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地域のお宝再発見ツアーin鹿児島 2日目

2018年11月19日 05時57分16秒 | 旅、風景写真

ツアー2日目。本日はNHK大河ドラマ「西郷どん」ロケ地を巡るツアーが中心です。まずは、 維新ふるさと館へ。

鹿児島市加治屋町に平成30年1月11日(木)リニューアルオープンした維新ふるさと館。甲突川河畔にあるこの施設は、幕末から明治維新に活躍した西郷隆盛や大久保利通などの出身地であり、「維新のふるさと」とも言える加治屋町に位置しています。近代日本の原動力となった鹿児島の歴史や先人たちの偉業などを、映像・ジオラマ(模型)・ロボットなどハイテク技術を使った多彩な展示・演出によって、楽しく分かりやすく紹介しています。

祇園之洲石橋公園の西田橋にて(鹿児島市浜町)記念撮影。

 この西田橋は、弘化3年(1846)建設。鹿児島市の中心を流れる甲突川には、江戸末期、肥後の名石工「岩永三五郎」指導のもと建造された5つのアーチ石橋が架けられていました。なかでも「西田橋」は、城下の表玄関として豪華に建造され、あの「篤姫」もお輿入れの時渡ったといわれます。150年の間現役の橋として県民に親しまれてきましたが、平成5年(1993年)8月6日の集中豪雨により、2橋が流失してしまいました。残った「西田橋」など3橋を移設・復元し、併せて石橋の架橋技術や当時の歴史をわかりやすく伝える「石橋記念館」を整備した公園です。

 高麗橋 弘化4年(1847)建設

 【 岩永三五郎像 】
天保11年(48歳)、石橋を架けるために薩摩藩から招かれます。家老のずしょ調所笑左衛門広郷の命を受けて、抱真橋を架ける途中、築造中に大水が出て、橋が流されそうになった時、三五郎は荒れ狂う濁流の中に飛び込み、川底にもぐって橋の土台の部分を調べたといいます。その功労により薩摩藩より苗字帯刀を許されます。

三五郎には円周率の計算をはじめ理論と技術にたけていただけでなく、石づくりへの気迫が感じられます。こうして三五郎は甲突川五橋など37の眼鏡橋を架橋しています。 三五郎は57歳で薩摩から肥後へと帰る途中、薩摩藩の内情を知りすぎたために刺客に襲われますが、三五郎の人柄をよく知っていた刺客はどうしても彼を殺すことが出来なかったというエピソードが残っています。

 【仙巌園】上記写真は、御前相撲の様子を再現した菊人形

 レンストラン松風軒にて、黒豚ロースカツセットをいただきました。 鹿児島県産の黒豚をつかったトンカツ。

【仙巌園】
1658年19代薩摩藩主・島津光久によって築かれた別邸です。約50、000平方メートルの敷地面積で、桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた雄大な景色がとても素晴らしいです。反射炉跡を含む旧集成館は2015年に世界遺産に登録されています。

【隼人塚史跡公園】霧島市隼人町内山田
3メートルほどの小高い丘に3基の石塔とそれを守るように4体の石像が鎮座する国の史跡です。大和朝廷に平定された隼人族の霊魂を供養して災厄を免れるために建てられた供養塔と伝えられてきましたが、平安時代の仏教遺跡と考えられるようになりました。

石塔の四面には丸みを帯びた穏やかな姿の仏像が彫られています。約800年前の創建当時に近い姿に修復され、五重塔三基と四天王像が再現されています。本来、塔は仏の世界を表し、それを邪悪なものから守るために四天王の像が置かれます。平成6年第1次発掘調査が始まり、平成11年12月に修復作業が終了しましたが、現在は工事中でした。

2日間にわたる旅行。複数メンバーで旅行するのは、個人的には1年で1回だけです。添乗員役も担っていることから、楽しい旅行ができるには準備が大変です。今回も多くの方の手を煩わせながら、訪問先、ホテルの手配、宴会場の手配などをおこないました。毎回思うことですが、ちょっと踏み込んで準備することで、とても喜んでいただけると思います。ある方は「利他的」とも言われますが、喜ぶ顔に喜ぶ、そんな人に近づこうとすることで、自分自身も周りの方も笑顔が増えるように思います。

来年は、四国または北九州を予定しています。


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