国立は、大学通りの桜 紳士協定で、並木よりも高い建物は建てないことになっていました
『星の王子さま』の有名な件には、「本当に大切なものは眼には見えない」と出てきます。しかし、それはあくまでファンタジーの中の「お話」であって、日常では、現金、現ナマ、元気の元、とばかりに、「眼に見えるもの」を頼りに、割り切って生きている人も、多いでしょうか?
今回の、熊本あたりの中央構造線に沿って起こる群発地震で、目に見えるものは、あっと言う間に、崩れ去るものだ、ということを、改めて目の当たりにしましたよね。あっと言う間に崩れ去るものは、あてにはなりません。ですから、「眼に見えるもの」を頼りにしている人は、自分を確かにしていることも、自分も、あっという間に崩れ去る、ということを体験されたのじゃぁ、ないのかしらね。
関西学院大学で、死生学の授業を担当している藤井美和さんの授業は、「名物授業」として有名だそうですね(http://www.kwansei.ac.jp/pr/pr_004855.html)。私も以前「こころの時代」でその授業と、藤井美和さんのお話を伺ったことがあります。その授業では、自分にとって大切なものを、12枚のメモ用紙に、1つずつ書き出す所からはじめます。そして、自分の死が近づいた時に、捨てられるものから1つずつ、その大切なものの名前が書いてあるメモを破って、捨てていきます。メモなのに、泣く人も少なくありませんね。スマホや愛車など、「目の見える物」から捨てていくそうですね。そして、最後に残るものは何だと思いますか?
もちろん、「眼には見えない、大切なもの」です。「無条件の愛」や「感謝」、あるいは「お母さん」だそうですよ。「お母さん」は目の見えるって? それは間違いです。この場合の「お母さん」は、自分を何時も大事にしてくれる、その「無条件の愛」のシンボルだからです。
このように、いつも、現金、現ナマ、元気の元、とばかりに、モノ、モノ、モノばかりを追い求めて生きている時には、見えなくなっていたことが、藤井美和さんの「死生学」の授業のワークショップを体験すると、気付きが与えられるようです。すると「生き方が深く」なるそうですね。
このブログの読者の皆様も、藤井美和さんの「死生学」のワークショップに参加したつまりになって、自分にとって何が「一番大切なものか?」を確認して、日々を「深く生きて」下さいね。
ピース ✌