黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

今日は父しゃんをいじめない

2015年08月12日 14時10分40秒 | ファンタジー

 そろそろとお盆がやってきた。盆という漢字は、仏教でいう盂蘭盆会の一字を取ったもの。先祖の好物をお盆に盛って供養したんじゃない? というトレイ起源論はまったく当たっていない。盂蘭盆とは、そもそもサンスクリット語で精霊を表すという。おそらく中国において翻訳するついでに、会座の会を付け足したものだろう。
 お盆になるとこの世とあの世との障壁がはずれ、行き来自由になるというのは仏教的な教えで、原始にはそのような境目はなかったろう。
 お盆にやってくる人々のことをマレ・ビトと言い、彼らはケーキなどのお祝いを持ってやってくる。住む世界が違う者同士が集まると、たちまち酒盛りが始まる。そのときしか会えないからお互いに喜びはひとしおなのだ。ただ度が過ぎると疲れるので、心の中にはいつも来られてはたまらないという気持ちも若干ある。

 つい最近、お盆休みを活用して、姪と小学生の息子が我が家に泊まり込みに来た。来訪から三日目、彼らは母さんに連れられて、親戚の家にお泊まりに行った。この家は、連夜の歓迎会で疲れ切った、はなと父さんだけの楽園になった。
 はなは、まだ小さかったときのように、久しぶりに父さんとサッカーのストライカーとキーパー役を三回ずつ交代でやった。はなは、猫じゃらしにすっかり飽きたはずなのに、父さんの手で激しく動く猫じゃらしに何度も飛びついた。そして、興奮の度合いがぐんぐんエスカレートし、いつもなら背中の毛を逆立て、鋭い牙で父さんの手をかみ砕こうかと思いきや、はなは遊びに満足したのか、床に寝転がった。
 はなは、父さんと二人っきりのときは、父さんをいじめない。気のせい? 

 彼らといっしょに近くの水族館へ行ったときのこと。デパートの中にあるので、小ぶりの水槽が多い。水槽の魚類は、めいめい好き勝手に泳いだり、なびいたり、歩いたりしていた。ふと気がついた。水槽の顔ぶれの中に、一匹だけこちらを眺めている魚類がいる。魚類と書いたのは、ゴマフアザラシのような大きなのも泳ぎを止めて、水面に顔を出し、私の顔の方に鼻をすりつけてくるのだ。ガラス越しに見つめ合う目と目。決して交わることのないあちらとこちら。そのうち、どっちがマレビトなのかわからなくなった。(2015.8.12)

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