(富岡鉄斎 扇面)
高橋尚子選手は、走ることが好き。
そしてこの富岡鉄斎は、描くことが生きることそのものだったそう。
幕末の頃の、ジャンルとしては文人画家。
作品の特徴としては山水画や水墨画、彩色画を多く描き、時に繊細に、
大胆に、自由で何ものにもとらわれない独創的な表現を生みだしてゆく。
しだいに「賛」(画賛)といって、描かれた絵に作品の一部でもある鑑賞文、
賛辞を書き始める(ちなみに自分の絵に書くことを自画自賛という)。
はぁ・・・いいなぁ。 何度見てもため息
絵も字も生き生きとしていて、絵の中の二人の声や息遣いまで聞こえてきそう。
結局は「線」なのかなと思う。
その作品が生きているのか、死んでいるのか、それは絵でも書でも。
線はいろんなことを語る。
書き手のその時の心情や、どれだけ書いてきたかまでもお見通し。
走り続けることと、描き続けること。
どんな場面でも、ただ無心に続けることで、結果は自然とついてくるのでせう。
←左:短冊 右:扉に描かれた作品
富岡鉄斎のこぼれ話で、こんなのがある。
鉄斎はとにかく描くことが好きで、白い壁、ふすま、扉などを見つけると
「描いてやろう」と言って、所かまわず書いてしまうので、
家主は彼が来るとなったら、家中のふすまを外し隠したそう。
そんな風に、夢中になれるものが、あったらいいですね
私だったら、余分なふすまも買ってそこらへんに置いておくのになぁ。
(画像はネットから拝借しました
)
高橋尚子選手は、走ることが好き。
そしてこの富岡鉄斎は、描くことが生きることそのものだったそう。
幕末の頃の、ジャンルとしては文人画家。
作品の特徴としては山水画や水墨画、彩色画を多く描き、時に繊細に、
大胆に、自由で何ものにもとらわれない独創的な表現を生みだしてゆく。
しだいに「賛」(画賛)といって、描かれた絵に作品の一部でもある鑑賞文、
賛辞を書き始める(ちなみに自分の絵に書くことを自画自賛という)。
はぁ・・・いいなぁ。 何度見てもため息

絵も字も生き生きとしていて、絵の中の二人の声や息遣いまで聞こえてきそう。
結局は「線」なのかなと思う。
その作品が生きているのか、死んでいるのか、それは絵でも書でも。
線はいろんなことを語る。
書き手のその時の心情や、どれだけ書いてきたかまでもお見通し。
走り続けることと、描き続けること。
どんな場面でも、ただ無心に続けることで、結果は自然とついてくるのでせう。


富岡鉄斎のこぼれ話で、こんなのがある。
鉄斎はとにかく描くことが好きで、白い壁、ふすま、扉などを見つけると
「描いてやろう」と言って、所かまわず書いてしまうので、
家主は彼が来るとなったら、家中のふすまを外し隠したそう。
そんな風に、夢中になれるものが、あったらいいですね

私だったら、余分なふすまも買ってそこらへんに置いておくのになぁ。
(画像はネットから拝借しました
