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今日よりちょっといい、明日にしませんか

まちおん延岡〜X’mas LIVE〜に出演します!

2024年11月25日 06時44分25秒 | アコースティックライブと音楽
まちおん延岡〜X’mas LIVE〜に出演します!
当日は、会場にちなんで「駅:竹内まりや)」、「ホームにて(中島みゆき)」、「なごり雪(イルカ)」、「君といた夏(オリジナル曲)」を演奏予定です。
また、多くの演奏者がフォークソング、ポップスを中心にギターやオルゴールで演奏や弾き語りをします。ライブ感たっぷりのステージをお楽しみください!
■日時:12月1日(日)13:00〜15:45
■場所:延岡駅 エンクロス 2F 待合ラウンジ
■参加費:無料
駐車場は、延岡駅北駐車場、延岡駅西駐車場をご利用ください。
くわしくは、延岡市駅前複合施設 エンクロス (encross-nobeoka.jp)
フォークソング、ポップスを中心にギターやオルゴールで演奏や弾き語りをします。

(ひとこと)
3年前、肩を痛めてギターが弾けなくなり(1年後回復)、就職後ピアノを習っていたこともあり、40年ぶりにピアノの先生について練習を開始しました。ピアノの素晴らしさを改めて感じ、これからも学び続けたいと考えています。あのケガがなければピアノを始めてなかったと思うと、ピンチはチャンスに変える大切を感じています。




地域の再発見ツアーin熊本 行ってきました!(2日目)

2024年11月20日 13時30分44秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
熊本城は、阿蘇の火砕流が堆積した「茶臼山」と呼ばれる丘陵に築かれています。関ヶ原の戦いの頃には現在の位置に築城が始まり、慶長 12(1607)年に完成しました。


その城郭は周囲5.3km、総面積 98 万㎡に及ぶ広大なものです。往時の熊本城は大小天守をはじめ、櫓49、櫓門 18、城門 29 程度を数える。熊本城は明治 10(1877)年の西南戦争開戦直前の火災で天守、本丸御殿などが焼失したが、その後籠城に耐え、難攻不落で堅固な城として有名です。



明治時代に撮影された熊本城の写真。
しかし、2016年の熊本地震では、 重要文化財建造物 13 棟全ての建造物が被災しました。

中でも熊本城の北東に近接して位置する東十八間櫓、北十八間櫓は全壊した。宇土櫓の五階櫓は、屋根・外壁・建具破損で済んだが、続櫓は倒壊しました。不開門、長塀が一部倒壊し、他 8 棟が破損を受け修復が必要となっています。



今回の地震で最も大きく被害を受けたのが石垣です。熊本城の石垣は、 973 面・約79,000 平方メートルに及び、そのうち築石が崩落したのは 229 面、約 8,200平方メートルで全体の約 1 割、緩みや膨らみのため積み直しを要するのは 517 面、約 23,600 平方メートルで全体の約 3 割の面積に及びます。

1 平方メートルの築石の数は平均して 3~4 個程度と考えると、約 7 万~10 万個の築石を積み直すことになると言われています。


天守閣から、熊本市内を望む。いろんな場所で修復作業(詳細はこちら)がおこなわなれています。

宇土櫓の解体保存工事は、解体された部材を守るため鉄骨製の素屋根で櫓を覆って行われています。解体後の部材も素屋根内に保管され、できる限りもとの部材を使って再建される予定です。この日は、月1回の公開日で、工事の様子を見ることができました。



ちなみに、宇土櫓は、大天守や小天守より建築年代が古いと考えられており、清正が最初に入城した古城(隈本古城)に創建した天守の移築という説もあります。
次は、阿蘇神社へ。



阿蘇神社は、神武天皇の孫神で阿蘇を開拓した 健 磐 龍 命(たけいわたつのみこと)をはじめ家族神 12 神を祀り、 2, 000 年以上の歴史を有する古社です。

阿蘇神社の社殿群は、天保 6 年(1835)から嘉永 3 年(1850)にかけて、熊本藩の寄進によって再建されたもので、神殿や楼門などの 6 棟が国重要文化財に指定されています。中でも楼門は九州最大の規模を誇り、「日本三大楼門」の一つともいわれます。

平成 28 年熊本地震により重文の楼門や拝殿が倒壊するなど社殿のほとんどが甚大な被害を受けましたが、令和 5 年 12 月に復旧工事が完了しています。

食事は、阿蘇ジビエカレー


スパイスがしっかり効いてて美味しい阿蘇ジビエカレー。


2021 年3月に開通した、新阿蘇大橋(全長 525m、最大橋脚高 97m)。
近くには、新阿蘇大橋や長陽大橋、白川第一橋梁(南阿蘇鉄道)を望むことができます。



続いて山都町馬見原にある馬見原橋へ。その前に、 新阿蘇大橋展望所「 ヨ・ ミュール」にて、美味しいソフトクリームを!


南阿蘇自然派ソフト。



宮崎との県境を流れる五ケ瀬川に架かる橋で、かつて宿場町として栄えた馬見原商店街の入り口にある夫婦岩の間を抜けて渡る橋です。

上側幅5.8メートル、下側7.5メートル。上下の幅の隙間から歩行者は自然に橋の下側へと吸い込まれる設計になっています。



地元の杉材を使用した床の中央に開いた2つの円を覗けば、足元を流れる五ヶ瀬川の清流が眺められる仕掛けです。

唇のような形をした遊び心あふれるデザインは、1995年にくまもと景観賞さわやかまちかど賞を受賞しています。


晴天時は、さらにキレイに見えるかと思います。詳細はこちら

そして一路、宮崎市へ。
13年間で初めての雨天の旅。また、来年が楽しみです。



地域の再発見ツアーin熊本 行ってきました!(1日目)

2024年11月17日 13時16分52秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
所属する宮崎「橋の日」実行委員会の事務局を務める私は、熊本城や通潤橋で有名な熊本に、メンバー5名とともに、11月9日~10日の1泊2日にて出かけました。



まずは、熊本県人吉市の 国宝指定 青井阿蘇神社を訪ねました。


806 年(大同元年)創建の神社。現在の社殿は、江戸時代初期の慶長 15~18 年(1610~13)にかけ、当時の藩主・相良長毎(頼房)(さがらながつね(よりふさ ))により造営されたものです。



2008 年(平成 20 年)には本殿・廊・幣殿・拝殿・楼門が国宝に指定され、熊本県内の国・県指定の社寺建築の 9 割が球磨地方にある中、同神社はその代表的な建造物となっています。
2020年7月の水害による球磨川の氾濫では、人の高さ程、水があふれたとのことでした。詳細はYouTubeにて。



次に、同じ八代市にあり、石橋のことが学べる「東陽石匠館(せきしょうかん)」へ伺いました。



江戸後期から全国に数多くの「めがね橋」を架けた日本一の石工集団(種山石工)の発祥の地、八代市東陽町。種山石工は多くのめがね橋を架け、水路橋として有名な通潤橋などを築いたことでも有名です。

同館は先人たちの偉業を継承し、多くの人に種山石工の苦労と功績を知ってもらうための施設で、館内には関連品が各種展示されています。町内には21基の眼鏡橋が残されています。当会の制作した石橋ポスターも展示されていました!

続いて、2023年国宝に指定された通潤橋へ。
通潤橋放水

嘉永 7 年(1854 年)、水不足に悩む白糸台地に水を送るため、矢部の惣庄屋・布田保之助によって造られた近世最大級の石造アーチ水路橋であり、石造アーチ橋の中で唯一“放水”ができる橋です。

通潤橋の工事は、 1852 年(嘉永 5 年) 12 月に開始され、約 1 年 8 ヶ月の長い期間をかけて 1854 年(嘉永 7 年・安政元年) 8 月に完成した。この間、大工や石工(石工頭は種山石工の宇一、副頭が丈八)のほか、白糸台地や矢部地域の大勢の人の力で工事が行われました。

水路の長さ約 119.0m、橋の長さ約 78.0m、橋の幅 6.6m、橋の高さ約 21.3m、アーチの半径約 28.1m。約 6km離れた笹原川の上流から水を引き、水路の総延長約 30km、灌漑面積は約 100ha にも及びます。一昼夜で 15,000 立方メートルの水を送り、水田を潤す力を備えており、現在も白糸台地の棚田を潤しています。 1960 年(昭和 35 年)に国の重要文化財に指定され、 2023 年(令和 5 年)に国宝に指定されました。お昼を過ぎたところで食事へ



通潤酒造カフェは、酒造に併設された和風のカフェで、テラス席は池に面しており、ゆったりした時間を過ごせました。



お酒が無料でついてきましたので、思わず2杯いただきました。美味しかったです。次は、美里町の霊台橋へ。



霊台橋は、 昭和 42 年に国指定重要文化財になりました。
橋長 89.86 メートル、橋幅 5.45 メートル、橋高 16.32 メートル。

これは、江戸時代の石造単一アーチ橋としては日本一の大きさを誇る。緑川本流に架橋。矢部にいたる難所「船津峡」は、交通の要衝で江戸中期より木橋が架けられましたが、いずれも流失したため、砥用手永惣庄屋・篠原善兵衛が石橋架橋を計画し、峙原村(美里町涌井)の伴七(茂見伴右衛門)らが補佐しました。

種山手永の宇助を棟梁とし総勢 72 人の石工が各地より集められ、工事は弘化 3(1846)年より弘化 4(1847)年にかけておこなわれました。明治時代以降も、昭和 41(1966)年に上流に鉄橋が架かるまで道路橋として使用されました。次も、同じ美里町の二股橋へ。

(写真左側が二股福良橋、右側は二股橋)

釈迦院川と津留川の合流点が二俣にあり、この地点において釈迦院川に 3 基(二俣渡・年祢橋・新年祢橋)、津留川に 2 基(二俣福良渡・新二俣橋)が架かっており、これを「二俣五橋(ふたまたごきょう )」といいます。


(写真は二股橋)

それぞれの架橋年代も江戸時代~現代と幅ひろく、橋(架橋工法)の歴史がわかるフィールド・ミュージアムとなっています。この内、江戸時代に架けられたものは、二俣橋・二俣福良渡で、川の合流点に直角に交わる全国でも珍しい兄弟橋である。二俣渡は文政 12(1829)年、二俣福良渡は文政 13(1830)年に架橋されました。



遠くに天門橋が見えます。この橋は、 天草五橋の 1 号橋。 1 号橋から 5 号橋の間の国道 266 号・国道 324 号(重複国道)が日本の道 100 選」に選定の天草パールラインです。天草五橋・ 1 号橋(天門橋)は、全長 502m のトラス橋です。写真は三角港から撮影したもの。



2015 年に世界文化遺産に登録された三角西港は、 1887 年に開港しました。近代的港湾として日本でも最古にあたる、長い歴史を持つ港です。



三角西港は宮城県の野蒜(のびる)築港や、福井県の三国港とあわせて明治の三大築港とされています。港を設計したのは、オランダ人の水理工師「ローエンホルスト・ムルドル」。施工は熟練した技術を持つ天草の石工たちが行いました。



築港には、石工、大工、人夫、潜水夫など、合わせて 20 万人弱の人々が関わっています。施工は当時の最新技術が使用され、熊本県にとって初めての国外貿易可能な良港が誕生しました。



1日の予定を終え、ホテルへ。



ホテル到着後、町へ繰り出す!町並みも美しかった!
ここは震災後のシンボルとして、2019年9月、熊本市中心街の桜町に開業した大型複合施設「サクラマチ クマモト」です。熊本県内外から乗り入れする日本最大級のバスターミナルをはじめ、人気の地元飲食店など149店舗のテナントが集結する商業施設やホテル、大型ホール、シネマコンプレックス、マンション、駐車場などが集約しています。



くまもと花博が開催されていました。全長20mの花のトンネル が印象的でした。夜は、美味しい料理とお酒をいただきました。



帰りにライトアップされた熊本城を見ながら、10時ホテルへと遠回りをし、約1時間後、ホテルに帰りました。


ライトアップされた石垣が美しい。
明日はいよいよ、熊本城の見学です。楽しみ。(続く)