エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

耳が痛い!

2016-04-05 07:59:42 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
子どもの貧困 №1
  子どもの貧困について、今後何回か取り上げたいと思います。今日はその一回目。 今の日本、子どもの6人に1人が貧困だそうです。「子どもの貧困」って、どういうこ...
 

 

 現代社会は、命と命の繋がりという根源的な繋がりを見失っていることが、あらゆる社会病理の根っこをなしているんでしょう。その繋がりを見失っているために、不安で不安でたまんない私たちです。 

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」のp.235、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 

 不幸なことですが、不健全な触れ合いを恐れるようになります。実際、そんな触れ合いをしたって、子どもの健康な触れ合う優しさのためにはならないなどとしがちです。こんなことだから、子ども達は一層ロリコンになって、自分に優しくしてくれる人を探すようになります。子ども達を外に出さなくなりますし、ご近所の子ども達と自由に遊ばせなくなり、しかも、子どもを厳しく躾けますから、子ども達は、ますます他者を信頼しなくなります。ですから、私どもは、皆を健康で健全にしてくれる社会の絆をぶち壊すようにこともしている訳です。

 

 

 

 

 

 耳が痛い。

 日本の現状も、ブルース・ペリー教授がご指摘する通りなのですから。

 

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騙し合いのシステム vs 真実と弱い立場を大切にする心のベクトル

2016-04-05 07:22:16 | エリクソンの発達臨床心理

 

 
ルターの先駆けとしてのオッカム
 オッカム  オッカムの剃刀で、私どももスッキリできます。 Young Man Luther 『青年ルター』p191の3行目から。 &nbs...
 

 

 裸の王様。裸の王様の話は、騙した仕立て屋と、おバカな王様だけでは成り立ちません。重臣や他の家来たち、民衆も、その騙し合いに一枚噛んでしまた。それを東北大学名誉教授の宮田光雄先生は、「騙し合いのシステム」とよびます。宮田先生の文書を引用しときましょうね(いずれも『メルヘンの知恵』岩波新書・新赤版882 から)。

「大臣だけでなく、登場人物のすべて ――皇帝も、さらにあとから出てくる別の役人も民衆も――すべてが《色眼鏡》を掛けて、互いに偏見を強めることに共演しています。誰もが自分の偽りが露見しないように、自分が愚かで役立たずであると見られることへの不安が暴露されないように。こうして騙し合いのシステムが出来上がるのです」

 また、宮田先生は、《ミラージュ(蜃気楼)効果》についても触れて次のように言います・

「たとえ自分の眼では、《はだか》の事実が見えていても、それを口に出すことはできないのです。なぜなら、彼らは、圧倒的多数の他の人ひとが別のものを見ていると信じることによって、互いに見えているかのように振舞い、そこに《蜃気楼》を生み出しているからです。つまり、《はだか》にしか見えないと言い切ることは、多数意見に反することになる。それによって、自分を社会全体の中の少数者という危ない愚かな地位におとしいれることになる。誰も、そうはなりたくはないのです」

 この「騙し合いのシステム」と《ミラージュ効果》が一緒に働くのは、なにも、裸の王様の物語に限ったことではありませんものね。

 私ども、弱い立場の、心理的課題を抱えた子ども達と関わる者は、『裸の王様』の中で《はだか》の事実を知ったら、ハッキリと「裸だあ」と言う、《見通し・イメージ》と《話し言葉》と《態度》が一致するような真実と、弱い立場の人を大事にする自己一致、共感的理解、無条件の肯定的配慮に、いつも心のベクトルを向けていることが大事になる所以ですね。

 

 

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謙虚な気持ちで、「研究室」に戻った方が良い 改訂版

2016-04-05 06:27:32 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
子どもの貧困 №1
  子どもの貧困について、今後何回か取り上げたいと思います。今日はその一回目。 今の日本、子どもの6人に1人が貧困だそうです。「子どもの貧困」って、どういうこ...
 

 

 今晩も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : defelopmental trauma disorder)をDSM-Ⅴにハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の5日目。

 序章(イントロダクション)の最後のパラグラフ(冒頭の「発達トラウマ障害(DTD)を、DSM-Ⅴの診断に含めてほしいと提案する目的」の部分と重複)とその次です。

 

 

 

 

 発達トラウマ障害(DTD)という診断名をご紹介する目的は、慢性的に対人関係の中でトラウマに晒されている、思春期までの子ども達の臨床像の現実をハッキリと示すためなんですが、それによって、効果の出る治療法を、臨床医(心理臨床家)の皆さんに、開発し活用してもらうとともに、日常的な対人間暴力が神経生理学な変化をもたらすことを、研究者の皆さんに、研究してもらうためなんですね。発達トラウマ障害の子ども達が、PTSDの症状を示すかどうかに関わらず、子どもたちが、現在進行形の危険や、虐待や、不適切な養育環境の中で育っている場合、今ある診断のやり方では、役に立ちません。よくあるパターンは、1)診断されないままでいる、2)いろんな間違った診断がされちゃう、3)症状の原因に、対人関係の中で負わされたトラウマと、安全・安心に欠けていたことがあることが分からないまま、問題行動の指導ばかりを強調されちゃう、というパターンです。次にお示しすることは、私どもが提案する診断基準です。まずは、出版済みのデータと未公開のデータを概観し、データの信頼性と妥当性を根拠づける、と同時に、評価します。そのデータには、発達トラウマ障害に関するデータの他に、DSM-Ⅴに、新たな発達トラウマ障害という診断を創り出すための診断基準を巡る会議をやる理由も入ります。 

 

 

まったく診断されないままでいるケース

 

 2つの大きなデータベースを分析しますと、トラウマや不適切な養育に晒されている子どもたちの中には、PTSDという診断をされていない子どもがたくさんいることが明らかになっています。「思春期以前の子どものニーズと人間力(CANS)」のデータセットから得た最初のデータは、「イリノイ州の児童家庭援護局」から支援されている、7,668人の養子なっている子ども達の集団検診を活用しました。CANSの評価に基づくと、3,376人の子ども達(44%)は、性的虐待、身体的虐待、家庭内暴力に遭い、3,785人の子ども等(49%)はネグレクトに遭い、1,199の子ども等(16%)は、情緒的虐待に遭っていることが分かりました。これら養子になった子どもたちは全て、実の両親のケアから引き剥がされて、その多くは、今回の分析では吟味されていない、別のいろんな種類のトラウマと辛い目に遭っていました。CANSの評価に基づくと、4,872人の子ども達は(63%)が、トラウマ関連のいろんな症状を示しました。その症状は、PTSDに限られたものではありませんでした。こういった、養子になった子どもたちの272ケース(トラウマ症状のある子ども達の5.5%)だけが、PTSDの診断基準に一致する、再体験や回避の両方がある、とCANSから評価されたにすぎません。逆に言えば、イリノイ州児童福祉局の支援を得ている、臨床上、重度のトラウマ関連のいろんな症状を示している、95%近くの子ども達が、PTSDの診断基準を満たさない、ということでしょう。ピノースら(2008)によれば、「国立子どもトラウマ・ストレス・ネットワー(NCTSN)」の中核となるデータセット、すなわち、NCTSNから支援を受けている、国全体で9,336人の子ども達を分析することから、いくつかの発見がありました。70%以上の子ども達は、いくつもの種類のトラウマや辛い目にあっていますし、同時に、48%は自宅や地元で重大な問題行動を示し、41%の子どもが学業に課題があり、37%が学校や日中活動で重大な問題行動を示し、31%が愛着に課題があり、11%が自殺念慮があることが明らかになりました。研究に協力してくれた子ども達の中で、重症なトラウマに晒されて、重度の臨床的な課題があるのにもかかわらず、24%の子どもしかPTSDの診断基準を満たさない、と報告されています。同様に、リチャードら(リチャードソン、ヘンリー、ブラック・ポンド、スローン、2008)の報告によれば、児童福祉の支援を受けている子ども達はほぼ全員が、1年以上の不適切な養育を経験し、臨床上、重大な課題があるのにもかかわらず、現行のDSM-Ⅳの、いずれの診断基準も満たさないことが、明らかになりました。

 

 

 

 

 このように、アメリカでは、親から虐待やネグレクトを受けている子ども達が、自宅やご近所や学校などで、様々な重度な「問題行動」を示しているのにもかかわらず、現行のDSMの診断基準を満たさない子どもが、半分以上いることが明らかにされました。診断されないということは、医療やセラピーのケアをされない、ということと同じです。児童福祉のケアをされても、多くの子ども達が、医療的に、心理臨床的に捨て置かれている、ということです。研究者であると同時に、臨床医でもあるヴァン・デ・コーク教授は、苦しんでいる多くの子ども達が捨て置かれている現状に心痛めて、発達トラウマ障害≒愛着障害を明確に診断基準にするように提案している、と考えて大過ないでしょう。

 かたや、日本はどうでしょうか? そもそも、虐待やネグレクトに遭っても、その子どもが親元から助け出されて、養子になることは非常に少ない。児童相談所に、子どもが「助けて」と言っても、見殺しにされる現状がありますでしょ。第一、一万人規模の虐待やネグレクトに関する調査もないでしょ。

 被災地でさえ、発達トラウマ障害≒愛着障害だらけですから、日本全国津付浦々、発達トラウマ障害≒愛着障害だらけなんです。でも、この危機的現状が日本の市民に知らさせてません。被災地の子ども達さえも、たくさんの子どもが発達トラウマ障害≒愛着障害のために苦しんでいるのに、勘違いで勉強不足の「専門家」は、個人の心理臨床をしないから、その現状も分からないし、発達トラウマ障害≒愛着障害の子ども達の日々の苦しみを想像することもできない。発達トラウマ障害≒愛着障害の子ども達の苦しみに眼を向けるように、ブログ管理者が繰り返し言えば、「あなたは、愛着障害を言い過ぎる」、「震災支援の仕事は辞めた方が良い」という始末。自分の勉強不足と心理臨床の技量の弱さを棚に上げ、子ども達の日々の苦しみを無視するとは、研究者としても、心理臨床に携わる者としても、風上にも置けない輩だ、と、この際ハッキリと申し上げておきたいと思います。

 ついでながら、謙虚な気持ちでご自分の「研究室」「研究所」に、直ちに、戻ることを薦めたいと思います。

 

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重たい思いは、仲間と共に

2016-04-05 04:47:31 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
エピジェネシス 前+上
  臨床は、どこまでも眼の前の相手を理解するためのものなんですね。 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p26の下...
 

 

 平常心を保つためには、どうすればいいのでしょうか。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.246、下から5行目から。

 

 

 

 

 引き金になることで、自分の気持ちが引き出されないようにするために、自分史を詳しく語ろうとする人もいますよ。こんなことにやっても、逃げ腰で頼りない証人に見えるだけです。法定で上手く証言できなかった何十のケースを見ています。それは、助けを求めている者達は自分の気持ちを一貫して説明することが出来ないからです。自分の求めを退役軍人局に認めて貰えなかったたくさんの退役軍人の事も知っています。それは、自分達に起きたことを正確に話すことが出来なかったからです。

 

 

 

 

 

 ユングが「感情色の経験」と呼ぶものですね。「悲しみ、激しい怒り、憎悪が、血糊の様にベットリと付いている経験」の事です。それはもう、即席では解消しきれない体験です。だいいち、そんな経験は、振り返ったり、触れたりするのが、そもそも嫌な経験ではないですか? たとえ、振り返ってみよう思っても、体験にべっとりと付いている、「悲しみ、激しい怒り、憎しみ」などを繰り返し再体験することになりますから、その激しくも深い感情に付き合い、収めていかなくちゃなりませんから、大した骨折りになりますもんね。

 ですから、通常は、仲間とか、ビア・カウンセラーとかか、あるいは、プロのセラピストとかが相手をしながら、自由で守られた時空を提供してもらいながら、その振り返りをする方が、安全性が高いし、続けて振り返りもやりやすいわけですね。

 

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