エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「素晴らしい」保育

2016-04-11 08:00:03 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
三浦雄一郎さんの場合 命がけの悦び
  三浦雄一郎さん。一年前に話題になりました。80才でエベレスト登頂。3度目。 老化予防の専門家も驚くのは、三浦さんの筋トレや低酸素トレーニングではない。はっ...
 

 

 子育ては母親だけではできません。助け合う社会がなくてはなりません。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」のp.236の、ブランク下の第2パラグラフの、8行目途中から。

 

 

 

 

 

しかし、男も女も、この世を生きていくためには一生懸命に働かなくっちゃなりませんでした。女たちは手近な幼い子ども達と一緒にいて、年上の子ども達は男と一緒にして、男たちから鍛えられたもんです。途方に暮れた女たちは、自分の赤ちゃんを、おばさんやお姉ちゃんや、おばあちゃんに預けるかもしれません。平均して、すべての子どもには、4人の青年か大人がいました。いまの保育所は、1人の保育士に、5人の子どもですから、それはそれは素晴らしい職員配置だと思います。

 

 

 

 

 「素晴らしい」、というのは、皮肉な表現をブルース・ペリー教授はしている訳ですね。アメリカでは、1対5の職員配置でも、足りない、ということです。ニッポンでは、1、2歳の子どもで、1達6ですから、アメリカ以上に、「素晴らしい」!

 しかも、日本の場合は、希望する母親が、子どもを保育所に入れない場合が実に多い。国って何のためにあるのか、主権者が国民であることを蔑ろにしている政治が、大手を振って歩いてる訳ですからね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

毎日の暮らしが大変  お金が無いからではありません

2016-04-11 07:21:31 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
エッチでない官能性
  ユマニストの目も手も、既成概念にとらわれない自由を謳歌していたようですね。 Young Man Luther 『青年ルター』p192の第3パラグラフから。...
 

 

 発達トラウマ障害≒愛着障害の子どもは、学習にも、日常生活にも、困ることが分かります。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.248、2行目から。

 

 

 

 

 

 PTSDのある人々は、過去と折り合うために、多くの時間と多くの努力を払っていないことが多いのですが、問題なのは、単純に一日生き切ることです。トラウマを負わされた人でも、教育、ビジネス、医療、芸術に貢献している人もいますし、子どもを上手に育てた人もいますけれども、普通の人以上に、毎日毎日を生きることに多大なエネルギーが必要です。

 

 

 

 

 

 ここで、ヴァン・デ・コーク教授が指摘しているように、発達トラウマ障害≒愛着障害の子どもも、大人も、日々を当たり前に過ごすことが難しい。大変な障害であることがハッキリ分かります。もちろん、彼らの日常を臨床していれば、ヴァン・デ・コーク教授のご指摘を待つまでもなく、そのことには気付けるものですがね。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴァン・デ・コーク教授が、発達トラウマ障害の診断は、ニッポンの子ども達にはバッチリ!

2016-04-11 05:44:51 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
子どもの発達という物語
  人間は、順風からも学べますが、逆境や障害からの方が、はるかに多くの実り豊かさを学べるものらしい。 The life cycle cpmpleted 『人生...
 

 

 今晩も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : defelopmental trauma disorder)をDSM-Ⅴにハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の12日目。

今晩は、 「もう1つの別の診断」の後。「発達トラウマ障害≒愛着障害の証拠」の章に入ります。

 

 

 

 

 

 

 発達トラウマ障害という概念が、かなり新しいものです(ヴァン・デ・コーク、2005)から、いま提案しているDTD(発達トラウマ障害)の診断基準に賛成してくれる研究の多くは、まだ出版されていません。私どもは、この論文の目的のために、出版された結果と、まだ出版されていない、現在進行形でNCTSNとその支部からデータを収集する努力とに頼ります(図1参照、下の写真参照)。(以下、割愛)

 

 診断基準A:トラウマに晒される

 

 診断基準Aは、対人間暴力と育児放棄に、たくさん、現在進行形で遭っていることが必要です。DTDの診断基準Aの判断の根拠は、序章で随分議論しました。これから概略を示しますが、すべてのデータから見えたことで、ここに要約したことから示されたことは、現在進行形の対人間暴力に遭い、なおかつ、味方になってくれる子育てがない子ども達は、いま提案しいるDTD(発達トラウマ障害)の診断基準となっている症状と、発達の遅れと偏りとを、かなり示す、ということです。さらには、このような症状と、発達と遅れと偏りは、発達トラウマ以外のトラウマを負わされた子ども達や、トラウマを負わされた子ども達に比べて、発達トラウマ障害の子ども達の方に多かったのです。

 

 

 

 

 

 このように、発達トラウマ障害≒愛着障害の子ども達は、特に、B 感情のコントロールが出来ない , C 集中力が続かない、行動上の課題がある , D 自分を確かにすることができない、やりとりができない , G 学習面や家族関係、仲間関係などで様々な困難を抱える点ですね。ここで、ヴァン・デ・コーク教授が示している発達トラウマ障害≒愛着障害の子ども達の臨床像は、今のニッポンの学校にごまんといる子ども達の事も、的確に捉えている、と感じます。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする