先週の土曜日、近所の郷土資料館でもらったパンフの写真の衝撃が冷めやらぬうちにと思い、写真の現地を見に行ってきました。
<発掘当時の写真です。今は高規格道路の下に眠っています。>
<倭国の末期古墳、いわゆる北海道式古墳の今の姿です。開発を免れた円墳は、発掘調査後、数メートルの盛り土によって保存されています。>
<副葬されていた蕨手刀のレプリカ、本物は北海道大学が所持しています。>
奈良から平安時代にかけて、この地は縄文系の人々の擦文文化一色だったはずなのですが、そんな蝦夷地のど真ん中にどうして倭人系の墳墓があるんでしょうか。(2020.9.16)