心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

刺激を求めて~書展巡り② 独立書展 

2008-01-21 | 書展・展覧会情報
                写真の大作は、3×6尺(90cm×180cm)が
                16枚分!=3m60×7m20。



昨日は朝から母と、今年2回目の書展巡り。
まずは昨年オープンして注目された国立新美術館での独立書展 へ。
(Topicsの第56回展から作品の閲覧もできます)

今までなぜか一度も行った事がなかった独立書展。
たぶん私がいた会とは求める世界観が違っていたので、当時は興味が
湧かなかったし、おかしな話だけれど、見てはいけないものという気がしていて。
(書道会って、そんな排他的なとこがあるような気がする・・・ )

でも書の団体と距離がある今、どんな書風でも見てみたいと思うようになり・・。
皮肉なものですね。

そのはじめての独立書展、今までにない新しい衝撃がありました!
まずはその作品のとてつもない大きさ!迫力に圧巻。
もうただただ、なんというエネルギー! なんという挑戦! なんという爆発!
なんじゃこれ!って何度も何度も独り言。

この大きさを作品にするには、もちろん広い場所と大量の墨と、計り知れない
体力、気力、そして湧き上がる興奮と情熱が必要。
私にあるかなぁ・・・こんなエネルギー。 

      
      六本木(木立)                    臨書
    

   
       見賢思齊                      一閃
   


なんだか・・自分が小さく思えた。
なんか日々、つまらないことで悩んでるなぁ・・って。
どうせ悩むなら、こんな風に表現できたら・・吐き出せたら・・・って。



    墨が生き物のようにうごめいて



手島右卿氏が創立者の独立書人団といえば、淡墨の世界というイメージが強く
それを期待して行ったのだけど、思ったよりそういう作品は少なく、
けれど今までの概念を一新し、一人一人が作家であるという印象が残りました。

それにしても独立書展には、お洒落で素敵な女性がたくさんいらっしゃいました。
それぞれの会のカラーも、作品と似てくるってところも、面白いところです。

かなりな衝撃波を受け、大満足。
そうそう、会場で偶然、教室にいらしているHさんとKさんに会い、ちょっと感動。
このあと、上野に移動して、書海社展、亀甲展へ。
そのお話はまた明日。。。
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母の書のルーツ  ~書海社

2008-01-20 | 書展・展覧会情報
              扇面 松本芳翠    ~書海社HPより 



母は高等学校1年から3年まで、選択科目は書を選んで学んでいたらしい。

結婚して、私が小学校3年生の頃、自分はこのまま専業主婦で子育てだけの
人生でいいのだろうかと悩んでいた時に、ちょうど祖父(母の父)が、書の
先生についていたので、「そうだ、書を始めよう」と思ったそう。

祖父はどこかの展覧会で観た 松本芳翠 の格調高く品のある作品に感銘を受け、
けれど当時既に他界されていたので、その門下でいらした櫛淵蓬山先生の門を叩いた。

そして母も、松本芳翠の書に魅せられ、櫛淵先生の教室に通うようになり、
その頃、書海会社展にも出品していた。

何度か出品しているうちに、書海社展会場で松本芳翠の一番弟子でいらした
中平南谿先生 と出会い、どうしてもこの先生に習いたいと強く思うようになり。

母は怖いもの知らずというか、世間知らずと言うか、そんな雲の上の先生に
臆することもなく、その場で教えを請い、しばらくは櫛淵先生にも通いつつ
その後、中平先生の門下にして頂いた・・・らしい。

改めて母に、書を始めるきっかけや、書に対する熱い思いを聞いて、つくづく思った。

書は元々は手習いと言って、先生の模倣から入り模倣で終わるみたいなところも
あるけれど、だからこそ、その教えを請う先生との出会いは、自分で求めて
探さなければ、途中で迷うこともある。道を諦めることもあるかもしれない。

出会いは待っていてもやって来ない。
自分の魂が響いて喜ぶものを、貪欲にいくつになっても探して、必ず見つけるんだ
という情熱を持っていたい。

その思いは、きっと良き出会いを連れてきてくれるはずだから。

今日はこれから、母とまた書展巡りに出かけます 
今日から始まる書海社展(石川芳雲先生も出品)と、今日までの独立書展。



   




書道教室の皆さまも、目習いも大事!お時間あったらお出かけくださいませね

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苦手もお互いさま

2008-01-19 | 漢詩


「心静興長」こころしずかなればきょうながし。
心が静かであれば日もまた長く興趣も深いものである、という意味。

社会にいれば、いろんな人と交わることになる。
気の合う人とばかりとはなかなかいかず、苦手な人、どうも相性の
悪い人もいたり。
同じことを言われても、ありがとうって思える人と、そう思えない人とか

そんな時、ふと自分のことも考えてみると、消したくても消せない自分の
キライなところも見えてきて、人のこと言えないなぁって落ち込むこともある。

だから時々、心静興長・・・と、ことばに出して確認する。

どうも気が合わないっていう相手と、無理に交わろうとしないで、
適当な距離を保ちつつ、キライな自分とも折り合いをつけつつ、心静かに。
どちらにも思いを強くせず、こだわらないように、こだわらないように。。。

本来人は皆、気持ちよく、仲良くしたいと思っているんだと思う。
だから、何事もなるべくなら、良い方に良い方に捕らえていきたいものです。

「キライ」も、「苦手」も余計なエネルギー使うから。
心静興長・・と念じつつ。

苦手な人・・私ももちろんいます。
そして私のことが苦手な人も、もちろんいるわけだから。

苦手もキライもお互いさま。
そう思えば、少しは楽になれるかな・・と 







 
 
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甲骨文字と、まぁ、一杯

2008-01-18 | 書の話



11/3のブログで、甲骨文についてご紹介しましたが、実物は亀の甲や獣骨に
彫られたものなので、直線的で素朴な情緒が魅力だけれど、刀を筆に変えると
また別の表情が見えてきます。

そういえば以前、版画用のローラーを使って、油絵の具で書いた作品を出品したことも。
どこかに写真でもあったかな・・。あとで探してみよぉっと。。

写真左は、「光」という字。
チューリップのような部分は「火」で、その下は「人」。人の頭の上に火を乗せた形らしく。
右は「昔」。肉を重ねて天日干している形とか。
  「漢字のルーツ古代文字で遊ぶ」マール社より

う~ん、なんとなくイメージできるような・・・。

甲骨文字を見ているだけで、モヤモヤしたものがスーッと消えて、不思議と
素直な気持ちになってきます。
あ~こんな時代に生きたかったなぁ・・・って。

今回はやわらかい羊毛の筆で書きました。
このサイズだと筆の勢いがよくわからないんですが、やっぱり書の、背中が
ムズムズするような感激感は筆力、筆のタッチ、墨色なんですよね。。。

私はどうも、筆が割れてかすれた線がたまらなく好きみたいです。
太く迫力のあるかすれも好き、くすぐったい感じのかすれた線はもっと好き。

「光」という字の下半分の姿もなんとも、イトオシイじゃありませぬか。。
火を頭に載せてる姿と思うと、「光という字」を書くという感覚を忘れて、
「光」と語り合うっていう感覚が沸いてきます。

その感触を味わえたら、書はもっと楽しくなるはずです 

分厚い書道辞典を肴に、お~いいネ!この表情!なんて言いながら一杯!
な~んてのも、なかなかオツなものです。(オヤジっぽい?)

そうそう、人との関係もそんな感じがいいのかもしれないですね。
イメージや固定観念は捨てて、それぞれの感性でもって。。


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わかれてきた道がまっすぐ ~山頭火

2008-01-17 | 山頭火・放哉・良寛
   
 

最近絵手紙教室では、絵よりも、たとえばこんな、山頭火の句を書く。

おとといの教室で、この句を宿題に。
それぞれに書いてきた作品の品評会をする。(と言っても、和気あいあいにね )

そこで、どなたかがこんな質問を。
「これは過去の道なのか、それとも未来への道なのか?」と。
すると皆さんもどちらなのか、随分悩んだと。
それによって、絵も字の流れも変わってくるから・・と。

「えっ?」
おおおお~なるほどぉ

今自分が見ている道は、過去を振り返り、既にまっすぐになった上にいるのか、
それとも、今自分が立っているのは、わかれてきた道がこれから先まっすぐに
伸びている時点なのか。。

私は迷いもせず、後者でした。
今までわかれてきた道が、これから先はまっすぐに伸びているイメージ。

道といえば、縦に書くのか、横に書くのか、あるいは左から?右から?・・と
川は左から?右から? 風はどこから?上から?下から?

へ~。ふ~ん・・・と改めてみんなで確認。

  みなさんの作品。 


その感覚って、どこで培われるものなんでしょうね。
生まれ持ったもの? 育った環境? ・・・?
新しい発見と、感動がありました。

さっきの話、道の時点はどっち?の答えは、教室の皆さんはほとんどが前者。
子育ても終わり、お孫さんもいらっしゃる頃の人生の先輩方の解説によると・・
「それは年齢からくるものじゃない?」と、一同大いに笑う。

でも・・確かに生きてきた道のりもあるけれど、自分がいつの時点なのかを
決めるのは、自分次第ってこともあるし。

それに、どの地点であっても、ぽつぽつとまっすぐでありたいなぁ・・。


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インテリアの書

2008-01-16 | 書の話
              <CDラックの上のコーナーに>
               10年位前に古道具屋で買ったカンナを立てて
               刃の上に千両を添えて。
               拾ってきた石ころに「洗心」と書いた和紙をはって。
 



書(家)は各々、現代に、そしてこれから先の未来に生き残る方法を模索している。

伝統的な書体を残す書家として、あるいは近代詩文等の仮名まじりの読める書、
抽象的な絵画的な現代書、広告の中の書、そして何年か前から注目されているのが
インテリアとしての書。

今は住宅事情も昔とは違って、和室も少なく、掛け軸を飾れるような高さの天井も
床の間もない家も多いですよね。
それに書は文字(漢字)を作品にするので、何となく洋間には合わないイメージが
少なからずあるようで・・・。

でも書体を選び、見せ方次第で、洋間にも合う現代的な空間を演出することもできるのです。

たとえば、品行方正な書よりも感覚的な書、甲骨文字や篆書なんかも似合う。
ことば(文字)から受ける印象をそのまま書く。
お手本なんかいらない。
自由な心で、楽しく書く。これが正しいなんてのもない。
思いついた時に思いついたことばをささっと書く。
それが意外と傑作!ってなったりもする。

最初は一字から。
たとえば、「遊」「楽」「花」「夢」「心」「空」「宙」「悠」「信」「愛」「風」・・・

      
   トイレコーナーはこんな感じ        ちとお香で汚れてるけどトイレだから「捨」の字


自分で書いた作品を飾るなんて恥ずかしい・・って、最初は思うかもしれませんが、
一度舞台に立った人はやめられないっていうのと一緒で、
次はどんなものをって、きっと楽しくなります!

ぜひ早速何か書いてみてくださ~い。
まずは写真のように、その辺の石ころにはってみては・・。
洋紙では硬くてだめなので、和紙に書いて、ヤマト糊を水で伸ばしたもので貼って。

その辺にちょこんとあるだけで、ちょっと「ムフフ」って気になってきますよん。
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成人の日を思い出しながら・・

2008-01-15 | つれづれ
              「蝸牛角上争何事 石火光中寄此身」 白居易詩 




「かぎゅうかくじょう 何事をか争う せっかこうちゅう 此の身をよす」
意味は・・
「かたつむりの角の上のような小さな世界で 何を争ったりするのか
 石の火花がちる間だけ この身を世の中にあずけているというのに」 


年を重ねたせいか、なんだか世の中を憂うことも増えた。

二十代、三十代は今思うとほんと怖いものは何もなかったし、生きていることが
当たり前で、未来は自分のために永遠に続くなんて思ってた気がする。

だけど、だんだん人は気づく。
あれ? 私ってこんなものだったの?っていう無力感とか焦燥感と共に。

昨日は成人式。
私はどんな「はたち」だったっけ・・って思いながら、テレビの新成人を観ていた。
ついこの間のことのようでもあり、遠い昔のことのようでもあり。

今日のsuntoryの新聞広告、伊集院 静氏のエッセイの一節。

「生きていることがどんなに素晴らしいか、若い時にはわからない。
 だが、君はいつか生きている意味を思い知る日がくる。(中略)
 それは、人間は己以外の、誰かの、何かのために懸命に生き抜くことだ。(中略)
 そうすれば君に見えてくる。世の中が、人間の生が、いかに哀しみで溢れて
 いることが・・・。(後略)」

生きていることが当たり前で、自分のためだけに生きていると、いつか自分から
離れられずに、失うことを怖れ、けれど大切なものを失うような気がする。

でも同時に言えることは、自分を大事にできない人は、誰かを大事にできない。
自分なんかどうでもいいやって思ってる人は、相手のこともそう思ってしまったり。
そしてそのしっぺ返しは、また自分に戻ってくる。

人は皆、この身をこの世にあずけていると思えたら、肩の力も少し抜けるような
気がする。。  

この世は儚く憂うものだから。 だからこそ強い心で。
でもやっぱり、二十歳の頃は気づかなかったけれど・・


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お礼状 ~猫とたんぽぽクッキーに

2008-01-14 | つれづれ
             無事家にやって来ました。すぐに仲良しになりました。
             たんぽぽクッキーも美味しいね。有難とう。 沙於里




書初め会の時のOさんからお手紙が届きました。
あの日書いた「車」という作品を、渉君が学校へ持っていったら、今教室に飾ってあると。
なんだか、うれしいですね~。


   手紙はこんな↓手書きの封筒で         おとぼけ顔の猫のアイピローとクッキー

  
      

こんな封筒をポストで見つけた瞬間の「あ! 」っていう感激は、
いくつになってもドキドキと嬉しいものです。

なんだろうって急いで開けてみると、
「あなたに会いたいって猫が言うので、たんぽぽクッキーと一緒に届けます!」と。

私なんか、つい忙しがってメールで済ませてしまうお礼も時々・・
Oさんはどんなに忙しくても、ちょこちょこっと手仕事を楽しんでいて、
やられた~っていつも思う。

拙くても思いは伝わると信じて、手書きのお礼状を・・・と。
ただ大事なのはタイミングですね。。 時間をおくと感激も変化しちゃう。

忙しいのにありがとね。結心さん、麦ママもありがとう 
私こそ素敵な時間でした。

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一年ぶりの座禅会 ~常福寺

2008-01-13 | つれづれ
                 お庭のお地蔵さま 右上はロウバイ?
  


昨年の1月に、新年会を兼ねた餅つき会に参加して以来、ずっとご無沙汰をして
しまっていた座禅会に、今朝行って来ました。

毎週土曜日には明日こそと思いつつ、朝7時までに着くには5時半起きせねばならず、
夜更かしの私にはかなり覚悟がいるのでして。。

けれどこのお正月に、ご住職様よりご丁寧にお年賀状を拝受し、ああぁ・・・・と
感激、有り難く、恐縮
座禅は自分との対話の場であるわけだから、誰かに言われたからするものでも
ないのだけれど、私にとっては大切なきっかけを頂けたので、よし!行くぞっと。

でも寒かったぁ・・・  あとで伺ったら今日は格別にずしりと寒かったと。
手はすぐに冷たくなって、私は寒がりだから、体は小刻みに震えるくらい。

とても「無」を探すどころではなくて。。
その上、久々だったので足は痺れるし、背中がかゆいとか、腰が痛いっとか、
緊張すると唾液が溜まってきて、何度も静寂を破って「ごっくん」。

それでも何とか心静かに・・と深呼吸すると、いろんな鳥の声が聞こえてくる。
普段は慌しく朝を過ごし、コンクリートの建物の中で一日が過ぎていく生活では
鳥がその命を営んでいることさえ、忘れていることもある。

静かなゆったりと流れる時間の中で、鳥達の声を聞く事ができたこと、
お庭の小さなお地蔵さまに再会できたこと、1年振りにもかかわらず、
変わらず迎えてくださったご住職様、諸先輩の方々との和やかな会話。

「無」なんて程遠いけど、こうやって繰り返すことが大事なのかな・・と。
今日参加できてよかったです。

「今年も1/26に餅つきの会と新年会がありますよ。」
「ちょうどいい時に来られましたね」

もちろん喜んで参加させて頂きます!

常福寺のご紹介を左のブックマークに追加しますので、ご覧になってくださいね。

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しなやかな心で

2008-01-12 | つれづれ
                   山から白い花を机に   山頭火



友達が家に遊びに来ると、ここはジャングルみたいねと言われます。

リビングも寝室も、トイレやお風呂にも植物やら、拾ってきた大きな枝やら
リースにしようとストックしてある蔓でいっぱい。。

それに、最近は物が増えるからと買うのを我慢しているけど、へんちくりんな
アジア雑貨や骨董まがいの古道具や、何かに使えるかも・・と捨てられない物たち、
書の紙のストックやらに囲まれてます。

でも私だけではなく、ここ、不思議と落ち着くらしいです 

そんな雑多な中の人目につかないところに、小さな雑器に花を一輪、
それが沙於里的癒し空間です。

山頭火のこの句は、なんとも言えないしなやかな心を感じて好きです。
山で白い花を見つけたときの小さな喜び、そして机の上にいてくれることへの
ありがとっていう思い・・。
きっと折られた白い花も、机の上で微笑んでいるような気がします。

白い一輪の花と、折った人の心が響きあった瞬間が、さりげなくそこにある・・。
そんな景色が見えると、誰かを見守りたくなります。
そんな景色の中で、誰かを想いたくなります。

しなやかな心で。
しなやかな笑顔で。



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