「世界青年の船」は、内閣府の行っている事業の一つで、18歳から30歳の日本国籍を持った人が参加でき、世界12カ国の青年が集まり43日間船で共同生活する事業。毎年、東回りと西回りと交互に回っている。これまで1万人を越える日本人と海外招聘青年が参加している。
私が参加した今年の青年の船は、307名の団員を乗せ 昭和59年1月26日に東京港を出航し50日間にわたり、オーストラリア・ニュージーランド・トンガ王国・西サモアを訪問し、3月15日の帰国まで、多くの研修を行った。
私が乗船した第17回青年の船が掲げた統一テーマは、「南太平洋に拡げよう青年の輪」であり、このテーマのもと団員ひとりひとりが自ら各種の研究テーマを設定し、船内における研修や寄港地での視察、交歓会などを通じグループごとにそのテーマを追求した。
船内で生活を共にした訪問国青年達と、言語・宗教・民族を越えた人間的共感によって結ばれたことも、この船ならではの成果でした。
この船を通じて次の3点を学んだように思います。
ひとつは、文化・言語・習慣・考え方の違いを体験することによって理解し、自分が日本人であり、日本の青年であるという事を再認識したこと。2つめに、多くの人達との出会いにより、情熱とそれを実行する手段をみつければ、何でも出来るんだという確信、人間の無限の可能性を信じられる様になりました。そして最後は、国際理解、人間理解はまず身近なところが出発点だという事です。
乗船前から帰国するまでの写真を掲載し、記憶に留めたい。
高校卒業後、さまざまな地域活動をしていた私に、先輩が青年の船への参加を進めてくれた。1月から3月中旬までの50日間、会社を休むこととなったが、社長が有給での参加を許可してくださった。その後、試験をパス、先輩達に壮行会を開催していただいた。
知事への表敬訪問。宮崎県からは4名が参加しました。
出発を前日に、総理府、および皇居への表敬訪問をおこなった。
宮崎県からも見送りに来ていただいた。
船の中では、午前と午後、政治や経済、福祉、国際関係などの授業がおこなわれました。上記の写真は、外国人招聘青年を交えたフリーディスカッション風景。
豊富なレクリエーションプログラムも準備されていました。
寄港地では、文化行事のほか、親善サッカーもおこなわれました。上記写真はニュージーランドで試合後の記念写真(ゴールキーパーで参加)
お昼の時間を利用して、メンバーとたのしいひとときを過ごしました。
初めてのホームスティ。2日間でしたがホームスティファミリからは、あたたかく接していただきました。
この写真は船の中でお茶室の様子。所属したローターアクトクラブの仲間であるオーストラリア、ブリスベーンのメンバーに手紙を書いたところ、同地区の代表他が船に遊びに来てくれました。一枚の手紙が世界を越え、友情の架け橋をつくったことに感動を覚えました。
乗船者でバンドをつくり、ライブ活動もおこないました。宮崎から30キロもあるキーバードケースを担いでいきました。
フィージー出身のマイク君とのツーショット。初めてできた外国人の友人でした。
帰国する船の中、硫黄島の沖で洋上戦没者慰霊祭を執り行いました。グァム島での戦争体験を話された島民の方との交流があったからか、戦争ということに向き合うことができました。
自分の可能性を信じて、いろんなことに挑戦しようと、船で知人に書いていただいた「挑戦」の文字。
数多くの出会いや出来事がありました。それらは次の二つの手段によって得られたように思います。
ひとつは、何をどれだけ多く学ぶかという事に関しては、経験の多い少ないではなく、「ひとつのことからどれだけ多くの事を吸収できるか」であり、もうひとつは、物事を大切にするかしないかは心がけであり、「大切にする気持ちが尊い」ということです。
この二つの事を頭に置いて、取り組んでいけばきっと多くの事を学べると確信しています。その意味で、私は私なりにこの「青年の船」について、その意義を大切に育んでいきたいと思っています。
最後に、この旅を通してあなたは何に一番感動しましたかと尋ねられたら、私は躊躇いなくこう答えます。「どんな美しい景色より、人の心は美しく、どんな広大な土地より、人の心は大きい。そして人の心は大自然を、人を包み込むことができることを知ったことです」