雑誌「知日」編集長 蘇 静氏
(前略)・・・「日本を知るためのたくさんの情報を提供しますが、判断するのは我々ではなく読者です。読者が考えることが大切で、そうすることによって理解に理性が加わるのだと思います。」
(中略)・・・「過激な意見は耳に届きやすいから、社会がこのような声に覆われれば、危険な方向に引っ張られます。解決の道は一人一人が自分で考えることの重要性を学ぶことだと思うのです」 毎日新聞 5/30 7面より
映画「独裁者」の演説に感銘
高校生堀井美幸 16(東京都)
(前略)・・・70年以上も前なのに、初めて聴いたスピーチに強く胸を打たれました。
スピーチは難しいことは言っていません。「自由を大切に」「人を愛せ」「より良い世界のために戦おう」などです。
何ら新しいことを行っているわけではありませんが、それなのに何故素晴らしいとされているのか。
それは第二次世界大戦という暗い時代においても前向きに進もうとする力が言葉の端々に表れているからだと思います。
今の日本は暗いと思います。不況や不安定な世界情勢の中、大人は未来への期待を失っていて、若者はどこに希望を見いだしていいのかわかりません。この映画は私たちを励ましてくれるエールだと感じました。 毎日新聞 5/30 「みんなの広場」より
演説内容を詳しく知りたい方は>>>(史上最高のスピーチ)モロッコ人の妻、ヤヤさんのページへ
さわやか松風、アコースティックギターコンサートを開催します。
散歩方々聞きに来てください。
私と厚地哲夫さんの2名でそれぞれ演奏予定。
6月23日(日曜日)
(開演)午前10時30分 (終演)正午
会 場;英国式庭園喫茶室
宮崎市山崎町 エントランスプラザ内
(宮崎市のフローランテ宮崎より南へ歩いて7分程のところ。テニスコートを過ぎたところ(駐車場あり)
電話: 0985-32-1369
入場無料(ドリンクのオーダーのみお願いします)
【演奏曲目】
どこまでもいこう 作詞:小林亜星 作曲:小林亜星
浅い夢 作詞:来生えつこ 作曲:来生たかお
(雨の歌特集)
雨の物語 作詞:伊勢正三 作曲:伊勢正三
傘がない 作詞:作曲
アビーロードの町 作詞:伊勢正三 作曲:伊勢正三
冷たい雨 作詞:荒井由実 作曲:荒井由実
1969夏の日へ 作詞:鶴羽 浩 作曲:鶴羽 浩
翼をください 作詞 山下路夫 作曲 村井邦彦
【今月の歌】
少年の日の夏の思い出を歌にしてみました。
夏休みには、毎日のように泳ぎに行った川、水の冷たさ・。
遠い思い出です・・。
1969 夏の日
詩&曲:鶴羽 浩
1,つめたい川面に 足を踏み出せば
また夏が来る あの日と同じように
水辺に 小石を投げて遊んでた
水面に映る 空の雲のタカチ
もうあの子には 二度と会えないね・・
懐かしいあの日を ひとり思い出して
ねぇ目を閉じてごらん 森の詩が聞こえる・・
そっと耳を澄ましてごらん
遠い遠いあの日へ
2,きらめく夜空に ライトあてていた
あの星の名をひとりよんでみた
ちいさな手の中 捕まえたほたる
冷たいひかりが指のすきまから
もうあの子には、二度と会えないね・・
懐かしいあの日をひとり思い出して・・・
ねぇ目を閉じてごらん
森の詩が聞こえる・・
そっと耳を澄ましてごらん
遠い遠いあの日へ・・・
日本橋梁建設協会発行の「橋梁年鑑」(平成25年5月1日発行)プレゼントに応募していたところ、当選。
私は8月4日を「橋の日」にしようという活動をしている事務局を務めている関係で、橋にはとても関心をもっている。
そんな私がフェイスブックで案内されたこのプレゼント企画にフェイスブックを通じた仲間からの紹介で参加した。
仕事から帰ってくると何やら分厚い郵便物。おー届いた。当選の連絡はメールで来ていたものの、実際に届くと感無量。
初めて見る「橋梁年鑑」には、さまざまな美しい橋等が掲載されており、ページをめくりながらうっとりしているところ・・。各ページの写真はその橋が一番キレイに写るポイントで撮影して最大限アピールしようという関係者の想いが伝わってくる。
紙面の都合で掲載されなかった橋もたくさんあると思う。ちなみに平成23年度に協会会員が受注された橋梁が、268,125橋。選ぶのにもご苦労されたのではないかと感じた。
何万人、何十万人というという携わったであろう橋梁工事、それぞれの橋の関係者にご苦労さまでしたと伝えたい!
発案から環境アセスメントや設計、見積もり、入札、施工。数年、長いものでもっと時間がかかっているのかもしれない。
私は橋の仕事に携わっていないが、苦労は理解できる。
平成23年完工ですから、東日本大震災の年に生まれた橋梁群。
みんな同級生となる橋たち。これからそれぞれ橋が、時を刻んでいく訳ですが、たくさんの方々に利用され、そして愛されに、末永く地域と地域、人と人を結ぶ橋で有り続けてほしいと願っている。
6月1日に、入社後35年を迎え永年勤続表彰を受けた。これまでを振り返って、いろんなことを考えた。
高校卒業後、就職、仕事を一生懸命頑張った。一貫したテーマは「前回を踏襲しない」。自分なりの付加価値(アイデアやこころ)をつけて仕事をする。できる限り新しいことに挑戦した。ある意味傷だらけ(^_^;)になったけれど、いろんなことに挑戦できた。
同時に社会活動も35年間続けてきた。さまざまな活動があるが、一番長いもので「橋の日」活動は26年、仕事外の活動は、仕事に影響がでるので、朝4時や5時に起きて残務を片付けることも多く、両立は厳しいが、学校生活の部活動と勉強との関係に似ている。両立するのは大変だけれど、社会人としては補完関係にあるように思う。
しかしまだ、足りないものも多い。謙虚とかいう問題ではなく、本当に不足感がある。
それはある意味、自分の中で無いものを創り出そうとするから、頑張れるのかもしれない。
「目の前の人の喜ぶ顔に喜ぶ」自分でありたい、そしてまた一歩前進していきたい。
(知人の貞原さんと。イベントの管理業務での1枚)
先日、ある方から勉強会の資料とノートを借りました。
お借りしたノートに目を通しながら、ある言葉がこころに染みました。それは神谷美恵子さんの「おおきな愛」という詩。全文を紹介します。
大きな愛
神谷 美恵子(かみや みえこ)
生きがいということばは、日本語だけにあるらしい。
こういうことばがあるということは、日本人の心の生活のなかで、生きる目的や意味や価値が、問題にされて来たことを示すものであろう。
たとえそれがある深い反省や、思索をこめて用いられて来たのではないにせよ、日本人がただ漫然と、生の流れに流されて来たのではないことが、うかがえる。
仕事というものは、嫌というほどこちらの弱点を、あばき出してくれる。
死に直面した人の心を、一番苦しめるものの一つは、「果たして自分の人生に意味があったか」ということ。
わざわざ研究などしなくても、はじめからいえることは、人間がいきいきと生きて行くために、生きがいほど必要なものはない、という事実である。
それゆえに人間から生きがいを、うばうほど残酷なことはなく、人間に生きがいをあたえるほど、大きな愛はない。
(著書紹介)
「神谷美恵子」は、岡山県出身の医師・作家。 ハンセン病患者の治療に尽力したことで知られる女性精神科医であり、 哲学書の翻訳をはじめ、自身の著書でも広く知られている人物。 特に1966年に発表した「生きがいについて」は現在まで読み継がれている名著としても有名であり、 「戦時中の東大病院精神科を支えた3人の医師の内の一人」「戦後にGHQと文部省の折衝を一手に引き受けていた」「美智子皇后の相談役」などの逸話でも知られている。 主な著書に「島の精神医療について」「遍歴」「日記・書簡集」「存在の重み」「精神医学研究」「旅の手帖より」「こころの旅 付・本との出会い」「ヴァジニア・ウルフ研究」「生きがいについて」「人間をみつめて 付・ケベースの絵馬」など、 主な訳書に「ハリール・ジブラーンの詩/ハリール・ジブラーン」「精神疾患と心理学/ミシェル・フーコー」「臨床医学の誕生/ミシェル・フーコー」「ある作家の日記/ヴァージニア・ウルフ」「自省録/マルクス・アウレーリアス」「医学的心理学史/グレゴリ・ジルボーグ」などがある。1914-1979