エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

宇宙に対するお礼

2016-04-27 07:43:38 | 聖書の言葉から

 

  今朝は、マハトマ・まど・みちおさんの言葉から(『どんな小さなものでも みつめていると 宇宙につながっている』より)。

 

 

 

 

 

   だれに向かって書いているかと問われたら、

   それは、私を私として生かしてくれている何かに対してです。

   その「宇宙の意思」のようなものに対して、

   お礼をこめて自分の痕跡を残したい。

   私の詩は、「今日はこのように生きました」っちゅう

   自然や宇宙にあてた報告なんだと思います。

 

 

 

 

 

 真摯に、謙虚に生きるお手本です。

 

 

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子どもには、適度な危険やストレスも必要です

2016-04-27 06:33:30 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 
身体の働きが人との関わり方まで決めちゃう不思議
  人間の器官の単純な働きには深い意味があります。 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p34のブランクの後、8行目途中から。...
 

 

 子どもが自ら危険を回避し、課題を解決できるようになってもらうためには、小さい頃から小さな危険に繰り返し出合い、自ら課題を解決するチャンスをあたえられていなくってはなりませんね。ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」のp.240の 8行目途中から。

 

 

 

 

 

 

 今日の安全な文化においては、私どもの子ども達を厳しく監視し指導するところから、絶対に自由な大学へと子ども達を開放するところから、揺れている感じです(大学に行っても、子ども等について回る親もいますが)。人類史のほとんどにおいて、青年たちは早々と大人の役割を担い、見事に問題児になることを、肝に銘じなくてはなりません。10代の子ども達の問題の多くは、子ども等の成長しつつある脳に対して、適切な刺激を与えなかったから生じているのです。

 

 

 

 

 

 これは、とっても大事な指摘です。親が良かれ、と思って子ども達を守れば守るほど、子ども達に取り返しのつかなくなるかもしれない問題を植え付けている、という訳ですね。子どもには、適度な危険とストレスが必要です。

 

 

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演じることは、生きる場を持つことに繋がってる

2016-04-27 02:49:16 | 聖書の言葉から

 

 

 
岡部伊都子さんの場合  孤独を花明りにして 改訂版
  岡部伊都子さん。ご存じだろうか? かく言う私も、数年前にNHKの「知る楽 こだわり人物伝」という番組を見るまで、知りませんでした。Wikipediaによれ...
 

 

 子どもはみんな、自分は出来るぅ、出来たぁ、って、感じてほしい。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第20章 Finding your voice : communal rhyhtms and theater「自ふんの声を見つけてね:共通のリズムと劇場」p.333の、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 私どもが、出来るぅと感じる感じ、すなわち、自分で自分をコントロール出来る感じは、自分の身体や身体のリズムとの関係によって決まります。歩くこと、眠ること、あるいは、どのように食べたり、座ったり、あるいは、歩くかによって、日々の生活の大枠が決まっちゃうでしょ。自分自身の声を見つめるためには、私どもは自分自身と身体の中に留まっていないとね。つまり、十分に息を吸って、心が感じることも分かることが大事でしょ。これは解離の反対ですね。解離は、自分の身体に留まることが出来ないことですし、本当の自分が消えちゃうことでしたね。また、これは鬱の反対でもあります。うつって、自分が受け身の愉しみをくれるスクリーンを前にして、ばったり倒れる感じでしょ。演技は、自分の身体を使って、生きる場を持つ経験になります

 

 

 

 

 演じると言えば、ウソとゴマカシの始まりのように思うかもしれませんが、それは、演じることに何たるかを知らない人の、浅知恵であるようですね。演じることは、新しい自己発見のチャンスになるらしい。ティナ・パッカーさんや、原節子さんが、演じる度に、新しい自分を見つける創造的な生き方をしているからこそ、見るものにも、その創造の一端に関わる悦びを、感じされてくれるのでしょうね。

 

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発達トラウマ障害の子ども達は、必ず豊かな根源的信頼感のある人が必要

2016-04-27 00:51:01 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
ルターが使った道具はこれ
  自分を確かにさせたいのに、それが叶わないとき、悪い良心が生じます。まさに今の日本がそれです。ですから、人を人とも思わない、人に対して平気でウソを言う、戦争する...
 


 

 今晩も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : defelopmental trauma disorder)をDSM-にハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の26日目。

 今晩は、 「発達トラウマ障害愛着障害の証拠」の章の16日目。発達トラウマ障害≒愛着障害の診断基準D.6。です。

 

 

     診断基準D.6.人が示す苦痛に共感できない、あるいは、人が示す苦痛に耐えられないことを示す、いつも人に同情できないこと、あるいは、人の苦痛に対して過剰に反応すること。

 

     診断項目D.6.は、対人関係の中で、見通しを上手く持つことが出来ないことです。たとえば、人の気持ちに過剰に反応してみたり、あるいはまた、人の気持ちが分からなかったりすることです。CCTC(シカゴ子どもトラウマ・センター)の研究では、発達トラウマ障害の子ども達は、他のトラウマに晒されている子ども達に比べて、人の輪から外れてひとりぼっちでいたい気持ちや、人からほっといてほしい気持ちが、優位に強烈であり、見通しが持ちづらく、かつまた、人と気持ちを響き合わせることも難しいのです。他の出版されたデータも、このような知見と一致します(ピアーズ、フィッシャー、2005;  ポロック、トリー・シェル、2003)。

 

 

 

 

 

 発達トラウマ障害の子ども達は、人を信頼しそこなっている(根源的不信感)ので、気難しそうですね。関わりづらいです。関わる者には、それだけ、やり取りをする繊細な配慮と工夫、やり取りが出来るまでの忍耐力と、やり取りをし続ける肯定的なエネルギーと見通す力(豊かな根源的信頼感)が必要です

 

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