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●反骨の報道写真家、福島菊次郎さん

2012年08月22日 00時00分24秒 | Weblog


zakzak.co.jpに、以前出ていた福島菊次郎さんに関する記事(http://www.zakzak.co.jp/people/news/20120803/peo1208030754000-n1.htm)。同様に、eiga.comのインタビュー記事(http://eiga.com/movie/58127/interview/)。

 ビデオジャーナリスト、ジャパンプレス所属の山本美香氏がシリアで亡くなった。
 綿井健陽さんのコメント。

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http://www.asahi.com/international/update/0821/TKY201208210179.html

 アフガニスタンイラク戦争の取材でよく山本さんと顔を合わせたというビデオジャーナリストの綿井健陽さん(41)は、悲報を受け「ジャーナリストは一匹おおかみになりがちだが、周りの人にもとても親切で優しい人だった」と語った。カメラのバッテリーやテープが切れたときに、山本さんが貸してくれることがあったという。
 綿井さんによると、現地では、今回同行していた佐藤和孝さんと一緒に取材していた。佐藤さんがリポートするときは山本さんが撮影し、逆もあった。「戦地の取材経験が豊富で、どんな現場でもいろんな情報を分析し、慎重かつ落ち着いていた」と話した。

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http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp1-20120821-1004001.html

  フリージャーナリスト綿井健陽さん(41)は「彼女は1990年代半ばから、パートナーの佐藤和孝さんと一緒に中東だけでなく、旧ユーゴスラビアなどを渡り歩いた。何でもこなせる記者だった」と振り返り、「取材姿勢は慎重だった。信じられない」とショックを受けた様子だった。
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 上記記事の他の部分によると、「2003年にはイラク戦争の開戦から現地で報道を続けたことで、03年度のボーン・上田記念国際記者賞特別賞を受賞」し、「 「男社会」の戦争の現場だが、女性の視点を大切にした仕事ぶり」、「弱者の視点を大切にする人」だったそうだ。
 ご冥福をお祈りする。


 下記は、報道写真家 福島菊次郎さんの記事。タイトルにある通り、「反骨」の報道写真家。
 「ヒロシマ三里塚闘争全共闘運動水俣祝島・・・・・・」、そして、フクシマ。映画『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』予告動画http://eiga.com/movie/58127/video/)、是非ご覧ください。
 「・・・カメラマンは法を犯しても構わない」と言い切る。真のジャーナリスト。91歳。すごいの一言です。

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http://www.zakzak.co.jp/people/news/20120803/peo1208030754000-n1.htm

【福島菊次郎】反骨の“報道写真家”!ウソを討ち撮る
2012.08.03

 「(取材する問題自体が法を犯したものであれば、報道カメラマンは法を犯しても構わない

 91歳、37キロのやせた体にこめられた信念は、報道に携わる者にとって奥深く、重い。
 1960年代後半、自衛隊内部の取材を申し入れ、事前の検閲を条件に許可が下りた。ところが検閲を経ないまま月刊誌に写真を掲載。激怒した防衛庁(当時)の広報担当者に対して、逆に詰め寄った。

 「だましたのは悪い。でも、写真を撮るというマスコミの当然の責任を果たすためにあなた方をだましたんだし、あなた方はだましてもいいんだ。(戦力保持を認めない憲法があるのに国民をだましたのはあなた方じゃないか!

 この反抗は波紋を呼び、後日、暴漢に襲われて重傷を負い、自宅は不審火で延焼したという。
 信念の原点となった原爆被災者の撮影でも「法を犯した」経験がある。10年にわたって追い続けた原爆症患者、中村杉松さん(1967年死去、享年59)の生活保護に関する書類を、広島の役所で強引に出させた

 「(担当者を)なかば恐喝して全部写真に撮りました。それは犯罪です。でも、それをやって初めて、1人の被爆者に対して政治、医療が何をしたのか、はっきり分かったのです」

 中村さんは福島さんに対し、「あんた、代わりに敵を討ってくれ」と撮影を許可した。後遺症で毎日のたうち回る中村さんの内ももには、刃物による無数の傷があった。「傷の痛みがある間はピカ(原爆)の苦しみを忘れられる」と、病床で自ら傷つけたものだった。
 ケロイドが顔にある女性に撮影を願い出ると、胸ぐらをつかまれた。

 「あなたは知っているはず。私を強姦する男もいないことを…」

 ヒロシマでの取材は、それこそ地の底まで潜り、「そこで見たものは人間の地獄だけでした」と振り返る。それだけに、「私にとって原爆も原発も同義語」と、3・11の直後には福島に乗り込み、夢中でシャッターを切った。事故現場に近づき、警備の警察官ともみ合いに近い状態となる場面もあった。
 そんな福島さんを主人公にした映画『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』が公開される。

 「ニッポンの嘘というタイトルは気に入っています。戦時中は大本営のウソ戦後も戦後政治のウソウソの塊がこうした閉塞状況を作った

 「報道のモラル、という言葉があります。少なくとも報道は悪いことはしないという社会通念もある。僕たちはその上に乗っかって、いい気になって取材をしているけれど全部が嘘っぱちな政治に対して、こちらだけがお行儀よくしていたら、それこそ思うツボですよ」

 反骨の武闘派だが、素顔はいたって穏やか。アパートで愛犬ロクと1日1000円の予算で気ままな生活を送り、料理を楽しむ。原稿を書く旧型のワープロを起動する際、「ちゃんと動きますように」と両手を合わせてお祈りするおちゃめな一面も。ただ、「国を攻撃しながら国から保護は受けられない」と、年金は拒否している。
 今回、映画の主人公となることで、初めてカメラに追われる側に回った。

 「まず、恥ずかしい。写真に撮られるのが大嫌いなんですよ。いつも自分が傍若無人に撮っているくせに、人間って勝手なものですね。まだしも若ければいいんですけれど、こんなにもしなびちゃって、ハッ、ハッ」

 嘘とは、隠すこと。人間の本能に抵抗し続けた報道写真家が自らをさらけ出し、「嘘っぱち」の世の中に最後の勝負を挑む。(ペン・久保木善浩、カメラ・宮川浩和)

 ■ふくしま・きくじろう 報道写真家。1921年3月15日生まれ、91歳。山口県下松市出身。郷里で時計店を営むかたわら、46年から広島で被爆者の撮影を開始。51年、原爆症に苦しむ中村杉松さん一家と出会う。以後10年にわたる苦闘をまとめた『ピカドン ある原爆被災者の記録』で日本写真批評家協会賞特別賞を受賞。その後、プロ写真家として活動を始め、安保、学生運動、三里塚闘争、公害、原発など幅広いテーマを精力的に取材してきた。『写らなかった戦後 ヒロシマの嘘』など写真集、著書多数。
 激動の戦後日本にレンズを向けた姿を追った映画『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』が、4日から東京・銀座シネパトス、広島・八丁座などで公開。その後、大阪、福岡など全国各地で上映予定。
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http://eiga.com/movie/58127/interview/

インタビュー/『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90
2012年8月3日更新

広島から福島へ……被爆者と戦後日本を追い続けた反骨のカメラマン

敗戦直後の広島で原爆の後遺症に苦しむ人々を撮影、その後報道カメラマンとして学生運動、自衛隊、水俣、祝島などをテーマに激動の戦後日本にレンズを向け続けてきた福島菊次郎氏。本作は、その反骨精神で半世紀にわたり国家の嘘を写真で暴いてきた福島氏の2009年からの2年間に密着したドキュメンタリーだ。1982年に保守化する日本に絶望してカメラを置き自給自足の生活を選び、その後がんを患い執筆活動に専念していたが、東日本大震災を受け、原発事故で多大な被害を受けた福島を報道写真家として最後の現場として選んだ福島氏に話を聞いた。(取材・文/編集部)

「戦時中の若者でしたから、国家権力に対しては一切抵抗できなかった。国に言われるがままに、ぼろきれのように使い捨てられた」。戦時中は二等兵として召集され、米軍が本土上陸した際の自爆攻撃を命じられていた。敗戦を迎え、1946年から広島で被爆者の撮影を始めた福島氏は「そこで見たものは人間の地獄だけでした」と語る。「戦後70年たとうとしているのに、いまだに最高裁で被爆者の訴訟が続いている一体何という国だろうと思います。政府は被爆者の治療に対して、世界に先駆けた医療体制を確立すべきだった」と主張。そして「その問題が今の福島の被ばく者への対策につながっている」という。

「今の福島は、原爆を受けた当初の広島とほとんど同じ状態。つまり、もし放射線による障害が出た場合、その対策はいまだ皆無ではないか」と語気を強める。本作では震災から半年後の2011年9月、原発事故の被害にあった福島で取材を敢行する姿に迫っている。やせ細った身体ではあるものの、検問に立ちはだかる警察官をものともせずシャッターを切りまくる福島氏の鋭い眼光からは、何が何でも真実を伝えたいという気迫が伝わってくる。

「毎年、年が明けるごとにあと1年……と考えて生きています」。1921年生まれの福島氏、今年で91歳を迎えた。激動の戦後日本と共に歩んだカメラマン人生はどのようなものだったのだろうか。

「戦中は一切国家の言うままになっていたので、敗残兵だった僕にとっては、戦後というのはいろんな意味であらゆることが刺激的だった」と振り返る。特に60年代からの学生運動の取材は、「国家権力に抵抗する若者に教えられました。それは僕が戦時中の日本人から、民主主義の日本人に変わっていくひとつの動機を作ってくれた」と明かす。

戦時中も大本営の嘘、戦後も政治の嘘、日本は嘘のかたまり。子どもが自殺した時も教師や校長、教育委員会に真実を感じる人は誰もいない。本当のことを言わなくなった国は恐ろしい。我々は政治に対して変幻自在な態度、考え方、やり方を持つべき。嘘っぱちの政治に対して、行儀よくしたら、国の思うつぼ」と、報道が相次ぐ子どものいじめ問題にも言及し、教育委員会の公選制復活を期待しているという。

本作は「ガイアの夜明け」などテレビを中心にドキュメンタリーを手がけてきた長谷川三郎監督の劇場デビュー作となり、日本のドキュメンタリー界の第一人者であり長年是枝裕和監督作品のカメラマンも務めている山崎裕が撮影を担当した。「問題が法を犯したものであれば、カメラマンは法を犯しても構わない」など過激な発言も飛び出すが、穏やかで説得力のある福島氏の語り口に引き込まれずにはいられない。激動の時代を切り取った数多くの写真のほか、年金受取を拒否し、現在山口県のマンションで愛犬とつつましく暮らす姿も映し出す。写真家現役時代に趣味で始めた彫金もプロ並みで、カメラを構えた手に光る個性的なデザインの指輪にも注目だ。

今回被写体側にまわった感想を聞くと「恥ずかしかった。写真に撮られるのが大嫌いなんです(笑)。いつも自分が傍若無人に撮っているくせに、人間って勝手なもの。若ければいいんですがこんなにしなびちゃっているから」と冗談めかす。そして、「僕が人生を賭けて写真家としてシャッターを押し続けた時代をこういう形でまとめて見るのは初めてなので、非常に感慨深かった。戦後時代に対してひとつの役割が果たせたんだなと、幾ばくかの満足感をおぼえました」と笑顔を見せた。
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