先月17日で、クローズアップ現代が終わってしまいました。とても残念な感じがします。キャスターの国谷裕子さん、日頃見落としがちな視点を明示してくれることが多かっただけに、貴重な番組、貴重なキャスターを失った喪失感があります。
国谷裕子さんがどんな思いで、そのお仕事をされていたのかを知りたくて、雑誌『世界』の最新号(2016.5)で「インタビューという仕事 「クローズアップ現代」と23年」をさっそく読んでみました。それは「問いを出し続けること」、「問い続けること」であったと言います。その問いとは、インタヴューの相手に対する問いであり、視聴者に対する問いであるとともに、自分自身に対する問いである、といいます。
問いは、ふつう、相手に対してするもの、と思いがちです。でも、それだけだと、さっきの厚顔無恥の「裸の王様」の無知で無恥な「専門家」じゃないけれども、投影のカラクリに絡め採られてしまいます。しかし、自分への問いもそこに含めるとしたら、投影せずに、自分に「影」を取り戻すことが出来ます。それがあるとないとでは、雲泥の差が出るのは、心理面接としてのインタヴューだけではなかったのですね。
知性+真実さを感じさせる国谷裕子さん、やはりその仕事ぶりの背景には、その仕事を支えた見識があることが分かって良かったですね。無知+無恥に辟易としていたところに、春風のような文書に触れて、春を感じた次第です。