七十年、センター試験なんて始まるふた昔も前、私は、札幌に下宿して、田んぼの中の小さな予備校へ通っていた。ところが、その年の夏の終わりころ盲腸手術を受けるため実家に戻ったきり、予備校には行かないで自宅に引きこもった。
その予備校での数少ないエピソードの一つを紹介する。個人情報の実名を上げるのは気が引けるが、四十年以上経っているし、使わなければ意味が通らないのであしからず。
何の教科だったか、中年の教師が一人の生徒に名字を尋ねて、「安保(あんぽ)さんというのか」とおうむ返しに言った。七十年はちょうど第二次安保闘争の年、安保という二字略語はちまたにあふれていた。
すると、普段はどちらかというと太い声の教師が、急にか細い声になってこう言った。
「安保反対」「安保反対」
確か二度繰り返したと思う。
教室には二、三十人の生徒がいたが、教師の発言した真意がわからなかったので、教室全体にかすかなざわめきが広がっただけで、意味ある言葉を発する者はいなかった。
教師は、反対闘争に参加しないまでも、反対の考えを持っていたのだろうか。それとも世間の動静に対し、ただ揶揄するだけの気持ちで言ったのだろうか。
私は、六十年安保のころ、小学校低学年だったが、市民のジグザグデモや工場のストライキを生々しく記憶している。まだ、この国の人たちが心を合わせて政治闘争をしていたころのことだ。
それから十年、七十年闘争に差しかかったころ、先鋭化した学生運動は国民の支持をほぼ失い、同時に国民は政治闘争に参加する意欲をなくしていた。その教師がつぶやいた程度の声が散発的に上がっただけのことだった。
今となっては、政治や社会にストレートに文句や意見を言える時代は、完全に過去のものになった。何か重大な政治・社会問題が勃発したときだけ、普段、そんなことを忘れていたはずの文化人たちが登場し、単発的にもっともなことをのたまう。問題意識との間断なき格闘、永続的闘争というのはほんとうにむずかしいことだと思う。(2014.7.18)