エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

自分のお部屋がない恵み

2016-04-14 08:00:28 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
人間性の解放とその危険
  ルネッサンスは、人間を賛歌するのはいいのですが、人間が何でもできると思った時は、大きな困難の始まりになります。 Young Man Luther 『青年ル...
 

 子どもにいろんな人が関わる社会、人間らしい社会を作っていきたいですね。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」のp.237の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 さらには、人間が進化する時、赤ちゃんたちには自分の部屋がありませんでした。自分のベッドさえありませんでした。赤ちゃんたちは大人や兄弟といつでもピッタリ近くにいましたし、ほとんどの場合、抱っこされていました。赤ちゃんが眠れなかったり、夜泣きしたりする、現代社会の問題の多くの原因は、おそらく、赤ちゃんが一人ぼっちだと感じているからですし、大人の目の届かないところにいると感じているからです。というのも、人類の進化の歴史は全体に、ほぼ確実な死に向かいつつあるからでしょう。

 

 

 

 

 

 自分の部屋がない、自分のベッドもない。貧乏ではないんですね。

 大竹しのぶさんのお父さんの大竹章雄(ふみお)さん、結核で病気がち、生活保護を貰うほどの暮らしだったと言いますけれども、「貧乏の方が心豊かだよ」と常に言っていたと言います(「貧乏だけど幸せだった」という大竹しのぶさん 洗礼名はマリア)。大竹しのぶさんも「貧乏だったけれど、幸せでした」と言います。

 さっきの「神様は現在進行形」の意味と被りますが、貧乏にも肯定できるところがあんですね。

 

 

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「神様は現在進行形」の意味

2016-04-14 07:23:46 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
神様は現在進行形、改訂版
  ティク・ナット・ハン禅師は、≪いまここ≫の自分、ありのままの自分に気付くことを薦めていましたね。今日はその≪いまここ≫を考えてみたいと思います。 ≪いまこ...
 


 

 神様は、自分のことを、Ἐγώ εἰµι ὁ ὤν エゴー、エイミー、ホー、ウォンと呼びました。Ἐγώ εἰµι ὁ ὤν は、英語で言えば、I am the Being. です。英語でも、大文字で、Beingと言えば、「神様」という意味がありますでしょ。ギリシア語でも、ὤνは、存在をしめす、εἰµι の現在分詞なんですね。 神様は現在進行形ということでしょ。

 これはどういう意味があるのかなぁ? 別に、クリスチャンやムスリムでなくても(キリスト教の神も、イスラム教の神も、ユダヤ教の神も、同じ神(唯一神)です)、その意味を知るのは、さらには、実感することは、とても大事なことだと、私は信じて疑いませんよ。

 神は、『旧約聖書』の始めに出てくる、「創世記」で、宇宙を創造します。二通りの創造神話が「創世記」のあります。最初の創造の物語は、7日で宇宙を創造した話です。神様は、一日の創造が終わる度に、「神はそれを見て、良しとされた」と「創世記」に記述されているように、「良かった、良かった」と肯定していた、ということですね。つまり、神様は、眼の前にある全てを肯定している、ということです。

 これには大事な意味がありますね。

 私どもサイコセラピストのところに持ち込まれる話は、たいてい「ヒドイ話」です。到底肯定できる話ではありませんよね。それでも、サイコセラピストである私は、何か肯定できることはないのかな? と思う訳ですね。もしかすると、肯定できることが1つもないのかも分かりません。ジェノサイドの場面や、赤ちゃんが死ぬことなどは、そう感じることもありますよ。

 その時に、私はこの創造の話を思い出す訳ですね。それが、現実だけに囚われない心構えだと考えます。≪超越≫の態度、神学者カール・バルトの言葉で言えば、「最後から一歩手前の真剣さ」です。眼の前に示されていることに、肯定できること等一つもない、と思えるようなところに、肯定できるかもしれないことを探すんです。宝捜しです。

 そうすると、かすかな希望、光が見つかる場合もありますからね。

 

 

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今のニッポン、発達トラウマ障害の子どもたちは、見捨てられ状態です

2016-04-14 05:52:03 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
光る順番
  エピジャネシスは、順番を大事にするだけではなくて、発達する部分同士の関係も大事にするらしい。 The life cycle cpmpleted 『人生の巡...
 

 認知行動療法の認知を変えるのでも、実は認知だけでは役立たずで、認知+実感が変わるのが大事。いつでも大事なのは、自分の、人の気持ちでしょ。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.248、第4パラグラフから。

 

 

 

 

 私は1人の取り乱した女性のことを思い出します。その女性は、私どものクリニックに来て、生後二か月の赤ちゃんを何とかしてくれと言うんですね。というのも、その赤ちゃんが「自己中」だから、って、言うんですね。その女性は、子どもの発達シートを付けたり、私どもが利他主義についての説明したことが、良かったのかしらね(良かったかどうかは、怪しいでしょう)。そのようなことを聴いても、その女性は助けてもらったとは思わなかったでしょう。その女性自身が、怖くて覗けない、見捨てている自分自身を、その女性が受け止めることが出来るまでは、ダメでしょう。この女性は人の頼るのが怖いことに、この見たくない自分が出てますもんね。

 

 

 

 

 

 発達トラウマ障害が重たい子どもの場合、その母親も(父親も、かも)発達トラウマ障害が重たい、ということは、実に多いケースですね。今日、ヴァン・デ・コーク教授が指摘しているみたいに、そういう母親は、怖くて覗けない、見捨てている自分自身から逃げているのが、手に取るように分かりますものね。しかも、そういう母親に限って、心理面接に拒否的です。なぜなら、怖くて見れない自分があることに、うすうすその母親が気付いているからです。

 この手のケースは、残念なことですが、いまの、中途半端で、非正規なサイコセラピストの学校への配置では、なかなか終結までには至りません。したがって、制度として、今のニッポンでは、重度の発達トラウマ障害の子どもと、その親は、見捨てられている状態だと言えます。私自身、この手のケースで、終結に至ったケースは、ほとんどありません。軽度でも、関われるケースは、文字通り、氷山の一角ですから、今のニッポンでは、発達トラウマ障害の子どものほとんど全員が、見捨てられ状態なんです。

 


 

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自分の気持ちも人の気持ちも分からないことと、解離

2016-04-14 05:00:03 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
神様は現在進行形、改訂版
  ティク・ナット・ハン禅師は、≪いまここ≫の自分、ありのままの自分に気付くことを薦めていましたね。今日はその≪いまここ≫を考えてみたいと思います。 ≪いまこ...
 

 

 今晩も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : defelopmental trauma disorder)をDSM-Ⅴにハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の14日目。

今晩は、 「発達トラウマ障害≒愛着障害の証拠」の章の4日目。B.2.「感情のコントロールが出来ない、生理的なホメオスタシスを保てない」 の残りとB.3.です。

 

 

 

 

 

 繰り返し虐待されることに関して出版されている文献が詳しく記しているのは、睡眠の領域(エガー、コステロ、アーカンリ、パンナム、1999; ゴールド、テイチャー、ハートマン、1997; ノール、トリケット、サスマン、パットナム、2006)、触られることといろんな音に対する過敏(ウェル、マッカン、アダムズ、ヴォリス、1995)、それに、別の日課に移る際の混乱(アレサンドリ、1991)てす。

 

  B.3.いろんなことに気付かない/感覚と感情と身体の状態の解離

 

 いろんなことに気付かないこと、あるいは、感情と感覚と体調の解離があることがハッキリするのは、離人感(訳注:自分が体験していることなのに、他人事みたいで、リアリティがない感覚)、周りで起きていることに気付かない、感情がブツブツ切れる、感情を表わさない、無痛覚症、自分の(人の)気持ちが分からない、という点です。CANS(非営利団体「思春期以前の子どものニーズと人間力」)のデータによれば、発達トラウマ障害の子ども達は、他の養子になった子ども達に比べて、感情と感覚と体調の解離が5倍も多いのです。NCTSN(国立子どもトラウマ・ストレス・ネットワーク)の調査によれば、発達トラウマ障害の子ども達は、感情の解離があります。NCTSN(国立子どもトラウマ・ストレス・ネットワーク)のデータのよれば、他に比べて、PTSDの症状が重たい子どものコントロール群に比べても、感覚と感情と体調の解離の問題が多いのです。CCTC(シカゴ子どもトラウマ・センター)によれば、かなり多くの発達トラウマ障害の子ども達の特色は、痛みのある気持ち/否定的な感情の解離です。

 

 

 

 

 

 発達トラウマ障害の子どもの特色の1つは、まぎれもなく感情解離です。なかでも、ヴァン・デ・コーク教授が指摘しておられるように、否定的な感情の解離です。それよりもはるかに多いのが、自分の(人の)気持ちが分からないということです。

 

 まあ、お役人や東電のような会社の人には、発達トラウマ障害を疑いたくなるような、人の気持ちが分からない連中も多いですけれどもね。

 

 

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