樽駅に着いた瞬間、肌寒く感じシャツをもう一枚もってくればよかったと後悔した。
小樽駅前から海が見える。なだらかな坂道となっており、まさに映画でみたような景色にこころが踊った。
海外からの観光客も数人すれ違ったが、平日のせいか混み合っている印象ではない。
小樽運河は、日本でも珍しい「埋立て式運河」。内堀を掘って出来た一般的な運河とは違い、海岸線を埋め立て、大正12年に完成。大きく湾曲しているのが特徴とのことだ。
写真でみた小樽運河の風景に、宮崎からここまできたのだと感慨深い。地元に人の話によると、こんな晴天は珍しいとのこと。乾いた空気とちょっと冷たい温度、宮崎では10月中旬の天気だ。
小樽運河から、石狩湾の眺める。太平洋とは違った風景に、30分間程、佇む。
煉瓦倉庫を活用したレストランが多数ならぶ。
栄町通り商店街を歩く。重厚な煉瓦倉庫に、お土産店やカフェなどが並ぶ。
ガラス工芸品の店、オルゴールの店などが立ち並ぶ。
SNOOPY茶屋 小樽店での一枚。
商店街の端にあるメルヘン広場。ここは常夜灯が目印。正面横の建物は、小樽オルゴール堂本館。
色内通りに戻る。ここは、旧三井銀行小樽支店前広場。かつての繁栄の場だったことは想像に難くない。
小樽駅を出発して4時間。ウォーキングのご褒美に生のタラバガニを使った、焼きタラバガニ。
皿一杯のカニ足、日本酒2合で3,000円内に収まる。
冬の小樽もまた、情緒あるものだろうと思う。小樽クルージング、青の洞窟観光、スカイダイブ北海道なども、経験したいものだ。
所属する宮崎「橋の日」実行委員会では、毎年地域にある橋はもとより歴史遺産などを巡るツアーを実施している。宮崎県内からスタートし、これまで長崎や熊本、大分などを訪問した。今年は、始めての海外。台湾へ3泊4日のツアーを組んで8名が参加した。
11月11日、ホテル前を6時に出発。
宿泊しているホテル(中央)ウォーキングは南京地区を河川側に向かって歩く。
夜明け前のビル街。出勤している方かな?
地下鉄の入り口。
横断歩道では、渡れる残時間を表示している。
講演で、同室メンバー2名とラジオ体操。公園では太極拳をされている方もいました。
ホテルの裏路地。
日本人を対象にしたお店が並ぶ。
夜は賑やかだった街も、朝は静まりかえっている。夜の顔と朝の顔、対照的なこの街。
所属する宮崎「橋の日」実行委員会では、毎年地域にある橋はもとより歴史遺産などを巡るツアーを実施している。宮崎県内からスタートし、これまで長崎や熊本、大分などを訪問した。今年は、始めての海外。台湾へ3泊4日のツアーを組んで8名が参加した。
ツアーの2日目、朝、4時50分。早起きの高齢者達は、高雄市内をウォーキングした。
港の近くということもあり、港まで出かけようと考えたが、無理をせずホテル近くを歩くことに。
高雄橋を渡る。
橋の上からの眺め。夜景がきれいです。
市港河濱公園
魅力的なウォーターフロント。景観が美しく整備されている。
セブンイレブンが、台湾のいたるところに出店。
この時間にも、多くの方がランニングをされている。
日暮れ時などは、大勢の人で賑わうのだろう。
異国の地で2度目のウォーキング。今回は2名の仲間と歩き思い出深いものとなった。
10月26日金曜日、翌日の研修のため、宿泊したホテルは横浜中華街の中にある。四方100メートルあまりの中に、数多くの店がひしめき合っている。この町でぜひウォーキングしてみたいと考えていた。まずは夜、中華街をうろうろして、五福臨の店の看板になんとなく惹かれ入店麺飯セットをオーダー。豚バラそば、チャーハン、ザーサイ、スープ、デザートの杏仁豆腐にて980円。
翌朝午前7時30分、ウォーキングスタート。
賑やかだった繁華街も静まりかえっている。ホテル前の道を抜けて、横浜ベイブリッジへ向かう。ちなみに中華街のとなりには横浜球場がある。
翌日には、横浜マラソンがあるとのこと。後で調べたところ台風のため中止になったとか。
海へ向けてひたすら歩く・・・。
横浜ベイブリッジが見えてきた。ウィキペディアによると、「横浜ベイブリッジ(よこはまベイブリッジ)は、1989年(平成元年)9月27日に開通した神奈川県横浜市にある長さ860m(中央支間長460m)の斜張橋(吊り橋)である。東京港方面と横浜港を結ぶ港湾物流の一端を担うことにより、都市部の渋滞を緩和する重要な輸送路である」とのこと。
左の塔がマリンタワー。停泊している船は、日本郵船氷川丸。
山下埠頭をひたすら歩く。遠く、赤煉瓦倉庫やパシフィコ横浜が見える。
横浜ベイブリッジが見える。台風の影響であいにくの曇り空。
埠頭を吹く風が冬の訪れを告げているかのように、冷たい。1853年米国ペリー提督浦賀に来航によって歴史の表舞台にでた横浜港。
当時は、当時の横浜は、港の施設がほとんどない小さな漁村だった。
現在では、港とまちの調和をはかり、新しい横浜のウォーターフロントをつくり出す「みなとみらい21計画」「大さん橋ふ頭再整備事業」などが進められました。
また港には欠くことのできない臨港道路をはじめ、市民に親しまれる港とするため、帆船日本丸・横浜みなと博物館、赤レンガ倉庫、臨港パーク、象の鼻パーク、海の公園、八景島、海づり施設などが整備され利用されています。(横浜市港湾局ホームページより)
最近まで気持ち良かった朝の温度も、台風が過ぎてからは、その清々しさを吹き飛ばすかのように、冷たい空気を運んできた。
しかし、凜と締まった朝の空気は、今日も一日頑張ろうという気持ちにさせてくれる。
これから、更に冷たい朝を迎えることがあるかと思うが、気持ちを引き締めるには良い時間だと改めて思う。
運動と歩きながら、凛とした空気の中でさまざまなことを考えるひととき、これもウォーキングの魅力である。
2017年8月26日午前6時30分、自宅周辺を歩く。体力つくりになるだけでなく、歩きながらさまざまなことを考えることができる至福の時間でもある。特に、少しづつ秋の気配を感じるこの時期は、身体全体に涼しい風と朝の引き締まった空気感の中、ちょっと儲けた気分になる。
偶然、トンボを撮影することができた。
6月27日、長女の結婚式のため訪れた福岡・天神。美しい街並みを歩いた。
中州の明治通り、水上公園。
アルコールを飲みながら、読書できるお店RETHINK。
ここは、イムズホール12F.テラッサ。昼はカフェ、夜はワインなどが楽しめるスペイン風バル。
女性に人気の韓国料理の店で、冷麺を堪能。
地下街を歩くも広く、ナビを頼りにやっと出口にたどり着く。
水上公園にあるおしゃれな1Fのカフェへ。
カフェラテ、幸せな気持ちに・・・。
近くには一欄本店もあり、行列ができていました。
ウォーキングを始めて3年目。朝や夕方、お昼など時間を見つけて歩いている。
この日の朝は、空気の冷たさとおいしさ、そして、なんとも言えない爽やかさ、そして達成感。幸せだなと感じる瞬間がある。しかも無料。こんな朝があるから、続けていけるのかも知れない。ウォーキングで時折感じるこの気持ちよさは、何事にも代えがたいものである。
何かと忙しく過ぎていく毎日。そんな日々の中で、考える時間、振り返る時間が必要だと思う。歩くことは、健康にもつながるが、歩くスピードで考えるということがもっと大切なことではないだろうか。