あしたのタネをまく、アシタネブログ!

今日よりちょっといい、明日にしませんか

今年最後の音楽ライブ出演!

2022年12月28日 05時12分16秒 | アコースティックライブと音楽
今年のギャラリーカフェTOMOライブも12月25日(日)で終了❗️ 
コロナ禍の中、数ヶ月演奏できない期間もありましたが、今月はクリスマスライブをおこなうことができました。



今年で10年目となる第4日曜日開催のアコースティックライブでした。昨年からは、伴奏をギターからピアノに変えて演奏しています。練習時間を確保するのが大変ですが、スキマ時間に練習しながら続けています。

また、今回は、クラシック音楽の名曲、パッヘルベル作曲の「カノン」への挑戦。6ヶ月間の成果もあり、無事、最後まで演奏することができました。



最後のライブは、1年間のイギリスでの留学から帰国した高橋さん、オカリナ演奏の甲斐さん、ギター弾き語りの津田さん、そして私の4組にて終えることができました。



ライブでは、それぞれのメンバーから、磨き上げられた楽曲を聞いたり、音楽に対する姿勢など、この時間があることで自分自身を振り返り、これからのことなどを考えることができます。普段は、仕事のことで精一杯ですが、この時間だけは、自分に返ることができる空間かと感じています。

皆さんは、いかがですか。ふと振り返る時間はありますか。これまで、感じていませんでしたが、自分にとっては大切な時間かと思うようになりました。

(店内に展示された販売用陶器)

来年も、楽しいひとときをつくるため、準備していきます!

セミナーの様子が写真にて掲載されました!

2022年12月20日 11時13分10秒 | 合同会社アシタネプロジェクト
宮崎県産業振興機構の事業案内にセミナーの写真が掲載されましたので、紹介させていただきます。

現在、私は公益財団法人宮崎県産業振興機構の専門家として、主に県内企業の人材育成、組織開発への支援などをおこなっています。


なお、同機構は中小企業の経営課題に対する相談・助言や新事業の創出など、宮崎県の産業の振興を図るため、以下の6つの柱を中心として事業を展開されています。各県にも同じ支援団体がございますので、ご活用ください。

企画展「成田亨 美術/特撮/怪獣- ウルトラマン創造の原点」(再掲)

2022年12月17日 17時51分22秒 | 出会いと経験



「ウルトラマン」シリーズなどで個性的なヒーローや怪獣、メカなどをデザインした成田亨(なりたとおる) の初期から晩年までの創作を網羅した企画展「成田亨 美術/特撮/怪獣- ウルトラマン創造の原点」を先月、観に行った。成田亨はウルトラマンのデザイナー。本業は彫刻家。

ちらしの紹介文を転載し概要の説明としたい。
「成田亨(なりたとおる 1929~2002 青森県出身)という芸術家をご存じですか。ウルトラ怪獣のデザイン画を描いた人、といった方が分かりやすいかもしれません。彼は武蔵野美術大学で絵画、彫刻を学んだ気鋭の彫刻家でした。同校在学中にアルバイトで映画「ゴジラ」(1954年)の制作現場を手伝ったことをきっかけに、彫刻制作の傍ら特撮映画の世界にも身を置くようになり、1966 年から68年にかけて制作・放映された特撮テレビ番組「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」では、主人公の超人、宇宙人、怪獣、そしてメカニックやセット等のデザインを一手に引き受けます。「ガラモン」、「ウルトラマン」、「バルタン星人」などのキャラクターが誕生して半世紀が経過しようとしていますが、それらは世代を超えて今も親しまれています。それは、彼が芸術家として吸収した同時代美術や西洋モダンアートにより培った造形センスを惜しみなく怪獣デザインにつぎ込んだからに他なりません。

しかし、そうした特撮関連の仕事に注力する一方で、成田の絵画や彫刻への情熱はむしろ高まります。多数の油彩画、水彩画を描きながら、彼は古今東西のモンスターへの関心を深め、モンスター関係の作品も数多く制作しました。それは1990年制作の巨大彫刻「鬼モニュメント」(京都府福知山市)に成就しました。
成田亨と言えば、これまで「ウルトラ」の仕事ばかりに注目が行きがちでしたが、本展では、成田亨という1人の芸術家が歩んだ軌跡を多彩な内容でお届けします。青森県立美術館所蔵のウルトラ関係デザイン原画187点をはじめ、「ヒューマン」、「バンキッド」など特撮関連のデザイン原画や未公開の怪獣デザイン原画、手元に遺した絵画、彫刻、そして本展のために再現された特撮セットも加えた総点数700点により、非凡なる才能を秘めていた奇跡の芸術家の知られざる全貌に迫ります。

展示作品数が多いのでどうか時間に余裕を持ってお越しください!」



回顧展で紹介されていた本や紹介文の一部を3テーマ掲載します。

デザイナーについて
デザイナーというのは忙しくなれば、モノを考える事もモノを探すヒマもありません。ただ目先の処理で一杯になってしまうのです。だからヒマな時に自分の引き出しを一杯にしておくのです。ヒマな時というのは必ずお金がありません。無くても無い中で何とか苦面(ママ)して引き出しをふくらませるのです。ヒマな時に引き出しに何をしまったかが、それ以後のデザイナーの価値を決定します。(続く)



(続き)
私は群れを作っての飲み歩きとか、麻雀とか、殆どしません。ヒマなときは引き出しを開けて、何時役に立つか判らないこういう資料を開けて、一人でニタニタしているのです。暗いのです。(以上)

これはデザイナーというより、仕事師として大切なことだと思う。アイデアの引き出しは多い方がよい。その引き出しをつくるのは普段の努力しかない。
芸術家であり、そして哲学の人でもある成田了氏。学ぶべき点が多い。



成田亨の人間観
私は、人類は進歩しないものだと思っています。進歩しないで変化してゆくものだと思っています。職を求める為に働き、恋に喜び、失恋に泣き、友と語り、嫌な奴と働き乍ら、一人一人は成長してゆきますが、人間そのものはメソポタミアの文明開化以来同じことをくり返しています。(続く)



(続き)
 しかし科学は進歩します。日進月歩、昨日のものは無価値です。科学技術の進歩は生活を変えます。革新的な技術の発達の中で、人間は人間全体の発展進歩だと錯覚して、ボケてゆくのです。営々として生きる本来の人間の姿を忘れてゆくのです。



(会場入り口付近の様子。受付隣のモニュメントが印象的)

怪獣のデザインについて)私は人間は進歩するものだと思っていません。人間は進歩はしないで、変容してゆくのだと思っています。
変容してゆく人間の本質って何だろうか? 私には判りませんが、人間の本質とか人間と自然が滅ぼした動物のことなどを考えながら、私は怪獣デザインをします。

ウルトラ怪獣のデザインをするに当たって、3つの規範を定めました。

1 怪獣は怪獣であって妖怪(お化け)ではない。だから首が2つとか、手足が何本にもなるお化けは作らない。
2 地球上のある動物が、ただ巨大化したという発想はやめる。
3 身体がこわれたようなデザインをしない。脳がはみ出たり、内臓むき出しだったり、ダラダラ血を流すことをしない。

「どんな困難に遭っても健全な子供番組を作るためには、この3原則だけは守ろうと思いました」と記載されている。

ウルトラマンの看板に見せられて入った美術館。得るものが多かった回顧展である。次回は今秋、青森県立美術館で公開予定とのこと。


地域のお宝再発見ツアーin西諸・東諸(2日目)

2022年12月10日 11時12分26秒 | 旅、風景写真
2日目は、都城市立図書館見学からスタート。


この図書館、2004年に完成したショッピングモールを改装し、ホールの開放感をそのまま生かしつつ、通路は専門店が並んでいたように、産業や芸術などカテゴリーごとの書棚が続く構成へと変えたそうです。見学にあたっては、井上館長より直々にお話を伺いました。


コンセプトは「歩いて楽しいストリート」。通路沿いの棚を店先のショーウィンドーに見立て、各カテゴリーでお薦めの本を置き、奥の書棚へと誘うように工夫されています。年間200ものイベントが催されており、当初17万人だった年間利用者も、開設から5年半で50万人を越えているとのこと。

        梶山橋(三股町長田梶山)
橋の長さ31.6m、幅3.2mで、梶山地区と中野地区を結ぶ石橋として昭和16年(1941)11月に建設されました。 大小二連のアーチ橋で、水面に映るその姿から通称「めがね橋」とも呼ばれます。

長田峡(三股町梶山)
長田峡は、大八重、乱れ淵から梶山の矢ケ淵まで10kmにも及ぶ長い峡谷。鰐塚山系の豊富な地下水、鳥のさえずりと新緑や紅葉など季節の移ろいを楽しめそうです。カッパの伝説も残っています。


焼酎の里 霧島ファクトリーガーデンで昼食。メニューはこちら


霧島酒造の工場見学。1時間、無料。予約制で、焼酎の試飲もできますよ。


焼酎の試飲コーナー

Ⅰ泊2日の旅。午後4時に宮崎市内に到着。次回は、2~3月に四国ツアーを企画中。

地域のお宝再発見ツアーin西諸・東諸(1日目)

2022年12月04日 09時29分42秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
今年で11回目となるツアーは、11月19日(土)~11月20日(日)にわたり、小林市からえびの市、都城市、三股町を巡りました。ツアーでは、岩瀬ダム、東方大丸太鼓橋、月の木川橋、JR大畑駅・矢岳駅、都城市立図書館、梶山橋などを見学しました。
       岩瀬ダム(野尻湖)

大淀川下流の水害軽減(治水)と発電(利水)を目的とし昭和42年7月に完成しました。管理開始から50年以上が経過し宮崎県にて管理されています。岩瀨ダムを含め、宮崎県が管理するダムが13あり、九州電力に売電しています。

       旧岩瀬橋(小林市野尻町)

旧岩瀬橋は、明治25年に宮崎~人吉間の道路整備事業で建設されたのが始まりです。 建設当時は、切石積みの橋脚と木製の橋桁でした。 橋の西側にある水神碑は、当時、橋の建設に携わったとされる石工の名が記銘されています。 その後、大正14年に上部構造の建替えが行われ、当時としては最新技術を用いた鉄骨トラス構造の橋になりました。歴史的にも建築学史的にも貴重な文化財です。

        東方大丸太鼓橋(小林市東方)
大丸太鼓橋は、浜ノ瀬川に架かる石橋で、鹿児島県の豪商森山新蔵が私費で弘化4年(1847)に竣工させたものです。この橋は水路橋で、元は木造樋で通水していたが、洪水のたびに補修が必要で、また人馬は樋を渡れないため、上流の釣り橋を通行しなければならず危険でした。橋の完成後、大丸水田への用水、人馬の便は画期的に改善され、森山はその功績から侍に取り立てられたが、その後、息子の新五左衛門が京都の寺田屋騒動に関わって死んだことから、父新蔵も連座して切腹したそうです。


        石氷橋(小林市北西方)
石氷橋は、明治25(1892)年に木造でかけられ、その後昭和18(1943)年に現在の石造の太鼓橋となり、石氷川(岩瀬川支流)に架けられました。この橋は二連アーチ橋で、水面に映る影が眼鏡に似ていることから、別名眼鏡橋とも呼ばれています。


        月の木川橋(えびの市大河平)
昭和3年に架けられた石造りの3連アーチ橋です。正式名称は「月の木川橋」。全長58.2メートル、橋高17.2メートル。木材でやぐらを組んだ基礎に50センチメートル角の石を積み重ね、アーチの中央には5角の石を組み込んでいます。
鹿児島県串木野の肥田佐兵衛氏が請負、切石は、この有島川の上流から木馬で運び出されたと言われます。軌道は、昭和37年に廃止され自動車が通るようになったが、安全上の理由で通行止めとなり、現在、人だけ通る道となっています。国有形登録文化財。

         道の駅えびのにて昼食
季節に応じた旬の食材を丁寧に仕立てたバイキング。雄大な霧島連山を眺めながら、えびの産の新鮮な食材を使った多彩な料理をいただきました。

       JR矢岳駅(人吉市矢岳町)

険しい区間の多い肥薩線の山線の中で、最も標高の高い場所(536,9m)に位置する矢岳駅。


明治時代の典型的な平屋建ての駅舎が特徴で、駅構内には「D51-170号」が展示されたSL展示館。機関車を間近で見て、その大きさを感じました。

         JR大畑駅(おこばえき)人吉市大野町

日本で唯一、ループ線とスイッチバックを併せ持つ秘境駅。「こば」とは焼畑を意味した言葉で、その昔大きな焼畑があったことからこの地名が付けられたという説があります。自分の名刺を貼ると出世するという話から、駅舎には大量の名刺が貼られています。


大人気マンガ(アニメ)「夏目友人帳」にこの駅は登場することもあり、世界各国から聖地巡礼をする方が訪れているとのことです。


午後7時、宿泊先のホテルテラスタに到着。ホテル前では、イルミネーション点灯式と重なり、ライブイベントなどがおこなわれていました。