エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

眼に見えるものと、眼には見えないもの

2016-04-17 08:37:01 | エリクソンの発達臨床心理

 

   国立は、大学通りの桜  紳士協定で、並木よりも高い建物は建てないことになっていました

 
息と声
  禅僧ティク・ナット・ハンさん、瞑想では、息を意識する、といいますね。息を意識するのはね、ささやかなこと、当たり前が、奇跡で、不思議で、幸せだ、と気付くため。そ...
 


 

 『星の王子さま』の有名な件には、「本当に大切なものは眼には見えない」と出てきます。しかし、それはあくまでファンタジーの中の「お話」であって、日常では、現金、現ナマ、元気の元、とばかりに、「眼に見えるもの」を頼りに、割り切って生きている人も、多いでしょうか?

 今回の、熊本あたりの中央構造線に沿って起こる群発地震で、目に見えるものは、あっと言う間に、崩れ去るものだ、ということを、改めて目の当たりにしましたよね。あっと言う間に崩れ去るものは、あてにはなりません。ですから、「眼に見えるもの」を頼りにしている人は、自分を確かにしていることも、自分も、あっという間に崩れ去る、ということを体験されたのじゃぁ、ないのかしらね。

 関西学院大学で、死生学の授業を担当している藤井美和さんの授業は、「名物授業」として有名だそうですね(http://www.kwansei.ac.jp/pr/pr_004855.html)。私も以前「こころの時代」でその授業と、藤井美和さんのお話を伺ったことがあります。その授業では、自分にとって大切なものを、12枚のメモ用紙に、1つずつ書き出す所からはじめます。そして、自分の死が近づいた時に、捨てられるものから1つずつ、その大切なものの名前が書いてあるメモを破って、捨てていきます。メモなのに、泣く人も少なくありませんね。スマホや愛車など、「目の見える物」から捨てていくそうですね。そして、最後に残るものは何だと思いますか?

 もちろん、「眼には見えない、大切なもの」です。「無条件の愛」や「感謝」、あるいは「お母さん」だそうですよ。「お母さん」は目の見えるって? それは間違いです。この場合の「お母さん」は、自分を何時も大事にしてくれる、その「無条件の愛」のシンボルだからです。

 このように、いつも、現金、現ナマ、元気の元、とばかりに、モノ、モノ、モノばかりを追い求めて生きている時には、見えなくなっていたことが、藤井美和さんの「死生学」の授業のワークショップを体験すると、気付きが与えられるようです。すると「生き方が深く」なるそうですね。

 このブログの読者の皆様も、藤井美和さんの「死生学」のワークショップに参加したつまりになって、自分にとって何が「一番大切なものか?」を確認して、日々を「深く生きて」下さいね。

 

 

ピース 

 

 

 

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一流の臨床家と タケノコ

2016-04-17 07:33:52 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
ニーチェのルターに対する厳しい評価
  悪い良心は、あの安倍晋三首相のような、偽物の「正義の見方」です。善意の暴力を平気でふるいますから要注意! Young Man Luther 『青年ルター』...
 


 

 子どもと関わる時に大事なのは「生き方の習慣」です。ですから、私どもサイコセラピストにとって、最も大事なのは、「生き方の習慣」の修練ですね。それは、心構えであると同時に、立ち居振る舞いでもあるし、その人が醸し出す雰囲気でもあり、かつまた、困難や権力に対するイキイキした態度でもありますから、一朝一夕で身に着くものではありません。でも、それを見たら、子どもとの関わりの質がすぐに分かりますもんね。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」のp.237の第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 皆さんが1人の子どもに、「生き方の習慣」を大事にする視点から関わる時、皆さんが子どもから受け取る反応は、子どもに何が起きているのか、躾の仕方を自分は知っていると単純に考えている時とは、反応に雲泥の差が出ます。私が犬小屋にいたジャスティンに初めて関わった時、前にジャスティンに関わった人たちとは、全然違う反応をして貰えましたね。なぜって、私は、ジャスティンのやる、こちらがギョっとする行動の背後に、ジャスティン自身の恐怖と空腹があると、平常心を保ちながら理解していたからです。自分の子どもが問題行動をしでかす時に、このような「一歩下がった態度」で居続けることは、難しいものですね。とくに、こちらが、怒りたくなるような、動揺するようなことを子どもがしでかす場合は、「一歩下がった態度」で居続けることは難しい。しかし、物事を子どもの視点から見よう、とすればするほど、その子どもの行動は、それだけ良くなりますし、その子どもの行動を、さらに良いものにするにはどうしたらいいかも、それだけ分かるようになりますもんね。

 

 

 

 

 

 このケース記録、この文書を読んだだけで、ブルース・ペリー教授が一流の臨床家であることがすぐに分かりますね。子どもの発達についてよく知っていないと、子どもの視点にそもそも立てません。あるいは、人間とは何かについて、感性を日ごろから研ぎ澄ませていなければ、子どもの視点に立てません子どもの視点がないと、その大人は、エバッタ態度か、コソコソした態度か、その両方の、いずれかになることに、世の中はなっていますからね。エバル人、コソコソしてる(裏から口裏合わせをする手の)人、はタケノコです。

 子どもの方も良く分かってて、自分の立場に立てる、一流の臨床家の前では、ドンドンよくなりますが、ヤブ医者以下のタケノコ臨床家の前では、ドンドン悪くなりますね。

 

 

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始めは出来そうもないことが、次第に出来そうな感じになる時

2016-04-17 02:54:00 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
お尻の時はお尻を大切に
  精神分析の発達理論では、社会の窓が大事になります。 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p29の第2パラグラフ...
 

 

 自分の身体が、ハンドルの効かない自動車の様だったら…。悪夢ですよね。でも、それが日常だとしたら…。 

ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.249の3行目から。自分の身体が、他人の身体みたいになる節の続きです。

 

 

 

 

 

 現代の神経科学がこぞって支持しているフロイトの概念は、私どもの意識している思いは、刺激、反射、動機、奥にある記憶の洪水を複雑に合理化したものですが、こういったものはみな、無意識から生じている、ということです。今まで見てきたように、トラウマがあると、脳が正常に働かないので、経験していることをコントロールしたり、解釈することが上手く出来ません自分という感じを確かにすることは、人が自信を持って「これこそが私が考え、感じていることです」だとか、「これこそ私の身に起きていることです」だとか、言い得ることですが、無意識から生じる刺激から記憶までと、健康に、ダイナミックに、やり取りすることにかかっています

 

 

 

 

 

 かくして、自分を確かにさせるためには、自分と向かい合い、自分の無意識が投げかけてくることに対して、誠実に向き合うことが大事になります。無意識が投げかけてくるものは、最初はたいてい、厄介なこと、嫌なこと、出来そうもないこと、闇に感じやすいのですが、それと誠実に向き合っていると、何か良いことがありそうな、何か素敵な予感がしてくるような、何か出来るかもしれない気がしてきて、光が見えてくるものですね。

 

 

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恐怖に囚われやすい、重たい発達トラウマ障害≒愛着障害の子ども

2016-04-17 01:17:32 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
息と声
  禅僧ティク・ナット・ハンさん、瞑想では、息を意識する、といいますね。息を意識するのはね、ささやかなこと、当たり前が、奇跡で、不思議で、幸せだ、と気付くため。そ...
 

 

 今晩も、今から7年前、311(2011)を遡って7952年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : defelopmental trauma disorder)をDSM-Ⅴにハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の17日目。

今晩は、 「発達トラウマ障害≒愛着障害の証拠」の章の7日目。発達トラウマ障害≒愛着障害の診断基準Cに入ります。

 

 

 

 

    C. 注意を向け方がおかしい、行動のコントロール出来ない

    C.1. 恐怖に圧倒される、恐怖を受け止めることが出来ない、これには、安全と危険の合図を読み間違う事も含まれる。

 

    診断基準C.1.は、恐怖に対する注意が歪んでいると同時に、恐怖から逃れる注意も歪んでいる、として記録されてきました。この項目がハッキリ表れるのは、恐怖と比べて安全を受け止めることが出来ない点や、危険を見つけることで気持ちが一杯になっている点です。NCTSN(国立子どもトラウマ・ストレス・ネットワーク)の臨床医の調査によれば、発達トラウマ障害の子ども達の5分の1は、人と関わることに対して根強い恐怖があるとされます。CCTC(シカゴ子どもトラウマ・センター)のデータによれば、発達トラウマ障害の子ども達は、他のトラウマを負わされている子ども達と比べると、人との関係の文脈を読み間違えることが多いし、注意を向けている点が狭いことも多く(恐怖に対する注意だけが増します)、さらには、周りに対する意識がコロコロ変わることも多い(恐怖に反応してしまう)です。これらの点は、出版されているデータと一致しています。

 

 

 

 

 

 恐怖におびえた感じの発達トラウマ障害≒愛着障害の子どもです。この症状がある子どもは、発達トラウマ障害≒愛着障害が結構重たいタイプです。恐怖に囚われていますから、なかなかやり取り関係を作ることが難しいユッタリとした心構えと、やり取りを楽しむ、陽気で楽しい雰囲気、それから、見通しのその子ども主導で創り出す工夫が必要でしょうね。

 

 

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