連休中、思い切って畑仕事をした。自分を奮い立たせないとなかなかできない仕事のひとつだ。直射日光に焼かれながらおよそ一時間半、昼になったので家に入り、昼飯をとった。
一人で茶碗を片付けていたとき、頭の中にどこかで見たことがある情景が、なんの前ぶれもなく浮かんだ。それは以前見た夢の一場面のような気がした。すると、パソコンのスライドショーのように、場面がどんどん浮かんでは消えていく。私は思い出そうとも考えようともしていないのに。目はちゃんと開いている。悔しいことに、眠っているときの夢に比べ、ずっと鮮明で脈絡があるような気がする。あのときの夢はこんな風に展開していったのか。私は、おもしろくてたまらないという気持ちと裏腹に、この状態がこのまま続いたら、自分の精神は正気から遠のいていくぞという、せっぱ詰まった恐ろしさに捕らえられた。
どのくらい時間が経ったのか。夢の暴走がふと途切れた。
「百代の過客しんがりに猫の子も」
加藤楸邨の句が目に映った。そこで私も一句。
「百代の過客しんがりに猫の吾(あ)も」(猫彦)
(2015.9.25)