俳句も短歌もよくわからないが、楸邨の句は生々しさがいい。
「百代の過客しんがりに猫の子も」
この句は先に掲げたとおり、「猫の吾(あ)も」に改編させていただいた。
「枯れゆけばおのれ光りぬ枯木みな」
「さむきわが影とゆき逢ふ街の角」
自己の孤独を見つめる厳しさに満ちているが静かなたたずまい。
「蟇(ヒキガエル)誰かものいへ声かぎり」
「炎天下くらくらと笑(えみ)わききしが」
「鰯雲人に告ぐべきことならず」
私には、抑圧された心の叫びを感じるのだが。
「さえざえと雪後の天の怒濤かな」
「生きてあれ冬の北斗の柄の下に」
「燕はやかへりて山河音もなし」
「火の奧に牡丹崩るるさまを見つ」
やはり、人の死と深く結び合う句か。
「死ねば野分生きてゐしかば争へり」
「火の中に死なざりしかば野分満つ」
苦渋の思いあふれた句。
「雉子の眸のかうかうとして売られけり」
「天の川怒濤のごとし人の死へ」
「猫と生れ人間と生れ露に歩す」
「しづかなる力満ちゆきばつたとぶ」
我に比べ、雉子や猫たちの堂々たる面構えに心打たれる。
「ふくろふに真紅の手毬つかれをり」
「天の川わたるお多福豆一列」
「落葉松はいつめざめても雪降りをり」
「おぼろ夜のかたまりとしてものおもふ」
見たまま、感じたままでいい。(2016.1.12)
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