新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

1月23日は「徒然煙草の咄嗟日記」記念日

2011-01-23 08:57:18 | 日記・エッセイ・コラム

本日、1月23日は、このブログ「徒然煙草の咄嗟日誌」の開設記念日です。
めでたく2周年を迎えました
学校や会社では創立記念日はお休みになるのが普通ですが、「徒然煙草の咄嗟日誌」は休みません


最初の記事「ブログを始めました」から09年2月3日の「ロシアンタバコ」までの最初の12日間だけ、今とは違うデザイン(テンプレート)だったことを知る人をほとんどいないでしょう。

なにせ、最初の12日間のアクセス数は合計で393でしたから。


そこで、明日、記事を更新するまでの間に限って、当時使っていたこちらのテンプレートを復活させることにしました。


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と、思ったところ、現在では「コルクボード」を新規に設定することができなくなっていました…
カタログには載っているのに… 激しく残念です


ちなみに、現在使っているテンプレート「雨上がり」は、09年2月4日の「MISIA 『少しずつ 大切に』」で書きましたように、


雨のち晴れの空の下で…(加えて雨上がりの道を…も)にちなんで、


使い始めたのでありました。


110123_1_2


この時は、「またそのうちに別のに変えよう」と思っていたのですが、妙に気に入ってしまって、現在に至っています。
今後も、ブログのコンセプトの大変更をするようなことがない限り(今のところその予定はありませぬ)、使い続けそうな気がしています。


   


さて、このブログを続けてこられたのは、ブログにやって来てくださった方々(漂着した方々も含め)のおかげだと思っています。いやいや、きどって書いているわけではなく、ホントにそう思っています
書いていただいたコメントはもちろんのこと、アクセス記録を見るだけでも、ブログを書くモチベーションになっています。


そんなわけで、去年の記事「『ブログ開設1周年』を勝手に祝う」に書いたコンセプト(下に再掲します)のまま、続けて行きたいと思っています。
変わらぬご愛顧とご支援をお願い申し上げます。m(_ _)m


さて、今後も、①中長期ビジョンなど持たない、②仕事関係のネタは(極力)取り上げない、の二大方針を堅持して、このブログを行き当たりばったりに続けて行きます。
目くじらを立てることなく、引き続きよろしくお願いいたします。
あ、そうだ。「一日も欠かさない」は「方針」に含まれておりませんので、そのうち途切れるかもしれませんよ。

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ギッター先生、凄い! (前編)

2011-01-22 17:30:27 | 美術館・博物館・アート

1月10日の記事「千葉市美術館でつながる、つながる…」で書いた千葉市美術館の「開館15周年記念 帰ってきた江戸絵画 ニューオーリンズ ギッター・コレクション展」、どうしたことか、私は先週の日曜日で終わったと思い込んでいました。

110122_2_1 それが、ひょんなことから今週末(明日1月23日)までであることに気づき、あわてて観に行ってきました。
詳細は、巡回展の宣伝の意味も込めて、後日書きますけれど、取り急ぎご報告を…。

いやはや、満腹感、いや満足感でいっぱいデス
片道1時間半もかけて出かけた甲斐があったというものです。

土・日・祝日だろうが平日だろうが関係なさそうなじさま&ばさまが、わざわざ土曜日に大挙して観にいらしていたり、2度も携帯の呼びだし音が鳴り響いていたり(どちらもおばさま。同一人物かも…)と、ちぃと観る側に問題がありましたけれど、展示されている作品群が素晴らしいし、説明プレートが懇切丁寧で、かなり楽しむことができました。

どうしようか迷っているア・ナ・タ
迷っているくらいなら行ってしまいましょう

これを見逃したら、静岡(2月5日~3月27日)か、福島(6月11日~7月24日)か、京都(9月3日~10月16)に遠征するか、一生観られないのどちらかですゾ(恐らく

ちなみに千葉市美術館の開館時間は、きょう(1月21日)は午後8時まで[入館は午後7時半までですが、30分間じゃ足りません、K.I.T]、明日は午前10時~午後6時[入館は午後5時半まで]です。
ご近所にお住まいなら、まだ間に合う

つづき:2011/01/27 ギッター先生、凄い! (後編)

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「ソーシャル・ネットワーク」を観てきた

2011-01-22 10:22:25 | 映画

昨夜、サッカー・アジアカップ準々決勝「日本 vs カタール」戦のことをすっかり忘れて、レイトショー(\1000)で映画を観てきました。


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ソーシャル・ネットワーク」です。


あらすじは(公式サイトからの引用)、


2003年の秋の夜、ハーバード大の学生であり、コンピュータ・プログラミングの天才=マーク・ザッカーバーグはPCに向かって座り、ある新しいアイディアに夢中になっていた。大学寮の小さな一室で始めたブログやプログラミングに対する彼の激しい情熱は、すぐに世界的なソーシャル・ネットワーク・サービスへと成長し、コミュニケーションの革命を起こすことになる。
わずか6年で5億人が登録。マーク・ザッカーバーグは歴史上もっとも若い億万長者となった。しかしこの成功と同時に、彼には複雑な人間関係と、権利トラブルが待ち受けていた…。


というもの。「コンピュータ・プログラミング」「複雑な人間関係」「権利トラブル」と、これを見ただけで、先日観てハラハラ&ドキドキを楽しんできた「アンストッパブル」とは正反対っぽいことは容易に想像がつきます。


しかも、登場人物たちは、私のようなフツー日本人のおっさんには理解不能な方々がほとんど
名門大学の秀才たちに、コンピュータ・オタクに、超ハイソサエティなお坊ちゃまに、揚げ足取りや「重箱の隅つつき」が大好きな弁護士たち…。
お友達になれないっつうか、お友達になりたくない方々がわんさかでてきます。
主人公のマーク・ザッカーバーグジェシー・アイゼンバーグが好演)とか、Napsterの開発者のショーン・ファニングとかとは、とうてい会話が成立しそうにありません

それでいて、悪人らしい悪人は出てこないところがリアルです。


早口の会話の応酬の連続で、(字幕読みネ)とフル回転せざるを得ない中、一服の清涼剤というかなごめたのが、大富豪のご子息にして、ハーバード大の学生にして、ボート競技のオリンピック候補(実際、北京オリンピックMen’s Pairに出場)にして、イケメンのウィンクルボス兄弟アーミー・ハマーがCG合成で二役)


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強烈なエリート意識とプライドを持っていて、「アイデアをマーク・ザッカーバーグに乗っ取られた」と怒りつつも、「ハーバード人はマスコミや訴訟に頼ってはいけない」なんて見得を切ったりします。それは良い心がけだと思うのですが、代わりに採った方法が、パパの会社の顧問弁護士を通じてマーク・ザッカーバーグ警告書を送ったり、パパのコネを使って学長に面会して「マークったら、学生倫理規定に違反してるんだよ」と直訴したりと、お子ちゃまなのが笑えます。(学長=元財務長官のサマーズさんにけんもほろろにあしらわれるのが痛快


   


繰り返しますが、この作品、とにかく会話が多くて、しかも早口

おかげで、映画を観に行ったのか、字幕を読みに行ったのか判らない、、、、というのは冗談ですが、少なくとも映像に集中することはできませんで、かなり見逃したシーンがありそうです。


そんなわけで、もう1回は観に行きたいと思っています。


こちらの「クラブ」のシーン(かなりお気に入り)は、


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後でBlu-rayディスク版を買ったとしても、自宅で堪能するのはぜぇ~ったいに無理(近所から苦情が来るのは必至)ですし。


   


万人にお薦め」ではありませんが、かなり特殊な人たちのかなり特殊な物語で、楽しめる人には「来る映画」だと思います。


それにしても、実在の人物、それも現役の人物を実名で、虚実取り混ぜて(制作側が公言しています)映画を作ってしまうなんて驚きです。日本ではあり得ないと思いますし、ましてや訴訟大国の米国ですぞ 当然、法的な準備は万全なのでしょうけど…。


ソーシャル・ネットワーク」のことは、後日、書き足すかもしれませんが、とりあえずきょうのところはこれまで

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桜井眞一郎さんが亡くなった

2011-01-21 07:24:13 | ニュース

きのう、ネットのニュースで、桜井眞一郎さんが亡くなられたことを知りました。


桜井真一郎氏死去=スカイライン生みの親」と題する時事ドットコムの記事を引用します。


 桜井 真一郎氏(さくらい・しんいちろう=日産自動車の「スカイライン」開発責任者)17日午後10時23分、心不全のため東京都世田谷区の病院で死去、81歳。神奈川県出身。葬儀は自ら設立した精密機械メーカー「エス・アンド・エスエンジニアリング」の社葬として、3月15日午後1時から港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。葬儀委員長は大浦清一社長。喪主は長男卓(たかし)氏。
 横浜国大卒業後、建設会社勤務を経て52年プリンス自動車工業(現日産自動車)入社。57年に発売された日産の代表車種「スカイライン」の開発に初代から長年携わり、「スカイラインの父」と呼ばれた。 (2011/01/20-20:33)


一つのモデル・シリーズと結びついて語られるエンジニアって、そうそういるものじゃありません。


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上の画像はC110型(ケンメリ)のレンダリング。こちらで書いた平塚市美術館の特別展「カーデザインの歴史 -NISSAN 情熱と機能の美-」で買ってきたものです。


VQエンジンを搭載した先代(V35)以降のスカイラインを「あれはスカイラインじゃない」という人も少なくないようですが(私はV35V36と乗り継いでいます)、私としては「スカイライン」という名前が残っているだけでも大きな意味があると思っています。

日産に限らず(ホンダはがんばっている)、昔からのモデル名がどんどん無くなっていくこのご時世、今でも新型スカイラインを買えるというのは、ゴーン日産も「スカイライン」という名前に価値を見いだしているからなのだと思います。


桜井眞一郎さんのご冥福をお祈りいたします

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建設機械の排ガスはかなり臭い

2011-01-20 06:17:09 | タウンウオッチング

帰省したり旅行した時、バスや大型トラックの排ガスが臭くて、「そういえば、首都圏じゃこんな臭いがなくなったなぁ」と感じます。
これというのも、約10年前の2001年に東京都が公害防止条例を改正して東京都独自の排ガス規制を始め、これが首都圏の8都県市(現在は相模原市が加わって9都県市)に広がったことが大きい


首都圏では、走るバスや大型トラックがこんなステッカーを貼っています。

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基準を満たさないクルマは期限を区切って車検を更新できないといったある意味強硬手段をとった結果(これだけではないと思いますが)、首都圏の大気は格段の改善を実現したようです。
1月18日の毎日jpに、「東京のすす:7年で3分の1 排ガス対策が効果…東大調査」としてこんな記事が載っていました。


東京大先端科学技術研究センターは17日、東京都内で開かれたシンポジウムで、ディーゼル車の排ガスに含まれぜんそくなどの原因とされるブラックカーボン(すす)の都心における10年の濃度が、03年から7年で3分の1以下に減ったとする調査結果を報告した。《中略》
報告者の近藤豊教授(地球大気環境科学)によると、東京の濃度はアジア諸国で際立って低いという。すすは健康被害のほか、地球温暖化の原因物質とも指摘されるが、近藤教授は「7年間で3分の1は驚くべき削減量。同じ対策を世界規模で講じれば、地球温暖化の抑制効果も期待できる」と強調した。


だそうです。
私の計算によれば、「7年間で3分の1」にするためには、平均15%づつ減らさなければなりません。1回だけならば▲15%も頑張ればなんとかなりますが、これを7年間続けるというのは相当なことです。
これができたということだけでも(失礼)、石原都知事は後世に名を残すような気がしています。


asahi.comに載った似たような記事「富士山116日も見えた 大気浄化・乾燥化要因 武蔵野」では、


 (成蹊高校・中学の観測所が)観測を始めたのは63年。工場からの煙や自動車の排ガスで、大気汚染が社会問題になっていたころだ。65年は年間で22日しか富士山が見えず、最少記録となっている。
 「東京に青空を」と訴えて美濃部亮吉知事が初当選したのが67年。公害対策に取り組んだ成果か、富士見日数は70年代から増加傾向に。石原慎太郎都知事が就任した99年、初めて年間100日を超えた。一昨年には、ディーゼル車の排ガス規制も強化された。


と、美濃部都政の公害対策が奏功して、石原都政の時代に花が開いたっぽく、いかにも「朝日的」な書き方(私は美濃部知事の反道路政策が今にもつづく大きな禍根を残したと考えています)になっていますが、特にここ数年、首都圏の大気が良くなってきていることは否定できないでしょう。


   


ところが、首都圏でも、昔懐かしい(?)排ガス臭が漂っている場所があります。


それは、工事現場


こちらの記事に書いたように、自宅の最寄り駅周辺では再開発事業が真っ盛りです。で、毎朝、駅に向かう時に、たぁ~っぷりと排ガス臭を味わっています
そして、職場最寄り駅の東京駅に着くと、こちらも丸の内駅舎の復原工事が真っ盛りで、やかましいし、そして、臭い


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私は1分足らずを我慢すれば済む話ですけれど、上の写真の丸の内北口改札前は、よく、近郊のツアーに参加する人たちの待ち合わせ場所になっています。添乗員さんとか早く着いてしまったツアー参加者には厳しい環境だと思います(みどりの窓口は空調完備か?)。


ナンバーをとって、道路を走れる建設機械にはバスやトラックと同様に排ガス規制が適用されるのだろうと想像がつきますが、トラックに載せて現場に持ち込まれる建設機械や発電機の排ガス規制はどうなっているのだろうかと疑問に思って調べてみました。


すると、国交省のHPにこんなのがありました。


建設施工における環境対策 排出ガス対策


ぱっと見るとどこから手をつけたらよいのか目がくらみます

ですが、丁寧に見ていくと、2006年10月1日に施行された、通称:オフロード法という、名前を聞いただけではどんな分野のどんな性格の法律なのか判らない法律があることが判りました。

オフロード法の正式な名前は「特定特殊自動車排出ガスの規制等に関する法律」で、ブルドーザーとかフォークリフトとか農業用トラクターやコンバインのような「特定特殊自動車」の排ガスを規制しようというもの。対象となる「特定特殊自動車」は、国交省作成の参考資料(PDF)によると下図のとおりです。


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それはそれで結構なことなのですが、オフロード法施行以降は規制に適合した「特定特殊自動車」しか使えないかというとそんなことはなく、去年まで規制に適合していないモノも製造OKでした。


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しかも、上に示したのは、「特定特殊自動車」の新車製造と使用開始のスケジュールで、以前から使用していた「特定特殊自動車」は現在も使用可能です。
いったい規制適合車に入れ替わるまで何年かかるのでしょうか?

上に書いた8都県市のバスやトラックの排ガス規制は、「古いクルマは車検を通せない」というワザで、旧車を首都圏から追い出した(その結果、古いクルマは廃車されるだけでなく、その他の地域に出て行ったのもある)わけですが、「特定特殊自動車」にはそんなワザは通用しません。

しかも、同僚の情報によりますと、3~5年前は発展途上国で建設機械の需要が盛り上がって中古の建設機械が盛んに輸出された(代わって国内では新型に入れ替わった)ものの、リーマン・ショック以降は急激に中古の建設機械の輸出が冷え込んでしまったのだとか。


う~む、、、です。


ところで、ブルドーザーや杭打ち機のような「特定特殊自動車」は、一応、オフロード法で製造・使用開始にたががはめられているわけですが、発電機のようなオフロード法の対象外の機械はどうなっているのでしょうか?


見つけました


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排出ガス対策型建設機械指定制度」というのがあるようです。
でも、「直轄工事での使用原則化低利の融資制度などにより、環境にやさしい建設機械の普及を図っていきます」ではぬるすぎませんか?


工事現場近くに自宅や職場がある人たち以上に、現場で働く人たちの健康のため、もっと強制力をもって建設機械を更新していくべきじゃなかろうかと思います。
公共事業がどんどん減るこのご時世、建設業も大変でしょうが、頑張って設備投資していただきたいものです。

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「江江」ってのもありか?

2011-01-19 06:08:24 | テレビ番組

回転しないお寿司屋さんに行くと、「大入額」が飾られていたりします。
例えばこんなの(妄想のなせるコラージュです)。


110119_1_1大入額」には、「○○賛江」「△△与利」なんて書かれています。
○○賛江」は「○○(贈呈先)さんへ」、「△△与利」は「△△(贈り主)より」という意味です。


全部漢字で書きたいから」というよりも、「『』はまずい」っつう思いがあるのだと、私は解釈しています。
江戸の町火消し「いろは四十八組」も、「」組(神門辰五郎親分の組)はあっても、「(火)」組、「()」組、「組」なんぞと共に、「へ組」がなかったくらいですから、そこは縁起物の「大入額」で「」を避けるのは当然のことでしょう。


で、NHKの大河ドラマ「江 ~姫たちの戦国~」(テーマ曲以外のストリングスは弦一徹オーケストラ)の第2回を観ていたところ、お市の方に宛てた信長からの手紙が出てきました。
その宛名に書かれていたのは、


市江


さすがに差出人として「信長与利」とは書かれていませんでしたが…
ここでふと思ったのは、お江ちゃんへ手紙を出す場合の宛名は、


江江 か?


まさしく、ええっ ですな…。
しょうもないネタですみません。 m(_ _)m

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祝! 記事900本!

2011-01-18 06:15:38 | 旅行記

一昨日の記事「アールデコの楽園であ~る」で、通算900本目のキリ番を迎えました。


800本目の時のこちらを踏襲して900本目までの軌跡を整理しておきましょう。


100本目 09/04/05 (73日間) 花見に行ってきました
200本目 09/06/19 (74日間) イントゥザライト、出走!
300本目 09/09/02 (73日間) 「火の鳥」第1・4巻を持ち帰った
400本目 09/11/16 (74日間) エゾシカの寿司!?
500本目 10/01/29 (73日間) J.D.サリンジャーの訃報
600本目 10/04/24 (85日間) あれ?『のだめ24巻』がきょう届く?
700本目 10/07/23 (89日間) 『空頭』って?
800本目 10/10/16 (83日間) 大宮を出発
900本目 11/01/17 (90日間) アールデコの楽園であ~る


また、恒例のカテゴリー別の記事本数はといいますと、まず、1~900本目が、


1位日記・エッセイ・コラム(249本、27.7%)、2位MISIA(231本、25.7%)、3位美術館・博物館・アート(186本、20.7%)、4位旅行記(116本、12.9%)、5位ニュース(101本、11.2%)・・・・16位トイレからの脱出(14本、1.6%)


と、上位の順位は不動です。
ですが、ここ100本に限ると、下克上(?)が発生しています。


1位美術館・博物館・アート(42本)、2位日記・エッセイ・コラム(24本)、3位MISIA(19本)、4位ニュース(15本)、5位タウンウオッチング(7本)・・・・16位阪神タイガース(0本)


美術館・博物館・アートが堂々の1位躍進

代わって、701~800 本目1位だった旅行記わずか4本で、本と雑誌食・レシピと並んで6位です
旅行記ばかりは、基本的に旅行に行かないと書けませんしね…、、、と、思い出しました10月なかばの仙台遠征のことをほとんど書いていなかった


東北大学植物園のことは書いたものの(記事はこちら)、多賀城の東北歴史博物館のことは「古民家から私の旧実家に思いが飛んでいく」で移設民家のことを書いたきりだし(しかも、この記事を旅行記に分類していないことに今になって気づいた…)、松島瑞巌寺のことはまるで書いていない… 瑞巌寺宝物館では図らずも特別展「白隠禅師禅画墨蹟展 貳」が開催されていて、白隠慧鶴の作品をたぁ~っぷりと楽しんだのに…。
いつか機会があったら書きたいと思いますが、そういう流れになりますかどうか、ちぃと心もとないので確約はできませぬ


今のうちに弁解がましく瑞巌寺で撮った写真を載せておきます


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そうこうしているうちに、ブログ開設2周年が近づいてきました

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「トーハク」では軽薄だけど、やはり東博は凄い (完結編)

2011-01-17 06:15:42 | 美術館・博物館・アート

一昨日の「トーハク」では軽薄だけど、やはり東博は凄い (その5) のつづきは、東京国立博物館(東博)本館2階の「日本美術の流れ」から、私の注目作品をご紹介します。


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昨年9月の記事「超々久しぶりの千秋公園(その4、まだ寄り道)」で、


私は一生の間に何点拝見することができるのでしょうかねぇ。っつうか、私はまだ1点も「佐竹本三十六歌仙絵巻」を生で観たことがないのが悲しい…


110117_1_2 と書いた佐竹本三十六歌仙絵巻を、ついに生で観ることができました
東博が原操さんという方から寄贈されたという「佐竹本三十六歌仙絵巻断簡(忠峯)」です(右の画像をクリックするとアップ画像をご覧いただけます)。

説明プレートを引用しましょう。


壬生忠峯(みぶのただみね)は9世紀から10世紀にかけて活躍し、『古今和歌集』の撰者もつとめた。黒装束に、緌(おいかけ)を着けた冠を被り、武官らしいきりりとした面構えで、彼方を見やっている。目鼻や眉、鬚等を精細に描き込んで個性的な表情を創り出すのは、まさに似絵(にせえ)の本領。


イメージしていたものより、大ぶりだった(36.6cm × 59.6cm)のが意外でした。
ちなみに説明にある「緌(おいかけ)」というのは、武官が冠の両脇につける「馬の毛をブラシのように束ねて扇形に開いた用途不明の飾りWikipediaの記述より)」のことです。

ところで、ここに書かれている忠峯の歌は、拾遺和歌集に収められている、

はるたつと いふばかりにや みよしのの
  やまもかすみて けさはみゆらむ

らしい(言われてみればそう読めないこともない)。あと半月で立春です。


   


次は、「その1」でちらりと触れた伊藤若冲の「松梅群鶏図屏風」。


110117_1_4


110117_1_5 上の写真ではものの見事に人影に遮られてしまっていますが、この作品の見どころの一つは点描法で描かれた石灯籠(右の写真)でしょう。

わたし的には、作品全体の中で石灯籠だけが浮いている感じで、ちぃと…なんですが…


一方で、さすがに若冲、様々なポーズを決めるニワトリたちが見事です。

こちらなんか、まさしく「正面から向かい合っている」というか…


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ニワトリの顔を真っ正面から見ると、こんな風になるのでしょうか。
なんともお間抜けに見えますナ。


   


最後は、わたしにとって総合文化展 最大のお楽しみ、「武士の装い―平安~江戸」。


今回も魅せてくれました

なんといっても、こちらの


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左は明珍吉久作で「天和3年(1683年)」の銘のある紺糸素懸威栄螺形兜(こんいとすがけおどし さざえなりのかぶと)、そして右は岩井善兵衛作の茶糸威野郎頭形兜(ちゃいとおどし やろうがしらなりのかぶと)

方やサザエに、方や綾小路きみまろ(正しくは野郎頭やろうがしらこちらの記事にも別の作品が登場しました)のねじりはちまき添えデス


こちらの具足も意表を突きます。


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越前福井藩主、松平齊善(なりさわ)公(11代将軍 家斉二十二男)所用の茶糸威四枚胴具足というものだそうで、兜にそびえ立つ飾り(頭立:ずたつ というものらしい)が強烈です

  [左の写真をクリックすると背面からの写真をご覧いただけます]

この頭立に電飾を施したらルミナリエみたいに見えるかもしれません


一気に時代を400年ほどさかのぼって、室町時代(15世紀)のこのは美しかったぁ~


110117_1_9色々糸威腹巻」というのがこの鎧の名前ですが、腹巻といっても寝冷えを防ぐためのものではなく鎧の形式の一つです。


シルエットが実に美しい…

っつうか、相当にスリムじゃないと着られないのではないでしょうか?

メタボ系の人がむりやり着ると、背中がガバぁ~っと開いて、かなりみっともないことになりそうです


110117_1_0 そんな時には、陣羽織で隠すしかないでしょう。

左の陣羽織黒毛『五』文字模様」は江戸時代、それも19世紀のものですから、ほとんど実用性は考慮されていないものと思われます。


説明書きによると、この「」はヤクの毛を黒く染めたもの(黒毛和牛ならぬ黒毛か?)だそうで、別の情報によりますと、戊辰戦争で江戸城開城後に新政府軍のお偉いさんが被っているフサフサは、徳川幕府が清から輸入してため込んでいたヤクの毛を接収して流用したのだそうです。


そういえば、武田信玄には白い毛の生えた兜を被っているイメージがありますな。

調べてみると、諏訪大社に伝来した「諏訪法性兜(すわほっしょうのかぶと)」で使われているのもヤクの毛のようです。


   


ということで、1月10日に始めた「『トーハク』では軽薄だけど、やはり東博は凄い」シリーズ、全巻の完結であります


東博では明日から文化財保護法制定60周年記念 特別展「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」が始まります。また、「本館リニューアル記念 特別公開」は終わってしまいましたが、「新春企画 博物館に初もうで」は今月いっぱい(30日まで)開催されています。


次はいつ行きましょうかねぇ…

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アールデコの楽園であ~る

2011-01-16 06:36:13 | 美術館・博物館・アート

110116_1_1ちょいと割り込みネタ。
きのう、久しぶりに東京都庭園美術館に行ってきました。
開催中の「東京都庭園美術館建物公開 朝香宮のグランドツアー」がきょう16日(日)までですので、先にこちらのお話をと思いまして…。

東京都庭園美術館といえば、アールデコ様式で知られる旧朝香宮邸をほぼそのまま活用した、建物そのものが美術品の美術館です。
普段は、館内では撮影禁止なのですが、建物公開期間中だけは、一部を除いて写真撮影OKだそうで、こりゃ行かずばなるまい と出かけてきたしだいです。

外から漠然と見るだけでは「大きな洋館」といった風情ですが、

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一歩、邸内に入ると、アールデコの楽園が広がっています。

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玄関を入るとルネ・ラリックのガラスのレリーフ(上の写真は内側:大広間側から撮ったもの)が出迎えてくれますし、壁紙レジスターも部屋ごとに違う特注品だし、アールデコ好きの私にはたまりません

例えばレジスターはこんな具合です。旧朝香宮邸の実質的な内装責任者ともいうべきアンリ・ラパンによる壁紙で囲まれた小客室はこちら(一番シンプルかも)。

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大客室のはこちら

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そして大食堂のは「おさかな」です

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2階はベランダを除いて撮影禁止でしたので写真はありません

また、も、なんとステキなこと

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さらに、あちこちにアールデコの意匠がちりばめられています。

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そんなアールデコ一色の邸内で、朝香宮家ご一家のダイニングルームだったという小食堂はちょっと様相が違っていました。

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一見洋風ですが、よくよく見ると、床の間があるし、朝香宮鳩彦王殿下の騎馬像が置かれている出窓の下のレジスターは、

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源氏香の図」の意匠です

家族団らんの場所は和のしつらえだということが、なんとも良いシメで、しかも、組香に絡む話まで出てきまして、うまい具合に東博ネタに戻れます

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「トーハク」では軽薄だけど、やはり東博は凄い (その5)

2011-01-15 09:02:52 | 美術館・博物館・アート

「トーハク」では軽薄だけど、やはり東博は凄い (その4) のつづきは、久しぶりの法隆寺宝物館からスタートします。


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法隆寺宝物館を観たのは、上の写真を撮った2009年10月以来のこと。頻繁に展示替えが行われている本館の総合文化展に比べて、こちらは目新しさに欠けるというか…(伎楽面を除く)。
でも、久しぶりに来てみると、やはり飛鳥時代(7世紀)金銅仏が並ぶ様子は、法隆寺宝物館ならではです。


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飛鳥時代の仏さんは、今の感覚からすればバランスがおかしいし(かなり頭でっかち)、かなり素朴な雰囲気が漂っていて、それはそれでかわいらしい


110115_1_3 左の「如来椅像(にょらいきぞう)」は、プロポーションが幼児体型ですし、足が床についていないところなんてところも、Lovelyです。
それが、白鳳時代を経て天平時代へと、ほんの100年ちょっとの間に、創られる仏さんの姿が劇的に変わっていきます。
この間、絶え間なく、遣唐使が世界最先端の文明をから日本に持ってきていたというのに、この変化は何だったのだろうかと考え込んでしまいます。
例えば、下の写真は本館1階の11室に展示されていた唐時代(7世紀)十一面観音菩薩立像です。


110115_1_4飛鳥仏ですよ」と言われたら、すんなり信じてしまいそうです。(洗練度は段違いですが


ところが、薬師寺薬師三尊像(白鳳仏)になると現実味を帯び始めて(?)、東大寺法華堂の諸仏とか興福寺乾漆八部衆立像になると、飛鳥仏唐伝来の仏さんたちとはまるで違います。


和魂洋才」ならぬ「和魂」とでも言いましょうか…。


   


そんなことを考える一方で、この時の私はかなりの空腹感にさいなまれていました。

東博にはレストランが二つあるのですが、以前もっぱら利用していたラ・コール(運営は上野・精養軒)が東洋館耐震補強工事に伴って、規模とメニューを大幅に縮小して営業中です。そこで、たまには背伸びして法隆寺宝物館の中にあるガーデンテラス(運営はホテルオークラ)で食べようかと思ったところ、、、、例によって待っている人の列がズラリ…

結局、ラ・コールで発泡スチロール製トレイに盛られたカレーライス(700円)を食したのでありました。


   


今年最初の東博での特別展「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」は1月18日(火)から始まります。それまで平成館の特別展示室はクローズしています。が、平成館全体がクローズしているわけではなく、1階の総合文化展・日本の考古遺物は「営業中」です。


考古展示室は、この日の東博では最も観客が少なく、のんびりしたムードが漂っていました。


110115_1_5 ここでちょいと変わった形の埴輪が展示されていました。1mほどの大きさのこちら、何の形なのでしょうか?

着物をプルオーバーのように着ようとしているバートくん(シンプソン一家の長男)のようにも見えますナ。


説明プレートには、


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靫(ゆぎ)」? 「Quiver」?
う~~ん、わからない…


帰宅して調べると、要は矢筒でした。
そう言われてみれば、確かにそんな風に見えます…。
でも、もうちょい素人にも判るようにしていただきたいデス


さて、この他、こちらのたちが楽しい


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鳥形容器(下・右)とか環状提瓶(下・中)とかも面白い造形ですが、子持脚付壺はどのように使うことを想定したものなのか判りません。
大きなガラスのボウルの周りに何個もガラスのカップをぶら下げられるようにしたフルーツポンチ用の器を連想します。


   


去年の4月の記事「東博の桜に『裏を返す』(その3)」で紹介した「銀座出土金貨」も展示されていました。
そして、その隣には慶長小判元禄小判を始めとする勝崎沖出土品


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実は、昨年4月、こちらも「銀座出土金貨」と一緒に展示されていたようですが、私は「銀座の金貨」に舞い上がってしまい、まるで気づきませんでした


ところで、「勝崎沖出土品」ということは、海の中から見つかったということでしょうか?


調べてみると、こちらのサイトに記述がありました。引用させていただきます。


◆伊豆大島のゴールド・ラッシュ(東京都)
 1957(昭和32)年2月、伊豆大島の岡田の漁師が、カツサキ浜の沖合の水深15メートルの海底で、小判8枚を拾った。うわさはぱっと広がり、島の漁師たちの間でゴールド・ラッシュが巻き起こった。最終的に海底から引き揚げられたのは小判90枚、一分金43枚に達した。総額で時価2000万円は下らないものと推定される。大島付近で沈没した船で、小判を積んでいたと伝えられるのは、1663(寛文3)年2月に沈んだ津の「功天丸」、1705(宝永2)年の宇和島の藩船「第二伊予紋丸」、1737(元文2)年の「明神丸」の3隻があり、このうちのどれかのものと思われる。


所有者不明で、かつ、海底から見つかったお宝なんですねぇ。
であれば、遺失物法文化財保護法の規定にしたがって、「国庫に帰属」することになったのでしょう。


   


ということで、次回は本館に戻り、2階の「日本美術の流れ」をご紹介することにします。


つづき:2011/01/17 「トーハク」では軽薄だけど、やはり東博は凄い (完結編)

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