エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「格差」ではなくて、「経済的不平等」です

2016-04-21 05:50:06 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
あなたは、自分を確かにしておられますか?
  仕事ができできてもね…、という人もいるみたい。 Young Man Luther 『青年ルター』p194の第2パラグラフの8行目途中から。...
 

 マスコミが盛んに「格差」と言いますでしょ。私は「へそ曲がり」なのかもしれませんが、非常に違和感を感じます。「経済的不平等」と言うべきだと思います。

 何故か?

 「格差」というと、何となく、世の中の流れの中で、気付いたらそうなってました、という感じがあります。しかし、「経済的不平等」となったら、これは誰かが故意に作り出したもの、という感じが強い。じゃぁ、現実はどうか?

 「経済的不平等」は、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間達が、大企業や富裕層には減税して、非正規労働を増やし、首切りを容易にするような悪辣な労働政策をし、タックス・ヘイブンで高所得や時の政権だけが税金逃れをしておきながら、逃げようにない庶民からは、消費税を増税しても、なけなしのお金を巻き上げよう、という魂胆がアリアリなのです。すなわち、「経済的不平等」は、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間達や大企業、富裕層が創り出している、と言う訳ですね。わざと作られている訳です。そして、多くの人が、文字通り、塗炭の苦しみを味わっている訳ですね。

 

 私ども一般市民が「主権者」=王様なのですから、私どもが人間らしい暮らしを作り出すために、政治を、永田町からご近所まで、チェンンジ、シャンゼ、変えちゃおう!

 

 

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子どもが育つのは、遊びから

2016-04-21 05:24:49 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 今のニッポンは、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間達の悪行極まる労働政策のために、子どもが親と一緒に過ごすという当たり前の幸せを奪われている、病んで不毛な社会なんですよね。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」のp.238の 真ん中のパラグラフから。

 

 

 

 

 

 学校も変わらなくっちゃね。我が国の教育制度は、強迫的ではないのかな、と感じるほど知育中心ですから、子ども達の気持ちと身体に必要なことを無視しがちですね。ほんの20年前までは、小学校はランチの時間と休み時間を大事にしてましたね。しかも、体育が必修で、週に何回もありましたしね。宿題だって、毎晩1時間もかからない程度で、子ども達も、提出期限を守れるし、自分で提出期限を守れると考えられてましたもんね。親の協力が必要になるような行事は、年に、2・3回程度でしたよね。

 

 

 

 

 

 ブルース・ペリー教授が、いつも私が申し上げていることと、全く同じことを言っているなんて、嬉しいですね。

 私は「遊びのオジサン」ですから、遊びと給食をいつでも大事にしてんですね。今どきの教員も、休み時間に校庭などに出る人は、ほとんどいませんしね。

 でも、子どもが育つのは、遊びからなのにね。

 

 

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やっぱり、発達トラウマ障害≒愛着障害の子どもは、重たい自閉症の子どもにピッタリ

2016-04-21 04:51:23 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
基本的人権を蔑ろにしている安倍政権 国家>個人 は大間違い
  基本的人権は、憲法の三大原則、「国民主権」、「基本的人権の尊重」、「平和主義」の1つです。小学生でも習う、基本中の基本です。それが安倍晋三首相はお分かりでない...
 

 

 

 発達トラウマ障害≒愛着障害の子どもたちの、過酷で辛い日々を、少しでも和らげるような具体的な工夫が必要です。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.249の、最後のパラグラフから。自分の身体が、他人の身体みたいになる節が、まだまだ続きます。

 

 

 

 

 疑問の余地がないのは、言葉は欠かせない、ということです。≪本当の自分≫という感じは、自分の記憶を一貫性のあるまとまりに組み込んでいくことが出来るか否かにかかっていますからね。そのためには、意識的な脳と≪本当の自分≫としての身体が上手く結びついていなくてはなりません。この結びつきがトラウマによって壊されてしまう訳です。十分な物語が語られるのは、こういった結びつきのある構造が修復されて、基盤が出来た後に初めてできることなのです。すなわち、誰のものでもなかったからだが、誰かの身体になった後に初めて、自分の物語を十分に語ることが出来る訳ですね

 

 

 

 

 

 ここも、ドナ・ウィリアムズさんを思い出す所ですね。この最後の件「誰のものでもなかったからだが、誰かの身体になった後」は、after no body becomes somebody. なのですが、同じ消息をドナ・ウィリアムズさんが、本の題名にしているくらいです。彼女も最初は、自分の身体が自分の物ではないものでした。その時代の事を書いた最初の本は、Nobody Nowhere でした。そして、ドナさんが少しずつ自分を取り戻すことを描いたのが、Somebody Somewhere でしたね。

 自閉症の人が≪本当の自分≫を回復する過程は、発達トラウマ障害≒愛着障害の子どもが≪本当の自分≫を回復する過程と、全く同じです

 


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目的は、安心・安全であって、勉強じゃぁありませんから!

2016-04-21 01:08:21 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
基本的人権を蔑ろにしている安倍政権 国家>個人 は大間違い
  基本的人権は、憲法の三大原則、「国民主権」、「基本的人権の尊重」、「平和主義」の1つです。小学生でも習う、基本中の基本です。それが安倍晋三首相はお分かりでない...
 

 今晩も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : defelopmental trauma disorder)をDSM-Ⅴにハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の20日目。

 今晩は、 「発達トラウマ障害≒愛着障害の証拠」の章の10日目。発達トラウマ障害≒愛着障害の診断基準C.5.です。

 

 

 

 

          診断基準C.5.目標の向かう行動を始められない、あるいは、目標に向かう行動が続かない

     目標に向かう行動を続けることが出来ないことは、好奇心に欠けること、課題を計画し、やり遂げることができないこと、やる気がないことを含みます。CCTC(シカゴ子どもトラウマ・センター)の発達トラウマ障害の子ども達の半数は、課題に集中し、やり遂げる、年相応の力がありませんでしたし、その40%は、計画を立てて予測する、年相応の力がありませんでした。CCTC(シカゴ子どもトラウマ・センター)の発達トラウマ障害の子ども達は、他のトラウマに晒されている子ども達に比べて、周りのご褒美を獲得するように行動を整える力がないことが、他のトラウマに晒されている子ども達に比べて、弐倍も多かったのです。他の研究の報告も、同様な知見を示しています(アユーブら、2006; ノイルとエザー、2007; スミスとウォールデン、1999)。

 

 

 

 

 発達トラウマ障害≒愛着障害の子どもたちは、安心・安全を感じにくい。言うならば、発達トラウマ障害≒愛着障害の子ども達は、安心・安全をを得ることが目的ですしかし、今の学校は、安心・安全は前提で、何らかの目当てのある授業、行事、外出をするわけでしょ。特別に、安心・安全を個別に配慮するのではありません。

 発達トラウマ障害≒愛着障害の子ども達が、学校では、クラスにはいられない、クラスにいても、上の空なのは、今のニッポンの学校とのミスマッチがあります

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