もう年も前のこと。総務庁(現内閣府)青年の船の事業に参加した。この船の事業は日間、船内で様々な研修をしながら、寄港地ヵ国(オーストラリア・ニュージーランド・西サモア・トンガ王国を訪問・研修をおこなった。旅も終盤になった頃、思いもよらぬ体験をしたので思い出を記したい。
10日余りで下船することもあり、乗船記念に、何か自分らしいことをしてみたいと考えていた。
(旅の航路)
色々と考えた末、給油地のグァム島で日間の自由時間で何かとしようと考えた。そして、グァムの街をキレイにすることで、この町のことがわかるかも知れないと考え、清掃を行うことにした。枚のゴミ袋を準備し、片道だけのタクシー代と昼食代だけを手に船を後にした。
いよいよ、街の中心部から作業開始。
あるある。ゴミが多いのにびっくりした。分程で用意した10枚の袋は満杯になり、作業を終えた。その後昼食を済ませ、船までの道、約キロを歩き始めた。
不思議な事に、船までの帰り道でセント硬貨を何度も拾った。途中知り合ったメンバーとこの不思議な話をした後でも、他のメンバーは見つけることができないのに私だけが50セント硬貨を見つけた。本当に不思議だった。
お昼の食事代を使ってお金を持たなかった私が、いつのまにか裕福になり、皆で、飲食店に立ち寄った。
(硫黄島)
店主である老人と話がはずみ、最後に戦争の話となった。当時グァムも(老人が17歳の頃)太平洋戦争中で、目の前で、親そして数多くの友人達を失くした事などを聞いているうち、いち個人としてではなく「日本の青年」としての立場で聞いている自分に気づいた。 謝罪の言葉が、自分の立場で言えるだろうかと。
また日本へ帰路の途中、激戦地硫黄島を間近に見た。弾丸を受けた為、生々しく変形した山々。中でもバンザイクリフと呼ばれる崖は、戦時中追いつめられた多くの日本人が、自決した場所と聞いた。その時の心理状態を察する事など、とても出来ないが、幸せな今を感じることができた。
(洋上戦没者慰霊祭の様子)
これまで戦争を頭では理解していたものの、自分なりの感じ方が出来た。そんな事もあり、日本も間近にせまった3月12日に行なわれた「洋上戦没者慰霊祭」では、その意義を少しでも理解しようと努めた。戦死した人達は、その頃ちょうど私達位、若しくはもっと若い世代だったと聞き、たとえ日本の為だとはいえ、一つの死という真理の前に戦慄に震えた事だろう。
同じ世代として、「酒もタバコも、もっと欲しかっただろう・・・」とそんな気持ちが心の中をかけめぐった。そして感じたまま、一本のタバコに火をつけ、海へと流した。それを見た友人も心が通じのか何も言わずに海へとタバコを流していた。
拾ったお金がその店に引き寄せた気がしてならない。そして、その経験がその後の活動に大きな意義を与えてくれた。
不思議な体験と出会い。この旅では自分から具体的に動くことが大切だと気づいた。
この「青年の船」事業参加後、この事業で得たものを活かして、さまざまな活動に参加している。その中でも「インド国際子ども村ハッピーバリー」活動では、音楽を通して、テーマソングの作詞を担当した。たくさんの方々に歌っていただいている。
地球が夢見てる Piaceful World
作詞:鶴羽 浩 作曲:瀬尾ただみ
小さな瞳の大きな地球が 夢見てる
楽しい世界と輝く明日 ラ・ラ・ララ・・
手と手を合わせれば 命の音が聴こえてくるよ・・・
※Piaceful World 誰もが
Piaceful World 平和の世界を望んでる
Piaceful World みんなで
Piaceful World 新しい世界を見つけよう
ちいさな体のでっかいこころが 夢見てる
きれいな花と美しいまち ラ・ラ・ララ・・
見つめあえばわかるさ 生きていること 歩いていること・・
※