時間があふれんばかり流れていた二十歳前後のころ、一時的だったが漱石にのめり込んだことがある。そのときは三四郎からスタートして明暗まで一気呵成に読み通した。ただし「心」だけはすっ飛ばして。なのに、なぜか「心」のあらすじはかなり細部まで知っている。
そういった小説はもう一点ある。「火垂るの墓」だ。本屋でタイトルを目にしたとき、私の感受性がページを開こうとする指を硬直させた。
「心」を手に取らなかったのは、「火垂るの墓」の場合とは違う。内容がわかるので読むまでもないと思ったからでもない。正直言って読みたくなかった。
あらすじしか知らない私は、男二人、色恋沙汰を苦にして自死する、そんな小説が漱石だなんて不可解でたまらなかった。小路幸也氏に至っては、「話虫干」という小説で、「漱石「こころ」がヘンになった」と解釈し、本来の「こころ」の文面を取りもどし二人の命を救った。
まず思い当たるのは、「K」と「先生」が自死する必然性が感じられないこと。
「K」の、女に惚れたこと自体を悔やむというストイックな心情は、若い時代のプライドの高さの現れのひとつ。人は、時間をかけて自身と世間との齟齬を埋めていこうとするものだ。たとえ、Kと先生との間に、お嬢さんの件が持ちあがる前から恨みの感情とか行き違いとかがあったと仮定しても、こんな選択をしてはならない。
「先生」の方は、若気の至りで女性を策略で奪うような行いをしたことを深く悔やむのは当然のことだが、「私」と対峙しているときの「先生」の人となりは、若き日とのギャップが大きすぎる。「先生」の遺書は、誰かを弁護するため作為が施されているのではないか、格好が良すぎる、とさえ思える。
お嬢さん一家について感じること。母親と二人きりのお嬢さんが安定を求め、貧乏で社会性の乏しいKでなく、裕福で優秀な先生を選んだのは当然。一家は日本の古い価値観を体現している。一家は、先生にそれを感じ取らせるため上手に立ち回った。実は、お嬢さん自身も明かせない心の傷を負ったのでは、と私は思う。
さらに、漱石は、明治天皇の崩御と乃木希典の殉死に衝撃を受け、これを書いたとも言われている。衝撃でなく刺激とも取れる。そのころ、天皇の絶対化が進められていたが、それに反発する天皇機関説の提唱など、デモクラシーを求める大きなうねりが起きていた。その中心に漱石自身がいた。
先日、姜尚中氏の出演したNHKテレビ「漱石が見つめた近代」を見ていて思いついたことがある。漱石が東アジアの情勢を踏まえて「心」を書いたとしたら…。
「K」は当時の日本によって翻弄されるアジア諸国、狭義では中国と朝鮮の苦悩を体現する者。「先生」は羽振りのいい明治の大日本帝国の傲慢と凋落。「お嬢さん一家」は満蒙に建てられた日本の傀儡国家のいい加減さ。「私」はひとつ間違えば滅びの坂を転げ落ちかねない日本の未来。
歴史の暗い影に翻弄された二人は、明治の終焉とともに、人々の罪を背負って速やかに姿を隠さざるを得なかったのか。漱石は、滅び行く「先生」の口を借りて、「私」に対し、既存の価値観を変革する担い手になれと教唆している?
そのときから一〇〇年後の現在、漱石物のメタファー(暗喩)が様々に解釈できるのをいいことに、書かれていない後日譚や家庭の事情までしつこくほじくり返すのは行き過ぎの感がある。でも、何だかおもしろい。結局、漱石が仕掛けたメタファーの解明はまだ何一つできていない現状だ。(2016.12.5)