エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

クローズアップ現代とインタヴュー

2016-04-12 07:14:59 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
人間の知性は無限?
  ルネサンス期の官能性は、身体の美なのかもしれませんね。 Young Man Luther 『青年ルター』p192の第3パラグラフの8行目途中から。&n...
 

 

 先月17日で、クローズアップ現代が終わってしまいました。とても残念な感じがします。キャスターの国谷裕子さん、日頃見落としがちな視点を明示してくれることが多かっただけに、貴重な番組、貴重なキャスターを失った喪失感があります。

 国谷裕子さんがどんな思いで、そのお仕事をされていたのかを知りたくて、雑誌『世界』の最新号(2016.5)で「インタビューという仕事 「クローズアップ現代」と23年」をさっそく読んでみました。それは「問いを出し続けること」、「問い続けること」であったと言います。その問いとは、インタヴューの相手に対する問いであり、視聴者に対する問いであるとともに、自分自身に対する問いである、といいます。

 問いは、ふつう、相手に対してするもの、と思いがちです。でも、それだけだと、さっきの厚顔無恥の「裸の王様」の無知で無恥な「専門家」じゃないけれども、投影のカラクリに絡め採られてしまいます。しかし、自分への問いもそこに含めるとしたら、投影せずに、自分に「影」を取り戻すことが出来ます。それがあるとないとでは、雲泥の差が出るのは、心理面接としてのインタヴューだけではなかったのですね。

 知性+真実さを感じさせる国谷裕子さん、やはりその仕事ぶりの背景には、その仕事を支えた見識があることが分かって良かったですね。無知+無恥に辟易としていたところに、春風のような文書に触れて、春を感じた次第です。

 

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いろんな人から育てられるからこそ、この世は恵み深い、と感じられる

2016-04-12 06:07:52 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
人間の知性は無限?
  ルネサンス期の官能性は、身体の美なのかもしれませんね。 Young Man Luther 『青年ルター』p192の第3パラグラフの8行目途中から。&n...
 

 

 今のニッポン、保育士の職員配置を水増しして、保育の質を落として、定員も水増ししても、良い保育はできないし、子どものためにもなりません。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」のp.237から。

 

 

 

 

 

 霊長類学者であり、進化論者でもある、サラ・ブラファー・ハーディは、『ニュー・サイエンス』とのインタヴューで、「政策決定者は、核家族こそが『黄金時代』の典型である、と思いがちだが、人間の家族という、深みのある歴史から言えば、ども達がその父母にだけ育てられる、というのは、異常なことです。他のものからの子育てにも慣れた子ども達は、人と人とが関係する世界を、恵み深いところだと見ますし、その見方に従って、生きていくものです」と言っています。

 

 

 

 

 

 ハーディという人は知りませんでしたが、一廉の人物ですね。赤の部分、すなわち、ども達がその父母にだけ育てられる、というのは、異常なことです。他のものからの子育てにも慣れた子ども達は、人と人とが関係する世界を、恵み深いところだと見ますし、その見方に従って、生きていくものです、と言えるのですから、それなりの見識の持ち主です。

 

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厚顔無恥

2016-04-12 02:05:11 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
「正しいやり方」と「正しい段取り」
                              「大草原の小さな家」? 子どもの発達という物語は、あらかじめ決められています。 The life cycle...
 

 

 このブログの読者の皆様、「裸の王様」の最後って、どういう結末だったか、ご存知ですか? 子どもが「裸だ!」と言って、終わりではないんですね。裸を指摘されたら、王様は顔を真っ赤にして恥じ入ったのでしょうか?

 

 岩波文庫の『アンデルセン童話(一)』大畑末吉さんの翻訳から、その最後の件を引用しておきましょう。

 「なんにも着ていらっしゃらない!」とうとうしまいに、ひとり残らずこう叫びました。これには皇帝もお困りになりました。なぜなら、みんなが言うことがほんとうのにように思われたからです。けれども、「いまさら行列をやめる訳にもいかんわい。」とお考えになりました。そこで、なおさらもったいぶってお歩きになりました。そして、侍従たちは、ありもしない裳裾(もすそ)をささげて進みましたとさ。

 

 ある意味、見事な描写ですね。

 

 きっと、「裸の王様」、あの無知な「専門家」も、「みんなの言う方が本当のように思われた」はずです。でも、引っ込みがつかない?! 

無知な「専門家」は、

(厚顔)無恥な「専門家」でもあるようです

韻を踏んでみました。

 「裸の王様」の最後の件について、宮田光雄先生は『メルヘンの知恵』で次の様にコメントしています。

 威厳を装う皇帝(「専門家」)の幻想と《はだか》の現実のあいだの乖離は、あまりにも大きかったのです。だから、最後まで恥をさらしつづける羽目になったのではないでしょうか。

 

 まあ、今度、あの無知で無恥な「専門家」が恥さらしに来る姿を、よくよく見てやりたい、と思います

 

 でも、これで終わりではありません。宮田光雄先生は、「裸の王様」を無知で無恥な「専門家」に投影することを諌めておられるのですから。

 宮田光雄先生は、「裸の王様」とは、私自身であることを指摘して、次の様に教えて下さいます。西洋政治思想史のご専門ですが、まるで、サイコセラピストのようですよ。

 《面の皮を厚くする》ことは、私たちを攻撃から守ってくれると同時に、その反面では、人間らしい感受性や体験の仕方を私たちから失わせる危険もともなっているでしょう。

 

 そして、宮田光雄先生は、最後に私どもに次の様に語りかけて下さいます。

 

 私たちは、子どものもつ根源的な単純さと率直さとに帰らねばならないのです。…そのときはじめて、…自分自身に即して生きる充足感、自分が本当に自由であるという解放感、自分がこうして生きるのを許されていることの静かな喜びなどを、こころに深くかみしめながら生きていけるのではないでしょうか。

 

 

 静かな悦びを味わいつつ、無知と無恥を見てやりましょうや

 

 

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ヴァン・デ・コーク教授が、震災前から、今のニッポンの子ども達の状況を言い当てていました!

2016-04-12 00:09:46 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
「全会一致が当たり前」と「全会一致は無効」のあいだ
  日本では、「全会一致が当たり前」。クラス会、シャンシャン総会、市議会、県議会、閣議、国会。「全会一致が当たり前」です。少数意見を認めないのが、日本の流儀です。...
 

 

 今晩も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : defelopmental trauma disorder)をDSM-Ⅴにハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の13日目。

今晩は、 「発達トラウマ障害≒愛着障害の証拠」の章の2日目。

 

 

 

 

 

 

症候群B: 感情のコントロールが出来ない、生理学的なホメオスタシスが保てない

 B.1. 極端な感情をコントロールしたり、ガマンしたり、収めたり出来ない

極端な感情をコントロール出来ない、ということは、1)極端な気分の浮き沈み、2)強い感情がいったん起ると、なかなか落ち着くことが出来ない、3)否定的な雰囲気が続いてしまう、あるいは、否定的な雰囲気をコントロールが出来ない、4)弱い感情の刺激に対して過剰に反応する、ということを含みます(訳注:原文にはナンバーリングはない)。NCTSN(国立子どもトラウマ・ストレス・ネットワーク)の臨床医たちの調査によれば、発達トラウマ障害の子ども達は、感情をコントロールすることが出来ない、ということです。NCTSN(国立子どもトラウマ・ストレス・ネットワーク)の中核をなしたデータを分析すると、発達トラウマ障害の子ども達は、他の人たちに比べて、広範な抑うつ気分があります。統計的に、PTSDが重たいコントロール群に比べた時でさえ、広範な抑うつ気分があります。CANS(非営利団体「思春期以前の子どものニーズと人間力」)の研究では、発達トラウマ障害のある子ども達は、感情をコントロールできないことと、抑うつ気分とが、他の養子になった子ども達に比べて、多いということが分かっています。CCTC(シカゴ子どもトラウマ・センター)によれば、発達トラウマ障害の子ども達は、極端な気分の浮き沈み、抑うつ気分、自分で気分を落ち着かせることが出来ない、怒りをコントロール出来ない、否定的な気持ちを押し殺してしまう、といったことが、他のトラウマがある子ども達に比べて、著しい、と臨床医たちは報告しています。CCTC(シカゴ子どもトラウマ・センター)によれば、発達トラウマ障害の子ども達は、他の子どもに比べて、 構造化された鑑別面接において、気分変調の症状を示すことが多い、と報告されています。NCTSN(国立子どもトラウマ・ストレス・ネットワーク)の中核をなしたデータと、CCTC(シカゴ子どもトラウマ・センター)のデータの双方で、こういった研究結果は、PTSDが重症なコントロール群と比べても、同様でした。換言すれば、感情がコントロール出来ない、というよくある困難が、現在進行形の対人間暴力と、味方になってくれるくれるような子育てがない子どもが示す時、PTSDの症状が重症であることとは相関がない、ということです。

 

 

 

 

 

 このように、発達トラウマ障害は、感情のコントロールが出来ないことを1つの特色としています。それは脱抑制タイプの愛着障害に相当するのでしょう。また、抑うつ気分がもう1つの特色です。こちらは、抑制タイプの愛着障害に相当するのでしょう。

 このように、震災前から、PTSDとは全く異なる、発達トラウマ障害≒愛着障害の子どもが溢れるほど存在することを、ヴァン・デ・コーク教授は教えてくれていたのです。

 

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