判例の学習法ですが、「どのような事案でどの判例を使うのか」、という視点で判例を整理しましょう。同じようなテーマで複数の判例がある場合、ケースごとに用いる規範が異なる、事案の特殊性がある、というのが複数紹介されている理由となります。
行政法や刑事訴訟法、憲法、刑法などは、特にこの視点で整理しておくことが有益です。例えば、行政指導に関する著名な判例でもある、品川マンション事件判例と、武蔵野市教育施設負担金事件(最判平成5年2月18日)の使い分けなどです。
判例の学習法ですが、「どのような事案でどの判例を使うのか」、という視点で判例を整理しましょう。同じようなテーマで複数の判例がある場合、ケースごとに用いる規範が異なる、事案の特殊性がある、というのが複数紹介されている理由となります。
行政法や刑事訴訟法、憲法、刑法などは、特にこの視点で整理しておくことが有益です。例えば、行政指導に関する著名な判例でもある、品川マンション事件判例と、武蔵野市教育施設負担金事件(最判平成5年2月18日)の使い分けなどです。
吉田沙保里が負けた。最初「神様はなんてことしやがる」と思った。レスリングの神様の寵愛を長年の間、一身に受けてきたはずなのに、「なんだこのいきなりの手のひら返しは!」と思ったのだ。そこは4連覇だろうと。
しかし、ちょっと冷静になってみたら、「そうか」と思うようになってきた。
「絶対王者」にもいずれ終焉の時が来る。時の流れはアスリートには恐ろしく冷酷だ。もし、霊長類最強の絶対王者に終焉の時があるとすれば、オリンピックの決勝以外、ありえない。世間の注目をあまり浴びない、通常の大会で負けるなどふさわしくないし許されない。
吉田沙保里は女子レスリング界のレジェンドであり、レガシーとなる人物だ。自分の歴史を紡ぐだけではなく、後輩を見事に育て上げ「王位継承」を見事にやってのけた。まさに完璧だ。「完璧な絶対王者」が敗北するのは、五輪の決勝以外、ないではないか。
ただ、吉田沙保里は規格外の人間だ。リオは本当に彼女の伝説の「終焉の地」なのか。ふと、そう思う。次回五輪では37歳。現実的ではないかもしれない。しかし、「伝説のエピローグ」と見えた「リオの敗北」が、東京五輪へのプロローグなのかもしれない。最終章は、実は伝説の新章の始まりだった。そんな期待をつい抱いてしまうのは私だけだろうか。東京五輪での勝利が今から見たくてたまらない。
ところで、吉田沙保里が敗戦後のみならず、表彰台でも泣き続けたことに「しらけた」と発言した芸能人がいる。二度とテレビには出ないでくれ。そこまで涙が止まらないのは何故か。これまでの想像もつかないほどの努力とそれが報われなかった悔しさ、勝って当たり前という全国民の圧倒的な期待に応えようとしてきた重圧。
お前なんぞに涙の理由などわかるわけない。