あしたのタネをまく、アシタネブログ!

今日よりちょっといい、明日にしませんか

捨てられない!

2018年11月29日 06時44分28秒 | ひとりごと

師走が近づくこの頃。毎年、この時期になると新聞の切り抜き、読み終えた本、研修等の配布資料などが積み上げられていく。

いつかは役に立つかも。そう思いつつ幾年月。狭くなる家、部屋。整理整頓の本なども読むが、改善はなかなか進まない。

ある整理本の診断アドバイスによると・・・「焦りや、はやる気持ちを抑えること、必要以上の成功願望、名誉欲を捨てること」と書いてあった。

確かに、あれもこれも・・・という必要以上の思いが、そうさせているのかも知れない。そしていつか、この身さえも捨てていくというのに・・・。



キャリアコンサルタント資格更新研修、3日連続で受講。

2018年11月28日 07時07分44秒 | キャリアコンサルタント


(東京駅八重洲口)

現在、同資格を3年前に取得して、セミナー講師として、またカウンセリングに活かしている。しかし、世の中の変化の波が働く人のキャパシティを越えて、さまざまな影響を与えているように感じられる。そのため、この国家資格キャリアコンサルタントの登録を継続するためには5年ごとに更新を受けることが必要で、更新を受けるためには、以下のA及びBの講習を受ける必要がある。
A. キャリアコンサルティングを適正に実施するために必要な知識の維持を図るための講習につき8時間以上
B. キャリアコンサルティングを適正に実施するために必要な技能の維持を図るための講習につき30時間以上となっている。

今回、B講座を受講するため、東京にて11月23日から25日までの3日間、「アサーション」「キャリアコンサルティングの現場で使えるグループワーク」「キャリアストーリーインタビュー」の3講座、合計19時間を受講した。一方、全国より集まった参加者は、それぞれ専門職(保健師、専門機関の相談員、大学の講師)の方々が集まっており、情報交換の場ともなった。今回の講座の内容はいずれも実践的なものばかりで、支援の現場で活用できるスキルであった。よって今後、どう深めて実践に活かすかが課題である。

講師より、3講座の理論の根底に流れる考え方に「社会構成主義」があるとの説明があり、どのような関わりがあるのかと調べてみたくなった。ウィキペディアの一文を借りると、「本質的で客観的な真理」は人間にとっては直接観察不能であり、何らかの枠組みによって観察されざるをえないのであるから、問題はどのような社会的枠組みに依拠しているのかといった足場に向かう議論とある。
カウンセリングにおいては、主観的な経験と感情に価値、文脈が重要、仕事と生活を全体とみなすという考え方である。ナラティブアプローチやサビカスのキャリア構築理論は、クライエントのこれまでの経験や感情に価値を置き、人生という全体の文脈の中でクライエントを理解するということから、正しく社会構成主義が下敷きになっていると言っていいだろう。

クライエントが見ている環境、感じている環境、主観がクライエントをつくっている。そう考えると、クライエントが語るキャリアストーリーと意味、主観性に価値、事実と同様に感情も重視することで、クライエント自身がつくり出すキャリアを支援することがカウンセラーの役割となってくるのだと思う。まだまだ理論の入り口に入ったばかりではあるが、人や社会への新しい捉え方や枠組みへの興味が高まっている。

すべては、支援に活かすために、その人らしい生き方を支えるために、学びを深めたい。


池袋駅周辺の空

2018年11月27日 03時28分52秒 | 旅、風景写真

2018年11月23日 池袋駅周辺の空。気温10度位。

池袋駅東口駅前。20年程前に一度来た時とは印象は違い、賑やかなまちになっていた。ウィキペディアによると「2017年度の各社合計の乗降客数は約267万人であり、新宿駅、渋谷駅に次ぐ世界第3位の乗降人員である。相互直通運転による通過人員を除いた場合、新宿駅に次ぐ世界第2位の乗降人員である。1992年度をピークに近年は利用客数が減少傾向にある」とのことです。

11月25日 朝9時。水道橋駅から東京ドームシティアトラクションズを臨む。東京ドームと隣接しています。以前は、後楽園ゆうえんちと呼ばれていましたが、2003年に現在の名称に変わったとのことです。

写真の中央のアトラクションは、ビッグ・オーとサンダードルフィン。たくさんの親子連れが並ぶ。みんなどんな一日を過ごすのだろう。

日本もアメリカもヨーロッパも同じ空でつながっている。日本人?地球人?。そんな想像をしながら空を見上げた


ある時の立ち話に身につまされる。

2018年11月25日 06時00分05秒 | ノンカテゴリー

自宅の浴室が水漏れしているので、知人に職人さんを紹介してもらった。塗装、大工、室内装飾、3人の職人が入れ替わり、作業をしていただいた。平均年齢は、60台半ば。お互い立ち話で近況などをお伺いした。

70歳。大工の話。
「個人事業主で国保だから、年金が安いのよ。働かざろう得なくてね。こどもが独身なんで心配だ」「生活保護も受ける選択肢もあるけれど、家があるし、身内に扶養できない環境でないと、受けられないらしい。俺は無理だ」「うちの兄が認知症になってきた。先日兄夫婦を連れてドライブした。高速道路を走行中、途中で何度もトイレにいきたいと声を荒げる。しかし、トイレは数分前済ませたばかり。次のトイレまで場所がないので苦労する。そのうち嫁から、兄が怒られて、もうドライブにはいかないという。兄嫁から、弟さんから話してみてと言われるが、兄は聞く耳をもたない」

「身近に家の近くで「小」をする方がいる。あんなにはなりたくないがこればかりは、どうしようもない。そういえば、近くの森で自殺する人が多いと聞く。先日は、サーファが自殺者を助けたが、退院の翌日、首を吊って亡くなった。死ぬことを決めている人は、止めることができない」

65歳の塗装職人。
「嫁から今月いくら稼げるのと、言われるが、そんなに仕事がある訳じゃない」「身体が弱ってきているので、週3日など、間をあけないと続かない」「家は借家がいい、一戸建てはメンテナンス費用がかかる、でも家がなかったら今の年金では生活できない」

 改めて、老いていくことへの恐れ、それは健康であったり、お金の問題であったり、家族の問題であったり、悩みは尽きない。それでも、手に職があるだけで、良いと人からは言われるという。

 30代後半の世代の消費が落ちていると、厚労省の統計にでていた。こんな親達世代の姿を自分の未来に重ね合わせると、消費は控えるよな・・とふと感じた。

お互いボケないように、仕事しましょう。仕事が一番の薬だからと、職人さん達と笑って別れた。


来年○○○○。みんないい顔

2018年11月21日 05時56分41秒 | 家族、仲間の話題

1年に一度、顔を合わせる仲間がいる。青年会議所のOB,OGで、同い年のメンバー13名でこの会をつくっている。
しかし今年は、初めて2回目の集まり。それというのも、来年還暦を迎えるため、そして19年間お世話役をつとめていただいているOさんへの区切りという意味もあった。

会では、お互いの近況や仲間の話題、そしてこれから迎える還暦のことなど、2時間という瞬く間に過ぎていった。

卒業してから20年あまり、変わったのは白髪交じりになったことくらいで、みんな元気で明るい。これからも同じように年をとりながら、そしておいしいお酒を飲みながら、いろんなことを分かち合っていければと思う。


伝えることの意味とは

2018年11月20日 05時04分05秒 | ひとりごと

「橋の日」活動写真集完成しました。今年度の活動も、紙芝居の上演者育成研修と、2月の防災イベントへの参加などを残すのみとなりました。

このように記録に残すようになったのは、ある出来事がきっかけ。それは20代の頃のこと。
私は、当時ローターアクトクラブという世界的な青少年活動グループに所属して活動をしていました。毎月第2日曜日、町の玄関口である駅周辺を清掃していました。ある日のこと、清掃中に近くを通りがかったタクシーのドライバーから、「カッコつけて」と言われました。行事として活動しているので、特にそんな意識はなかったので、その言葉を気にしませんでした。

清掃終了後、いつものように近くの交番に清掃の終了の挨拶へ伺いました。そこで、たまたま今日タクシードライバーのひとことについてもお巡りさんにお話しました。するとその方は、「あなた方が清掃するのはとても大切なことだと思います。でももっと大切なことがあります。それは、あなた方のように若い人が掃除をしていることを周りの人達が見て、何かを感じることです」との言葉をいただきました。

その時から、活動の内容をわかりやすくタイミングよく伝える「広報」活動について、価値を見出すようになりました。

さて、「橋の日」活動もあと4ヶ月あまり。「福島邦成と橘橋」、「とんところ地震」の紙芝居は年間を通じて上演をしています。宮崎市内でしたら、お伺いできますのでお気軽に声をかけてください。


地域のお宝再発見ツアーin鹿児島 2日目

2018年11月19日 05時57分16秒 | 旅、風景写真

ツアー2日目。本日はNHK大河ドラマ「西郷どん」ロケ地を巡るツアーが中心です。まずは、 維新ふるさと館へ。

鹿児島市加治屋町に平成30年1月11日(木)リニューアルオープンした維新ふるさと館。甲突川河畔にあるこの施設は、幕末から明治維新に活躍した西郷隆盛や大久保利通などの出身地であり、「維新のふるさと」とも言える加治屋町に位置しています。近代日本の原動力となった鹿児島の歴史や先人たちの偉業などを、映像・ジオラマ(模型)・ロボットなどハイテク技術を使った多彩な展示・演出によって、楽しく分かりやすく紹介しています。

祇園之洲石橋公園の西田橋にて(鹿児島市浜町)記念撮影。

 この西田橋は、弘化3年(1846)建設。鹿児島市の中心を流れる甲突川には、江戸末期、肥後の名石工「岩永三五郎」指導のもと建造された5つのアーチ石橋が架けられていました。なかでも「西田橋」は、城下の表玄関として豪華に建造され、あの「篤姫」もお輿入れの時渡ったといわれます。150年の間現役の橋として県民に親しまれてきましたが、平成5年(1993年)8月6日の集中豪雨により、2橋が流失してしまいました。残った「西田橋」など3橋を移設・復元し、併せて石橋の架橋技術や当時の歴史をわかりやすく伝える「石橋記念館」を整備した公園です。

 高麗橋 弘化4年(1847)建設

 【 岩永三五郎像 】
天保11年(48歳)、石橋を架けるために薩摩藩から招かれます。家老のずしょ調所笑左衛門広郷の命を受けて、抱真橋を架ける途中、築造中に大水が出て、橋が流されそうになった時、三五郎は荒れ狂う濁流の中に飛び込み、川底にもぐって橋の土台の部分を調べたといいます。その功労により薩摩藩より苗字帯刀を許されます。

三五郎には円周率の計算をはじめ理論と技術にたけていただけでなく、石づくりへの気迫が感じられます。こうして三五郎は甲突川五橋など37の眼鏡橋を架橋しています。 三五郎は57歳で薩摩から肥後へと帰る途中、薩摩藩の内情を知りすぎたために刺客に襲われますが、三五郎の人柄をよく知っていた刺客はどうしても彼を殺すことが出来なかったというエピソードが残っています。

 【仙巌園】上記写真は、御前相撲の様子を再現した菊人形

 レンストラン松風軒にて、黒豚ロースカツセットをいただきました。 鹿児島県産の黒豚をつかったトンカツ。

【仙巌園】
1658年19代薩摩藩主・島津光久によって築かれた別邸です。約50、000平方メートルの敷地面積で、桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた雄大な景色がとても素晴らしいです。反射炉跡を含む旧集成館は2015年に世界遺産に登録されています。

【隼人塚史跡公園】霧島市隼人町内山田
3メートルほどの小高い丘に3基の石塔とそれを守るように4体の石像が鎮座する国の史跡です。大和朝廷に平定された隼人族の霊魂を供養して災厄を免れるために建てられた供養塔と伝えられてきましたが、平安時代の仏教遺跡と考えられるようになりました。

石塔の四面には丸みを帯びた穏やかな姿の仏像が彫られています。約800年前の創建当時に近い姿に修復され、五重塔三基と四天王像が再現されています。本来、塔は仏の世界を表し、それを邪悪なものから守るために四天王の像が置かれます。平成6年第1次発掘調査が始まり、平成11年12月に修復作業が終了しましたが、現在は工事中でした。

2日間にわたる旅行。複数メンバーで旅行するのは、個人的には1年で1回だけです。添乗員役も担っていることから、楽しい旅行ができるには準備が大変です。今回も多くの方の手を煩わせながら、訪問先、ホテルの手配、宴会場の手配などをおこないました。毎回思うことですが、ちょっと踏み込んで準備することで、とても喜んでいただけると思います。ある方は「利他的」とも言われますが、喜ぶ顔に喜ぶ、そんな人に近づこうとすることで、自分自身も周りの方も笑顔が増えるように思います。

来年は、四国または北九州を予定しています。


地域のお宝再発見ツアーin鹿児島

2018年11月18日 20時14分21秒 | 旅、風景写真

2018年11月3日(土)~4日(日)、所属する宮崎「橋の日」実行委員会で「地域のお宝再発見ツアーin鹿児島」をおこない12名が参加しました。宮崎県南の日南・串間市から始まったこのツアーも今回で7回目になりました。お天気にも恵まれ、土木遺産、歴史遺産、そして西郷どんのロケ地へも足をのばしました。夜には天文館にて、鹿児島の夜を楽しみました。

【曽本の滝】高さ12m、幅210mの壮大なスケールを誇り、別名「東洋のナイアガラ」とも称される曽本の滝。その壮観な水しぶきに映る紅葉が見事です。また、曽本の滝は「平成百景」にも選定されています。

お食事処なりざわさんにて、釜飯定食(天ぷら付)。地鶏と野菜を煮込んだ出汁で生米から炊き上げた釜めしと揚げたての天ぷらをセットにした定食です。1,050円

【曽木発電所遺構】鶴田ダムの上流約9kmの場所に、初夏から秋にかけてだけ姿を現す赤レンガ造りの建物があります。明治42年(1909年)、牛尾大口金山の電源供給のために建造された水力発電所の跡です。 現在のチッソ(株)や旭化成工業(株)の設立者である野口遵(のぐちしたがう:1873年~1944年)によって設立された曽木電気(株)の第二発電所として建設され、曽本の滝の落差を利用した水力発電を行っていました。

【黒之瀬戸大橋】阿久根市一出水郡長島町
・形式:鋼トラス・橋長:502.0m・最大支間:300m ・完成:1974年。黒之瀬戸は、潮の流れが早く、最大流速は8ノット。長島町は人口約15、000人で橋を架けることが島民の長年の夢でした。1970年4月より4年の歳月をかけ1974年の4月に完成。橋の色は薄いブルーで風景に溶け込み美しい調和をみせています。

【江之口橋】薩摩川内市高江町江之口 嘉永2年(1849)建設
「当時この一帯は、洪水で多大な被害を受けていたため、薩摩藩は弘化5年(1848)4月から、この八間川の治水工事に取り掛かりました。江之口橋は、この工事の一環で、嘉永2年(1849)8月、肥後の石工・岩永三五郎によって架設されました。工事の詳細は、親柱付近の水神碑に記録されています。
・長さ:16.9m ・幅:3.95m

【浜田橋】日置市吹上町永吉  大正2年(1913)建設 
・長さ:42.13m ・幅:4.32m

古めかしいレンガの橋脚が川の中に残っています。これは鹿児島本線・伊集院と、指宿枕崎線・枕崎を結んでいた鹿児島交通線、通称「南薩線」の鉄橋跡です。 この線は1984年に廃止されました。

【サンセットブリッジ】南さつま市加世田高橋
万之瀬川河口にかかる全長405m、幅6mの歩行者です。自転車専用斜張橋であり、1993年(平成5年)7月に完成しました。周囲には広大な干潟が広がり、天然記念物のハマボウの群生や野鳥を見ることができます。夕方、東シナ海に沈む夕日に照らされて浮かび上がる橋のシルエットが美しいです。残念ながら道に迷い、夕日の沈む時間には間に合いませんでした。

午後7時頃、鹿児島中央駅に到着。ホテルまであと少し。



ツアー参加者で天文館へと足をのばしました。日付の変わる頃まで、みんなで盛り上がりました。今日は結構歩きましたので、ホテルに帰ったらすぐ眠りました。


鹿児島市内ウォーキング

2018年11月11日 19時23分23秒 | 楽しむウォーキング

朝7時、ようやく周辺が明るくなった頃、鹿児島市の天文館から、鹿児島港までのウォーキングを楽しんだ。鹿児島県内の有数の繁華街「天文館」、そして「おはら祭」昨夜の賑やかさのあとでも、道路がキレイに清掃されている。ゴミ回収者もこんな朝早くから走っていることなど、朝からちょっぴり感動。

携帯電話の位置情報を確かめながら、鹿児島港へとひたすら歩く。

 ここは4車線道路。宮崎では道路幅が3車線まで、目新しく感じた。ここは小学校校門前。自転車との衝突を避けるための柵が設けられていた。

西側に城山が遠く見える。

遠く桜島。手前は、海上保安庁の巡視船「まつかぜ」。

折り返して、市内中心部へ歩き始める。

路面電車が走るまち鹿児島市。ここ大黒町の交差点に建てられた龍馬とお龍二人の像。龍馬は、京都で危機に際したときに西郷に助言され、鹿児島に逃避行したが、それが日本で初めての新婚旅行のとなったとか。

出張や旅行、研修などを通じて、いろんな場所に出かける。朝のちょっとした時間を利用して、ウォーキング。昼間、夜とは違う表情を魅せる街並みを眺めると、二倍楽しめるように思います。
そんな小さな体験や感動が、旅をより楽しくしてくるように思います。そして、過去の足跡をブログで振り返るとき、過去の自分が今の自分を励ましてくれます。


鹿児島でみた空の色

2018年11月09日 06時49分56秒 | 旅、風景写真

 曽本の滝公園(伊佐市大口宮人)にて見つけたうろこ雲。

 阿久根市の黒之瀬戸は、潮の流れが早く、最大流速は8ノットとなる。

鹿児島本線・伊集院と、指宿枕崎線・枕崎を結んでいた鹿児島交通線、通称「南薩線」の鉄橋跡。川面に写り込んだ空の風景に水面が揺れて、思わず息をのみました。

 万之瀬川河口にかかる全長405m、幅6mの歩行者・自転車専用斜張橋「サンセットブリッジ」より。

南さつま市加世田高橋。東シナ海を臨む。

朝、7時。新しい一日が始まった。

 千巌園から、桜島を望む

重富海岸(始良市脇元)昔から変わらない風景に出会ったような場所です。


「美しい宮崎づくり」団体登録しました。

2018年11月06日 12時56分43秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!

美しい宮崎づくり」団体登録しました。

美しい宮崎づくりは、良好な景観を「守る」こと、新たに良好な景観を「創り出す」こと、又はこれらの景観 を「活用する」ことにより、「魅力ある地域づくり」を推進し、「県民の心豊かな暮らし」 と「活力ある地域社会」の実現を目指すものです。

8月4日「橋の日」は、宮崎発祥の記念日(日本記念日協会認定)。 現在、県内外の各地で様々なイベントが開催されていますが、宮崎「橋の日」実行委員会では、これまで全国への情報発信及び活動支援等を中心となって行ってきました。



橋には、その地域の歴史を物語るロマンがあり、幼い日の懐かしい思い出があります。入道雲そびえる夏のこの日に、日頃何気なく利用している 橋とのふれあいを通じて橋の役割を再認識し、更に郷土愛を深める・・・ 参加者にとって、そんな日となることを夢見て“楽しく“活動しています。

毎年8月4日には、宮崎市の橘橋(宮崎市役所付近)において「橋の 日」イベントを開催しています。活動も30年を超え、地域の皆さんとの連携していくことで更に理想的なまちづくりに繋がっていくと思います。



■平成30年度のイベントの例■

・「橋の日」式典 (橋への感謝をこめて献花、記念撮影)
・橋みがき(橘橋高欄(手すり)の拭き上げ) (地元の高校生含む約150名が参加)
・点字ブロックの清掃 (協力:宮崎県鋼橋コンクリート構造物塗装協同組合)

地域の素晴らしい景観を守り、創り、生かすことによる魅力ある地域づくりを目指すため、今後も「橋」の清掃活動や広報を通して、この活動に参加していきたい。


ドラフト会議を終え、改めて思う人間の可能性。

2018年11月01日 06時13分19秒 | ひとりごと

ドラフト会議が終わった。今年の目玉は、金足農(秋田)吉田輝星選手や大阪桐蔭の根尾昂選手。なかでも根尾選手は、遊撃手と投手をかねる「二刀流」。ストレートの最速は150キロを誇る。

しかし、注目したいのは、大阪桐蔭の層の厚さとメンバーシップである。毎日新聞822日号によると「今年の大阪桐蔭は1年生の秋から主力だった根尾昂や藤原恭大、中川卓也ら3年生を擁し「最強世代」と呼ばれる。ただ、主力選手だけで優勝できたわけではない。石川は「前に藤原、根尾といい打者がいるので、つなぐ気持ちだった」と振り返る。その打撃をアシストしたのも、データ班を務める小谷優宇記録員(3年)。「吉田の決め球は外角球」との分析を生かし、狙い打ちした。

チームが飛躍したきっかけは、仙台育英に九回2死から逆転サヨナラ負けした前回大会3回戦。「一球の怖さ」を身をもって知り、主将の中川を中心に日々の練習から緩むことがないよう、選手同士で指摘し合ってきた。
1998年就任の有友茂史部長(53)が「心配になるぐらいストイックに野球に取り組む。全く気の緩みがなく、手がかからない」と驚くほどだ。

隙のなさはプレーだけに限らない。準々決勝や準決勝では、打球が当たった相手選手に三塁コーチの俵藤夏冴(3年)が素早く駆け寄り、コールドスプレーで応急処置をした。対戦相手をも思いやる姿に、観客席から拍手が起きた。俵藤は日ごろから意識している。ランナーコーチは周りをよく見ないといけない」と明かす。

西谷浩一監督(48)は「メンバーであろうとなかろうと関係なく、チームのために行動する。こういうチームで勝利し、伝統を作りたかった」と喜ぶ。大阪桐蔭の部訓「一球同心」。その元に最強世代が結束した先に、史上初の偉業があった。」と記載されている。

指導者、伝統、人と人の織りなす力、チームスピリット、野球に対するストイックな姿勢。人間の可能性、和の力について、改めてその可能性について考えた夏の甲子園。世界的な競争の中、まだまだ日本は頑張れる、ここにそのヒントはあるとドラフト会議を終え、しみじみと感じた。ちなみに、今大会の総入場者数は1015000人で、過去最多だった第72回(1990年)の929000人を上回って史上最多だったという。