心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

夢中になれるもの

2008-03-18 | つれづれ
                     (富岡鉄斎 扇面)
    



高橋尚子選手は、走ることが好き。
そしてこの富岡鉄斎は、描くことが生きることそのものだったそう。

幕末の頃の、ジャンルとしては文人画家。
作品の特徴としては山水画や水墨画、彩色画を多く描き、時に繊細に、
大胆に、自由で何ものにもとらわれない独創的な表現を生みだしてゆく。

しだいに「賛」(画賛)といって、描かれた絵に作品の一部でもある鑑賞文、
賛辞を書き始める(ちなみに自分の絵に書くことを自画自賛という)。
   
はぁ・・・いいなぁ。 何度見てもため息
絵も字も生き生きとしていて、絵の中の二人の声や息遣いまで聞こえてきそう。

結局は「線」なのかなと思う。
その作品が生きているのか、死んでいるのか、それは絵でも書でも。

線はいろんなことを語る。
書き手のその時の心情や、どれだけ書いてきたかまでもお見通し。

走り続けることと、描き続けること。
どんな場面でも、ただ無心に続けることで、結果は自然とついてくるのでせう。


   ←左:短冊 右:扉に描かれた作品



富岡鉄斎のこぼれ話で、こんなのがある。

鉄斎はとにかく描くことが好きで、白い壁、ふすま、扉などを見つけると
「描いてやろう」と言って、所かまわず書いてしまうので、
家主は彼が来るとなったら、家中のふすまを外し隠したそう。

そんな風に、夢中になれるものが、あったらいいですね

私だったら、余分なふすまも買ってそこらへんに置いておくのになぁ。

(画像はネットから拝借しました

コメント (8)
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