エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ウソと、ヒューマン

2016-04-09 10:34:55 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
子どもの貧困 No.5  今の日本の根源的な貧困
  子どもの貧困。今日はその5回目。 今の日本の子どもの根源的な貧困について。 昨日のブログの最後に出てきましたでしょ。鬼ごっこで、いつまでも追いかけても...
 


 

 弱い立場の人が、人間らしい暮らしをすることを支援するためには、いつでもトータルなヴィジョンが必要です。「人間を上下2つに分けるウソ」では、歯が立ちません。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の、p.118の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 何かが酷く間違ってますよ。我ら年寄りたちを「世間の外」の遠い施設なんぞに送り込まなくっちゃらない訳って何なのかしら? いくら、身体的な介護を受けて、安心して天寿を全うするためとは言ってもね。すべての人間は、年を取るものです。そこに酸いも甘いもあります。しかし、私どもは、どのようにして最後を迎えるのか、ということを、年寄り達からまなべるのでしょう?  私どものモデルになる人は、私たちと一緒に生きていなければ、その最後は、1人っきりで向き合わなックっちゃなりませんからね。

 

 

 

 

 

 ジョアンも、エリックも、ブルース・ペリー教授以上に、文明批評家です。よく言われることですが、生まれる時も、死ぬ時も、人間は一人ぼっち。でも、どうすれば、良い最期を迎えられるのか? 施設を、「そと」、郊外に作って、障害者、心を病んだ人、高齢者、犯罪者などをそこに追いやる、というのは、洋の東西を問わず、近代の傾向ですが、それが果たして良かったのか?

 それは、「人間を上下2つの分けるウソ」を強化しこそすれ、人間皆兄弟と言うヒューマニズムに反することだ、というのが、現代社会の反省でしょう。segregate 排除の論理は止めて、inclusive 共に暮らす、人間皆兄弟の社会を作ることが良い、自然に遠慮しながら暮らすのが良い、という、ヒューマンな、人間らしいアイデアが、徐々に光を放っていますよね。

 

 

 

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子育てと、助け合う社会

2016-04-09 09:33:58 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
幸いと呪いの始まり
                    多摩川河川敷から見る富士山 ルネサンス期にあっても、魂中心だった。 Young Man Luther 『青年ルター』p192の1...
 

 子どもを守るためには、自分のやっていること、人がやってることが、本当に、その子どものためになっているのか、常に吟味することが必要でしょうね。子どもは自分のためになっている、と感じたら、笑顔になるか、実に晴れ晴れした顔になるか、いずれかでしょうね。子ども達は、動物的な直感で、本物を嗅ぎ分けるからでしょう。そうでない場合は、たいてい役立たない偽物です。今回もそうでしたね。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」のp.236の、ブランク下の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 まずは、赤ちゃんと新人の両親を育てる育て方から始めるのが良いでしょう。これまで見てきましたように、あかちゃんを普通に育てるためには、1人か2人の親が、いつでも献身的な注意を払うことが必要です。それと同時に、その親達も、情のある地元の人たちから、日常的な手助けをして貰うことが必要です。この地元は、新しい住民の尽きないニーズにも気付いて、応えていくものです。人間が進歩した時、1人の女性だけが子どもと1日中過ごして、旦那は1日中事務所、と言うような世界に暮らしている訳ではありませんでした。

 

 

 

 

 

 医療や心理に関わる所だけを論じていませんよね。ブルース・ペリー教授は一貫して、社会批判的、文明批評家然としています。

 子育てには、親の献身が必要です。と同時に、親も、地元や社会からの支援を必要としています。

 つまり、子育ては、助け合う社会を前提にしている、ということです。助け合う社会がないと、子育ては崩れます。今のニッポンみたいにね。

 

 

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自分自身の安心・安全の島

2016-04-09 07:27:42 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
幸いと呪いの始まり
                    多摩川河川敷から見る富士山 ルネサンス期にあっても、魂中心だった。 Young Man Luther 『青年ルター』p192の1...
 


 

 気功も発達トラウマ障害≒愛着障害に効くらしい。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.247、第4パラグラフから。

 

 

 

 

 

 指圧のツボを軽くたたくことが良い拠り所になると言う患者さんもいます。椅子に座っている患者さんに「身体の重さを感じてね」と頼んだり、「両足を床に付けて」と頼んだりする場合もあります。倒れ込んで黙っているような患者さんに対しては、キチンと座り直した時に起きたことを見てね、と頼むやもしれません。患者さんの中には、自分自身の安心・安全の島を見つける人もいます。患者さんは、その島を「手に入れて」、どうにもならない気持ちとバランスを取るような身体の感じを作り出すことが出来るようになります。この島のおかげで、トラウマを解消する用意が出来ます。すなわち、この安心・安全の島は、探索する状態と安心・安全を感じる状態を行ったり来たりし、言葉の身体の間を行ったり来たりし、過去を思い出すことと今をイキイキする感じを行ったり来たりする場です。

 

 

 

 

 

 安心・安全の島って、陽気で楽しい場のはずですね≪陽気で楽しい≫ことが、意識と無意識を結びつけ、過去と現在を結びつけ、自分と人を結びつけるからです。

 

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発達トラウマ障害≒愛着障害の診断基準 AからD

2016-04-09 01:11:43 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
子どもの貧困 No.5  今の日本の根源的な貧困
  子どもの貧困。今日はその5回目。 今の日本の子どもの根源的な貧困について。 昨日のブログの最後に出てきましたでしょ。鬼ごっこで、いつまでも追いかけても...
 

 

今晩も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : defelopmental trauma disorder)をDSM-Ⅴにハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の9日目。

 昨日で、序章(イントロダクション)は終了。

 今晩から「もう1つ別の診断」の章に入ります。始めの2つのパラグラフは飛ばして、本丸の発達トラウマ障害≒愛着障害の診断基準に入ります。これを被災地に入る前から、キチンと教えてほしかったですよ。でも、教えられたのは、PTSDの3症状と、表現活動は、震災後しばらくたってからやってね、ということくらい…。

 いけない、いけない、過去と他人は変えられなかったんでしたね。

 

 この診断基準は、AからGまで7項目があります。今日はその内、AからDの4項目を翻訳します。

 

 

 

 

合意が取れた 発達トラウマ障害 という診断基準の提案

A、トラウマになる出来事を繰り返されている。 この思春期以前の子どもは、何度も、あるいは、長期に渡って、見るに忍びない様々な出来事を、子どもの頃か思春期初期に、少なくとも1年以上の間、経験したり、目撃したりしてきた。この子どもには、次を含む:

  A.1. 酷い対人間暴力を繰り返し、直接振るわれたり、目撃したりしている

  A.2. 母親役が繰り返し変わるために、安心・安全に満ちた状況で子育てしてもらうことが相当奪われている。 母親が近くにいない状況が繰り返されている。 あるいは、ひどい情緒的な虐待を繰り返されている。

 

B.感情のコントロールが出来ない、生理的なホメオスタシスを保てない。この子どもは、興奮をコントロールすることができる年相応の力がない。この子どもは、少なくとも、次の2つを含む:

  B.1. 極端な感情状態(恐れ・怒り・恥)を整え、我慢し、回復することがない。それは、長期に渡る極端な癇癪、あるいは、感情の固定化を含む。

  B.2. 身体の働きを調整することが出来ない(睡眠、食事、排泄が、ずっと混乱している。触られること、音、に対して過剰に反応したり、反応が乏しかったりする。日課の変わり目に混乱する)。

  B.3. 自分の感覚、感情、身体に気付かない、あるいは、解離が生じる。

  B.4. 自分の様々な感情や身体の状態について、言葉にすることが出来ない。

 

C.集中力が続かない、行動上の課題がある : この子どもは、注意を集中すること、学習すること、ストレスに対処すること、に関連して、年相応の力がない。この子どもは、少なくとも、次の3つを含む:

  C.1. 恐怖に心奪われる。恐怖をうけ止められない。安全と危険の合図が分からない事も含まれる。

  C.2. 自分を危険から守ることが出来ない。極端に危険なことをする、スリルを求める事も含まれる。

  C.3. 自分を落ち着かせる間違ったやり方をする(ロッキング、他のリズムを刻む動き、強迫的なマスターベーション)

  C.4. 習慣的な(意図的な、自動症的な)自傷、ないしは、反応による自傷。

  C.5. 目的のある行動を始めることが出来ない。あるいは、目標のある行動を続けることが出来ない。

 

D.自分を確かにすることができない、やりとりができない。この子どもは、自分を確かにさせる感じにおいても、やり取りのある関係に関わることにおいても、年相応の力がない:

 

  D.1. 母親や他の大事な人たちが与えてくれる安心・安全に強く心奪われている。あるいは、その人の姿が見えなくなった後で、再び出逢えるまで我慢できない。

  D.2. 自分に対して一貫して否定的に感じている。自己嫌悪、無力感、自分をガラクタのように感じている、やってもダメだぁと感じている、自分は不良品だと感じている。

  D.3. 大人たちや仲間たちとの近しい関係において、極端に執拗に相手を信頼できない、相手に対して反抗的であり、やり取りのある関係が出来ない。

  D.4. 仲間達、親達、他の大人達に対して、反発して暴力や暴言で、攻撃する。

  D.5. 親しみのある触れ合い(性的な親しみや身体的な親しみとは限らない)を得ようとして、不適切な(過剰な、あるいは、誰彼かまわぬ)試みをする。あるいは、安心・安全のために、仲間たちや大人たちに過剰に頼る。

  D.6. 相手の気持ちが分からない。それは、相手の気持ちに共感することが出来ないから、相手のことが我慢ならないから、あるいは、相手のことが嫌いだから、あるいは、相手が嫌いなことに過剰に反応しているから。

 

 

 

 

 

 今晩は、以上です。じつに、どこの学校、どこのクラスにでも、必ずいる、何人もの、何十人もの子ども達の姿が、イメージされますでしょ。

 ヴァン・デ・コーク教授のこの提案書には、本当のことが書いてある、と確信します。

 

 

 

 

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