(はがき)
10代の頃の私は、父に「お前は四角四面だな」と言われるくらい
真面目で疑うことを知らず、素直で 無器用な方だった。
今も実はあまり変わらないのかもしれないけど、
そうじゃない自分になりたいっていう自分が同居しているから、
多少弛んではいるとは思うけど。
あの時、父にそう言われてから、変わりたいって強く思った気がする。
父に対する反発ではなくて、自分でもそうかもって思ったから。
人はたぶん、本来の自分と、その逆の自分と両方を持っているんだと思う。
そのことは、書を始めて実感した。
作品を書いていても、本来の自分はどうしたって、出てきちゃう。
でも、どこかで、本来の自分とは逆の自分を探したくなることがある。
で、その回り道の過程で知る自分っていうのもある。
自分が一番わからない。
自分を知りたくなったら、少し回り道をしてみるのもいいのかも。
美味しくないものも時々食べると、美味しいがよくわかる。
好みじゃない音楽も聴いてみると、意外といいって思うこともあるかも。
興味がないと思っていた世界に足を踏み入れたら、虜になったり。
新たなるよろこびを得るためには、急がば回れってことですかね
10代の頃の私は、父に「お前は四角四面だな」と言われるくらい
真面目で疑うことを知らず、素直で 無器用な方だった。
今も実はあまり変わらないのかもしれないけど、
そうじゃない自分になりたいっていう自分が同居しているから、
多少弛んではいるとは思うけど。
あの時、父にそう言われてから、変わりたいって強く思った気がする。
父に対する反発ではなくて、自分でもそうかもって思ったから。
人はたぶん、本来の自分と、その逆の自分と両方を持っているんだと思う。
そのことは、書を始めて実感した。
作品を書いていても、本来の自分はどうしたって、出てきちゃう。
でも、どこかで、本来の自分とは逆の自分を探したくなることがある。
で、その回り道の過程で知る自分っていうのもある。
自分が一番わからない。
自分を知りたくなったら、少し回り道をしてみるのもいいのかも。
美味しくないものも時々食べると、美味しいがよくわかる。
好みじゃない音楽も聴いてみると、意外といいって思うこともあるかも。
興味がないと思っていた世界に足を踏み入れたら、虜になったり。
新たなるよろこびを得るためには、急がば回れってことですかね