(1年前成人式を迎えた次女)
いよいよ明日、フランスへ出発だね。長くて短い1年間、エンジョイしてください。
美容師を目指して専門高校の通い、夜はバイト。夏休みは資格取得のためのダブルスクールへ。卒業後は美容室で、朝から深夜までの働き続けた2年間。退職後は、旅行のための資金づくりのためアルバイト。走り続けた6年間、苦しいこともあっただろうに、弱音も吐かずによく頑張ったね。
「見知らぬ異国の地で何かを見つけてみたい」と、自らの力で切り開いていこうとする姿勢は、美容の世界でも必ずプラスになると信じています。
最後に「健康第一」を心がけてください。健康であれば何でもできます。少しの風邪でも気を抜くことなく、自分を大切にして日々を過ごしてください。では、元気な顔で帰ってくる日を楽しみに待っています。
2013年4月25日 お父さんより
追伸
セーヌ川に架かる橋の撮影頼んだよ(^O^)
1980年8月21日、それは、運命を変えた出会いの日。
学生時代からギターの弾き語りをしていた私は月に一度、ギターの絃を買いに楽器店に立ち寄っている。
楽器店の店長から、「ボランティアコンサートで歌う人を募集しているので参加してみない」と声をかけられた。21歳になったばかり私は、新しい何かをしたいとの思いから、まずはボランティアコンサートの実行委員会を見に行くことに決めた。その会議の日が8月21日。40年以上も前の事だ。
(1980年 第1回延岡ふくしコンサート)
会場につくと、多くの方が議論を重ねていた。その中でも一人の女性が光っていた。衝撃を受けた。言葉の力凄さや身のこなし方、スピード感、優しさ、そのすべてに一瞬でファンになった。その人の名前は、大神のりえ(以下のりえ)さんだ。
その日から実行委員会に入り、活動をつづけながら。大神さんの自身活動のお手伝いをする中で、いろんなことを学んだ。のりえさんの一番の魅力は、学生時代リックサックひとつでユネスコ本部を訪ねる行動力や優れた国際感覚、人間観だ。
これまで、いろんな人がのりえさんと出会うことで、元気になった人をたくさん見てきた。言葉がけやのりえさんの考え方や姿勢を通して、人が変わっていく、教育って素晴らしい。その思った。
それから、のりえさんがおこなうことには、すべて協力した。頼まれたら、断らない。さまざまな活動に足を運んだ。
それから数年後、大神さんから、「青年の船に乗船したらどう。あなたにはその資格がある」と勧められ受験。合格し、1年後、オセアニア地域へ50日間、総理府から派遣された。
青年の船に参加して、自分自身の世界観や平和への想いを新たにした。その後、ローターアクトクラブやユネスコなど、さまざまな活動を通して、知識に磨きをかけたり、多くの友人・知人をつくることができた。
(音楽でも活躍する大神さん)
また、自身の子ども達への教育にも役立ったように思う。船の話や地域づくり活動に積極的に参加させた。そのせいか、中学から自主的に海外でのホームスティを経験する中で、子ども達の国際感覚が磨かれたように思う。現在、長女は外資系企業で働き、次女は今月からフランスへ遊学しその後縁あって、同国の青年と結婚した。
振り返ってみると、音楽好きだった私が社会活動に目覚めたのは、のりえさんの力によるところが大きい。実際、のりえさんは優れた教育者であり、活動家でもある。これまで多くの若者を育ててきた。また30程年前、インドバンガロールに「インド国際こども村ハッピーバリー」を建設・運営しており、世界青年会議所から、TOYP大賞(傑出した若者に送られる)を受賞している。
(のりえさんとのツーショット25年前)
出会いは人生のターニングポイント。出会いが運命を変えていきます。
これから、のりえさんへの恩返しの意味でも、学んだことを次の世代へ伝えていきたいと思う。
宮崎「橋の日」実行委員会での活動が、27年目を迎える。
「橋の日」活動は、毎年4月~翌年3月までの1年間を単位として、主に「橋の日」イベントを中心に活動している。
来週の17日に、本年度の総会を開催して、活動方針を決める予定。創立30周年の年には、全国47都道府県で「橋の日」イベントが開催される(現在32都道府県が実施)ことを夢見て頑張っている。
「橋の日」まだやってるの?と言われることがある。事務局の仕事をしているので、毎年5月以降は早朝や日曜日を使って準備することが多くなるので、仕事しながらできるの?という意味だろうと感じている。
考えてみると、宮崎市に転勤したのが30歳の時。出身地の延岡市で「橋の日」に参加していた縁もあり声がかかった。見知らぬ町で会社の支店を立ち上げるという仕事だったので、とにかく人脈を広げたいとの思いから参加し、かれこれ23年近くなる。
(始めて参加した「橋の日」イベント。河童に扮して☆)
30代後半は、地元の経済団体や青年会議所の活動で役員を引き受けたり、バブルの時期で仕事も忙しくなったり、子どもの成長時期であったりと、多忙を極めたが、主に3ヶ月間集中すればよかったので、何とか続けることができた。
続けられた理由を考えてみると、全国に「橋の日」を広げたいという思いに共感したこと、また「橋」の持つ美しさや機能美に魅せられたこと、子ども達にも手伝ってもらいながら子ども達に社会参加へのきっかけにしたいということ、仕事ばかりでいいんだろうか?社会貢献を続けていかなくては・・という気持ちもあり、続けられたのではないかと考えている。
(平成14年 イベントの準備を手伝う子ども達)
しかし、苦しい時期が無かった訳ではない。5年程延岡に転勤になった際、延岡から宮崎に会議の準備や参加のために駆けつけたり、イベントの手配した時があった。
集合時間には遅れたり、日程の調整がつかなかったり・・。でも一番きつかったのは、その状況を理解してもらえない時だったと思う。
言い訳はしたくなかったし、好きで始めたことだからと言い聞かせて、頑張った。
(創立20年記念「橋の日サミット」より)
気づいたら23年目となり、多くの実績をつくることができた。小さな山小さな谷を越えてきたら、山の7合目まで来ていたという感じだ。この間、いろんな人と出会い感動的な出来事もあった。2年前には宮崎県と協働事業も行い、良い結果を残すことができり、今年は、当会の会長と河野知事との面談ができたり、宮崎市役所から協働の話がきたりと、活動の手応えを感じている。
社会に信用を得るには、時間がかかるのだと改めて感じる。素晴らしい仲間に恵まれ、したいことができる立場になり、これから社会へ向け、いろんなメッセージを届けたいと思う。いままでは気づかなかったけれど、本当に続けて良かったと実感している。
(25周年「橋の日」イベント集合写真)
若葉して御めの雫ぬぐはヾや
(わかばして おんめのしずく ぬぐわばや)芭蕉
上記の句は、唐招提寺のお堂にあった(当時)鑑真和上の像を拝して松尾芭蕉が詠んだ句で、この柔らかい若葉で鑑真和上の見えなくなった目の涙を拭ってあげたい・・という意味が込められていると紹介されている。
鑑真和上のその強い精神力と辛苦の歩みに芭蕉も涙したことだろう。
この鑑真について意識したのは、4月5日付の毎日新聞21面に、「鑑真和上坐像 制作当時の色彩(京都で披露)」が掲載されてあり、1250年もの時空を超えた、生き方や考え方、精神に少しでも触れてみたいと考えたからだ。
(画像は一般公開用のものではありません)
鑑真和上については、天平の甍やテレビなどで知っていたが、改めてネットで調べたところ、鑑真は55歳の時、第10回遣唐使とともに渡航した留学僧栄叡(ようえい)・普照の懇請に応じて唐における高僧の地位を捨て、12年の歳月を要し、自身も失明した。当時は、唐の国からすれば遠い国であっただろうし、未開の地。多くの苦難が待ち受けていることも充分に承知していたのだろうと考える。
鑑真和上は、没するまで9年間、日本にさまざまな貢献をした。僧の戒律の制度を整え、仏教の教化に力を注ぐだけでなく美術建築工芸など多くの分野の発展に尽力。
特に施薬に関しても通じていたためこの分野での貢献も非常に大きく、中世以降和上を医薬の祖として祀っていたそうである。
さて今夏で54歳を迎える自分自身に当てはめて考えると、改めて偉人なのだと感じたところ・・。→比べなくてもわかる(恥)・・・。
以前こんな言葉を聞いたことがある。「先人の行く道を追うのではなく、先人の求めるところを求める」。私達は、もっと求めなくてはならないのではないか・・欲望ではなく、理想を。そうでないと消費していくだけの肉の塊・・となってしまうのかも知れない。
ちなみに鑑真和上の命日は、5月6日。若葉の季節である。
高卒後、現在の会社に入社して、35年が過ぎた。また、高校時代からライブ活動、そしてボランティア活動もそのまま続けた。仕事との両立は厳しく、朝5時に出社しての仕事や日曜出勤などをこなすなど、苦しい時が何度もあったが何とか止めずに続けている。
この間、仕事や音楽を通じて多くの出会いがあり、いろんな活動へも参加するなど無駄な経験は無かったように思う。すべて自分のキャリアとして残っている。
(1979年6月バンド活動)
(のべおか福祉コンサート立ち上げから5年間手伝う)
(街角ライブの様子が新聞で報道される)
(延岡ローターアクトクラブで10年活動、世界に仲間ができた)
(7年間の音楽祭に幕、たくさんの方に支援していただいた)
(TOYP(傑出した若者)大賞を受賞)
(初めてネットで画像配信された九州沖縄音楽祭)
(ロータリークラブから優良従業員賞をいただく)
変わったこと、変わらなかったこと・・。35年という日々。現役として活躍できる時間はあと何年?そう考えると、今を大切にしていくことが重要だと感じる。
意識して動く、意識して考える。流されない。