エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ユングに学んだエリクソン

2016-04-01 07:19:20 | アイデンティティの根源

 

 

 
神の計画は∞
  オッカム主義では、神様は日常生活とは縁もゆかりもない者になっちゃいましたね。今と同じです。 Young Man Luther 『青年ルター』p190の第2...
 


  子どもには、良い良心をプレゼントしたいですね。神様以外は、何物も恐れずに、確信をもって、自由に活動してもらいたいからね

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.263の、第2パラグラフ、ブランクから。

 

 

 

 

 

                4

 

 この本では、私どもは西洋の宗教運動について論じていますけれども、この運動は、自分の感じに基づいて行動を起こしてもいい感じと、自分はダメだぁという感じのやり取りを極端に強調し、「神なる父と子」の関係を特に強調することから生じ、その後、ずってそれを強調し続けています。この枠組みでは、母はあい方ですけれども、陰の存在です。父なる宗教は、母なる教会を持ちます。

 

 

 

 

 ここに、ユングの父性原理と母性原理が、垣間見えますね。アイデンティティも、エリクソンの専売特許のように言われますが、ユングの方が先に言ってますからね。ユングに学んで、エリクソンはアイデンティティとライフサイクルを思いついた、というのが私の節です。

 

 

 

 

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トラウマの話は、理解されづらくて・・・。

2016-04-01 06:41:36 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
神の計画は∞
  オッカム主義では、神様は日常生活とは縁もゆかりもない者になっちゃいましたね。今と同じです。 Young Man Luther 『青年ルター』p190の第2...
 

 

 昨日のところは、翻訳しずらいところでしたね。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.246、引用の後から。

 

 

 

 

 

 痛々しい出来事について話すことって、共通理解を生み出せるって限りませんでしょ。むしろ、逆ですからね。家族でも、組織でも、内輪の恥をさらす様な者は、村八分ですからね。友達でも、家族でも、悲しみや傷で息詰まっている人には我慢なりませんでしょ。ですから、トラウマの犠牲者たちは、ひきこもっている場合が多いですし、彼らの話は、繰り返しの話になりますから、一番断ることが出来ない形に編集されてしまいます。

 

 

 

 

 

 痛々しいトラウマを語ることは、まわりの理解が得られないことが多い。ですから、本当に理解されたと感じたら、トラウマをかかえた子どもは、心底嬉しいわけですね。

 でも、そのような場は、聴く者も語るものも、意識的に作らなくてはなりませんでしょ。いつでも大事なのは、意識なんでしょうね。

 

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メンタルヘルスに欠かせないものを捨ててる私たち

2016-04-01 02:08:03 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
実感の哲学
  人も三位一体でしたね。 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p26の第2パラグラフから。 &...
 

自分を大事にする分だけ、あなたの身近な人を大事にできるようになっています

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」のp.234、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 私どもは歴史の転換点に今あると私は信じています。歴史の転換点においては、人びとが理解していることは、現代社会は、人間の最善の精神衛生(メンタルヘルス)のためには欠かせない根源的な多くのものを捨て去ってしまっている、ということなんですね。その課題は、世界中でうつ(気分障害)の発症率がビックリするほど上昇していることを見れば分かります。このうつの発症率の上昇は、治療法と診断法がよくなっていることだけでは、説明がつきません。1905年に生まれた人は、75際になるまでにうつになるのは、1%でしたが、いまや、24歳の誕生日までに、6%の1955年生まれの人が、重症のうつになってしまっています。他の研究からも、10台のうつの発症率が、この何十年かの間に、信じられないような10の要因から、上昇してきましたね。

 

 

 

 

 日本でも、うつの発症率(生涯有病率)は、6.5%と言われているようです(http://www.jabct.org/home-japanese/%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%AF%94%E8%BC%83/%E3%81%86%E3%81%A4%E7%97%85%E6%82%A3%E8%80%85%E6%95%B0%E3%81%AE%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%AF%94%E8%BC%83/)。アメリカと大差ないですね。

 でも、100年前の6倍でしょ。これは、個人の資質に原因があると言うよりも、「社会病理としてのうつ」として、うつも考えた方が良いことを示しているはずですね。ブルース・ペリー教授もだいたい同じ考えでしょう。

 

 


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ヴァン・デ・コーク教授が、発達トラウマ障害の診断をDSM-Ⅴに入れて、と考えた訳

2016-04-01 01:42:25 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 

 
組織が腐る時 VS 弱い立場の人と共に悦ぶ時
  組織が腐る時とはどういうときでしょうか? 最近の様々な一流企業、国や自治体などの組織的犯罪が問題です。その典型が、東京電力や経済産業省(旧通産省)などの国...
 

 

 それでは、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : defelopmental trauma disorder)をDSM-Ⅴにハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) から、まず冒頭部分の翻訳です。

 

 

 

発達トラウマ障害(DTD)を、DSM-Ⅴの診断に含めてほしいと提案する目的

 

発達トラウマ障害(DTD)という診断名をご紹介する目的は、慢性的に対人関係の中でトラウマに晒されている、思春期までの子ども達の臨床像の現実をハッキリと示すためなんですが、それによって、効果の出る治療法を、臨床医(心理臨床家)の皆さんに、開発し活用してもらうとともに、日常的な対人間暴力が神経生理学な変化をもたらすことを、研究者の皆さんに、研究してもらうためなんですね。発達トラウマ障害の子ども達が、PTSDの症状を示すかどうかに関わらず、子どもたちが、現在進行形の危険や、虐待や、不適切な養育環境の中で育っている場合、今ある診断のやり方では、役に立ちません。よくあるパターンは、1)診断されないままでいる、2)いろんな間違った診断がされちゃう、3)症状の原因に、対人関係の中で負わされたトラウマと、安全・安心に欠けていたことがあることが分からないまま、問題行動の指導ばかりを強調されちゃう、というパターンです。次にお示しすることは、私どもが提案する診断基準です。まずは、出版済みのデータと未公開のデータを概観し、データの信頼性と妥当性を根拠づける、と同時に、評価します。そのデータには、発達トラウマ障害に関するデータの他に、DSM-Ⅴに、新たな発達トラウマ障害という診断を創り出すための診断基準を巡る会議をやる理由も入ります。

 

 

 

 

 

 このように、診断(アセスメント)がチャンとできないと、その治療(セラピー)もできないばかりか、症状を悪化させることにもなりかねません。

 今のニッポンですと、愛着障害、発達トラウマ障害のことは、臨床現場でさえ、それほど知られていませんでしょ。そうじゃなければ、どれもこれも似たり寄ったりの岡田尊司さんの本が、あれだけ次から次に出版されませんし、あれだけ売れませんもんね。

 被災地と言われる地域でさえ、一発の地震や津波によるPTSDは、レアケースで、圧倒的多数が愛着障害、ヴァン・デ・コーク教授の言葉で言えば、発達トラウマ障害の子どもです。あのミスリードの「専門家」は、そもそも勉強不足のために、発達トラウマ障害の事も知らないから、アセスメントがちゃんとできてない。それが全てのお門違いのミスリード(ウソとゴマカシ)の始まりです。

 今臨床の現場を見ますと、多くの子どもが、1)診断されないまま、ですから、セラピーもされずに見捨てられている状態です。それが一番多数のケースでしょう。その次に多いのが、いくつもの間違った診断(アセスメント)がされてしまって、間違った治療、むしろ、傷口に塩を塗るようなことがされているケースが多いことです。その傷口に塩を塗るような対応の最たるものが、ここでヴァン・デ・コーク教授が指摘する、3)症状の原因に、対人関係の中で負わされたトラウマと、安全・安心に欠けていたことがあることが分からないまま、問題行動の指導ばかりを強調されちゃう、というパターンです。

 

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