9月に作った「とんところ地震」紙芝居が好評だ。
本日も、読み手のKさん(女性)から、「小学校で100名の児童のために、上演したところ、静かに聞いてもらった」や、感激した・・との声をもらったとのこと。そして”地震が来たら、高いところへ逃げろ”は伝わったと思うとも話された。
さらに読み手のKさんも、「読みながら良く出来ているストーリーだと自身も感動しました」と話して下さった。
(深夜零時、津波が村を飲み込んでいくシーン)
また、今月中旬に障がい者施設で上映され、よく聞いていただいたこと、そして来月には地区のフェスティバルで上映されることを教えてくれました。紙芝居のストーリー作りは、会員を始め、とんところ地震の碑を管理している西教寺のご住職、宮崎大学の村上先生など、たくさんの方々にご協力いただいている。人の声と絵のもつ力を改めて感じたところである。
11月には土木の日のイベント(11月30日~12月1日、イオンモール宮崎)にて、上映の予定。
(夜が明けて、お母さんと再会するはなちゃん)
主人公の「はな」ちゃんの名前は、木花咲耶姫に由来している。
(新聞にも紹介されました)
10月27日(日)回目となるアコースティックLIVEを行いました。
同日には、ハロウィンイベント [宮崎日英協会主催]にて、?ジャック・オ・ランタンの実演作成、?お菓子をもらおうイベントやや、10月27日(日)~11月4日(月)まで行われるハロウィン仮装コンテストが開催されており、英国式庭園喫茶室周辺は大賑わい。その賑やかな様子と安斎旅人さんが参加されたライブを写真にて紹介します。
(このロケーションでのオープンカフェ最高です)
(ハローウィンの仮装に扮した子どもたち)
(ちびっこ達がたくさん来ました♪)
(安斎さんの歌にお客さまも癒され、聞き入っていました)
(ハローウィンは、イギリスが起源)
(にぎやかな店内)
(安斎さんから差し入れに会場も盛り上がりました)
(店内もハローウィン仕様になっています?)
(本日は、午前と午後のステージ。ステージとも盛況でした)
40年来の友人(Tくん)が永年つきあっていた女性と入籍した。今月始めに友人から「入籍祝い」を企画したとの連絡がり、10月19日(土)延岡のカルムハウスでのパーティに参加した。
Tくんは、中学校区も違い高校も別でもあったが、友達を通じ高校入学依頼、40年間近くおつきあいしている。Tくんは再婚。20歳の頃に結婚して、子ども達は皆独立している。
お互い、いろいろとあったが、お互い元気でいられることに、まずは感謝。
Tくんと新婦は、25年前ニフティのパソコン通信で知り合った。私もパソコン通信を始めて、数度オフ会にも参加した。
そんなこともあり、新婦とも親しくさせていただいている。
久しぶりに会う友人・知人達。お互い歳をとったなぁ♪もろろん、我が身も・・・。50を過ぎると、みんな一気に老け込んでいくように感じる。高校時代から知っているから余計にそう感じる。そしてこんな風にして歳を重ねていくんだと改めた感じた。気持ちは若くいかないとね。そう思い気持ちを新たにした。
(準備はすべて手づくり)
(朋くんと新婦さん)
(電動ノコで解体作業、ノコが切るために発する匂いと音から、ふと歯科医院を思い出した)
(笑顔と笑い声が絶えなかった式。堅苦しくないのがいいな♪)
式では、歌あり、コントありと、芸達者がたくさん集った上、ノリの良い参加者で大盛り上がり。私は中島みゆきさんの「糸」をプレゼントした。
いつまでも幸せに・・・
先日、音楽仲間と飲みに出た。彼は大学で教鞭をとっており、仕事がきっかけで、ギターの話で盛り上がり、飲みに行こうと話していたところ、お互いのスケジュールが合わず、一年ぶりの飲み会となった。
お店は歌大好き♪という方々ばかりで、いい顔して歌っていた。その顔をもっとみたくて、タンバリン♪で応援。音楽っていいな~♪と改めて感じた。
友人も飛び入りで参加。ギターの演奏を数曲披露。曲中、お客からハミングが出るなど、楽しんでいることがよくわかった。友人は、とても喜んでくれた。
そして私も、数曲演奏。演奏した3名の演奏スタイルや声質、曲目も違い、お互いの持ち味を感じたひとときだった。2時間近く、楽しんで3,000円とリーズナブルでいい場所だと改めて感じた。
今年中にはまた行きたい♪
10月9日(水曜日)所属する宮崎「橋の日」実行委員会の会長と「橋の日」の件で打ち合わせのため、平和台のレストランへランチを兼ねて出かけた。
店の雰囲気や味も、とても評判のいいレストランと聞いていたが、確かに良い店だった。
食事のメニューや店の雰囲気もさることながら、入口の黒板の絵や文字に心惹かれた。案内看板というより芸術的な絵だと感じた。(写真をクリックすると拡大)
食事はバイキング形式。ひとり1,600円は市内では高め。数十種類の料理がところ狭しと並べてあったが、まずは身近なところにあった食材をGET。普段の食事が12色のクレヨンなら、48色のクレヨンというイメージ。いろんな味や彩りが楽しめた。和洋折衷の料理は、人間にはさまざまな味覚がある、食べることの楽しさと豊かさを気づかせてくれた。
レストランの隣にあるお店に立ち寄ったが、篠笛や陶器など、ここにしかないような珍しい商品が並べてあった。
普段見慣れない行事のポスターがたくさん掲示されていた。あまり見ることの無い種類ポスターに、ちょっとだけ違う感覚を味わった。(多くを紹介できないのが残念)
笑顔のはにわ。遠い昔の時代のことながら、ニッコニコした笑顔の向こうに「どんないいことがあってこんな顔に・・」などとも想像してみた。でもいい顔してるな・・
日本軍によって集められた世界中の石ということを聞いた。集められた石の国名が記載してあったが、彼の国の大切な石群の一部を持って来ているとしたら、心痛むところだ。
八紘一宇の塔。にわかに空が曇ってきた。
平和台公園は、東京オリンピックの聖火の起点になった場所らしい。次のオリンピックも、ここが利用されるのだろうか。
塔から、帰る道。美しい芝を歩きながら、気分も癒された気がした。 話しは変わるが「橋の日」の 会長は、宮崎県の土木部長を務めた方。とても優しくて、人徳もあり、人生の大先輩としてお手本になる方でもある。会長のような方を始め、素晴らしい人達に出会えるもの地域活動を続けていくことの醍醐味のひとつだ。皆、仕事で忙しい方ばかりなのに、頑張っている。
「後半の人生に必要なもの、それは仲間づくり」こちらもある先輩から教えていただいた言葉。その意味が自分なりに理解できるようになった。そして人を大切にしよう、親切にしようと思う今日この頃である。
連休を利用して帰省していた長女を見送るため、妻と一緒に長距離バスの発着場であるキテンビルへ行った。そして同ビル内で地頭鶏料理の有名なぐんけいにて食事をすることにした。
13日は、バルウォークの日ということで、キテンビルでは、催しものが行われていた。バルウォークのホームページによると、バルウォークとは「「バル」は、おおらかなスペインの暮らしの中に根づいているカフェであり、立ち飲み居酒屋、食堂、社交場。
朝早くから夜遅くまでスペイン人にとっては生活に密着した存在。立ったまま飲んで食べて、おしゃべりをする。友人数人とわいわいと、各自の「ひいき」のお店をハシゴするのがバルスタイルです。」ということで、チケットを購入し、いろんなお店を回るという企画らしい。
世界でも数少ないチェロ一本での即興チェリスト「吉川よしひろ」 さんのスパニッシュライブの様子
ぐんけいの地鶏。プレミアムもも焼き、地鶏のたたき、チキン南蛮、つくね、鶏雑炊他をオーダー。柔らかくてジューシーな地鶏に長女も満足そう!
ミュージックカクテルの皆さんの演奏、吹き抜けの会場に歌声が響き、地鶏の味も一段とおいしく感じた。
最近、子どもと一緒に過ごすことが、以前にも増して楽しく感じられる。今度は福岡へ行くよ・・とそう言って、別れた。午後7時10分、長女を乗せたバスは八代経由博多へ。
先週、会社の旅行で2日目に湯布院へと行った。20年以上の前に立ち寄った湯布院は、静かな落ち着いた観光地という印象がだった。しかし今回の旅行では、大衆的な観光地という感じがした。時代のニーズがそうさせているのか?私自身の遠いイメージが美化されているのか?しかし、折角の旅行、思い切り楽しんでみようとぶらりと散策してみた。
しっとりした雨模様の中、雨も楽しむことができた。
(金鱗池)
「金鱗湖(きんりんこ)」は、明治17年儒者「毛利空桑(もうりくそう)」がこの地に訪れ、鮒(ふな)の鱗(うろこ)が金色に輝くのをみて「金鱗湖」と名付けたのが呼称の始まりと言われている。
絵の色彩に惹かれ、シャガール展へ立ち寄る。
(題名: サーカス)シャガールの絵を見ているとシャガールが人や動物を愛情あふれた目で見ていることが分かる。
カラフルな傘を見ていると楽しくなる。 どんな傘で迎えに来て欲しい?
昼食は、だご汁も入った豪華な献立
どの店も賑わっていたが、入る勇気のない小心者なのだと改めて感じた。(笑)
1泊2日の旅、久しぶりのんびりできた会社の旅行。若い時とは違った楽しみ方も自分なりにできるようになった旅でもあった。
先日、会社の旅行で大分県豊後高田市で、昭和30年代の昭和の町の様子を紹介している観光スポット「昭和ロマン蔵」に立ち寄った。
(昭和ロマン蔵正面より)
江戸時代から明治、大正、昭和の30年代にかけて、豊後高田の中心商店街は国東半島一の賑やかな"お町"として栄えていました。
豊後高田「昭和の町」は、この商店街が最後に元気だった時代、昭和30年代の賑わいをもう一度よみがえらせようという願いをこめて、平成13年に着手した町づくりです。(同町紹介ページより)
(昭和ロマン蔵 裏側)
ところで、昭和30年代とは、どんな時代だったのでしょうか?
貧しく不便だったけれど、明るい未来を信じて、隣近所が肩を寄せあい、助けあいながら生きていました。
豊かで便利になったとはいえ、平成の今に比べて、幸せが実感できた時代、生きる手ごたえがあった時代といってもいいでしょう。
時は物の形も人の心もすっかり変えてしまいましたが、豊後高田「昭和の町」には変わらなくてよかった形や心が今なお残されています。
平成の今、懐かしさにしてしまった物も人も、ここではまだ大切に守り伝えられているのです。
お帰りなさい。思い出の町へ。(昭和の町_ホームページより転載)
名車N360。夕暮れの商店街にて
家の灯が恋しい夕暮れ。笑い声が聞こえてきそうだ。
お父さんも、もうすぐ帰る時間かな・・ そんな雰囲気。
明日は、お姉さんの結婚式。そんなシチュエーション。
昔の映画館には手描きの大看板があった。ちなみに寅さんの横の女性は松坂慶子さん・・らしい。
少年時代、駄菓子屋でこのガラスケースようなガラスの中のお菓子をよく買った。
いろんな店がひしめき合ったいたあの時代、力強い活気があった。
先生目線でみた教室風景。私達はどんな風に映っていたのだろうか・・・
ガリ版印刷機。カリカリと先生が、半透明の用紙に、針のようなペンで書き込んでいたっけ・・。なぜ印刷できるか・・子供の頃はいつも不思議に思っていた。
配色と荒々しさに、ポスターの紙面にパワーを感じる。
宿泊は、杉乃井パレス。広い館内とおいしいバイキングが今も心に残る食いしん坊。バイキング会場を一歩出ると、イルミネーションで飾られたベランダ。沈みゆく別府湾の夜景に、ふと宮崎が恋しくなった。