ヘブライ人の考えでは、
目に見えるイメージまたは像と、
言葉のイメージとの間には
無限の差異がある。
前者は、いのちの無いイメージであるためタブーであり、
後者は、生きているイメージであるため重んじられる。
(リチャード・コート・木鎌安雄訳『笑いの神学』より)
ヘブライ人の考えでは、
目に見えるイメージまたは像と、
言葉のイメージとの間には
無限の差異がある。
前者は、いのちの無いイメージであるためタブーであり、
後者は、生きているイメージであるため重んじられる。
(リチャード・コート・木鎌安雄訳『笑いの神学』より)
仕事でアイデンティティは確立できるのか?ロッテルダムのエラスムスと、ルターとは、水と油、仲が悪かった。 Young Man Luther 『青年ルター』p194の第2パラグラフから。&nbs...
今のニッポンは、北欧に比べたら、500年は遅れています。話し合いを蔑ろにして、裏で、議事録も残さない(市民にはコッソリと、バレなきゃいいゃぁ、とばかりに)で、物事を勝手に決めている場合が多いからです。オリンピックの予算、国立競技場建設、エンブレム、被災地の支援のやり方、…
ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」のp.238の ブランクから。
衣食住を大事にする家庭環境を創り出したいがために、親は、メディアや機械を使うことを制限するみたいな、素朴なこともできます。例えば、食事中は、電話、テレビ、コンピュータは使っちゃダメ、ということです。さらに、親が見本を示して、人とのやり取り、相手の立場になってみること、相手に親切にすることなどの大事さを強調したりしますでしょ。その相手が、親戚でも、ご近所さんでも、お店のご主人でも、日頃出逢うその他の人でも、違いはありませんでしょ。
ニッポンでも、3DSなどのゲームを制限することはあります。でも、日頃から、人とのやり取り、相手の立場になってみること、相手に親切にすることなどの大事さを示す見本を示している親は、残念ながら、少ないのじゃぁないかしらね。なんたったって、親が子どもと一緒にいる時間が、北欧に比べたら、非常に少ないからですね。そのことそのものが、ネグレクト=虐待になっているのです。ですから、ニッポンは虐待大国なのです。
発達トラウマ障害≒愛着障害の子どもたちは、自分が感じていることを感じなくなるようにするほど=感覚麻痺、過酷で辛い日々を送っている訳ですね。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.249の第4パラグラフ、7行目途中から。自分の身体が、他人の身体みたいになる節が、まだまだ続きます。
このような欠かせない構造が避けられないショックに晒されると、混乱しますし、動揺します。あるいは、自分の気持ちが分からなくなります。それは、自分の経験なのに自分じゃあないみたい、ってことが多くて、まるで、自分を遠くから眺めているみたいでしょうね。別の言い方をすれば、トラウマがあると、人々は自分を誰かほかの人の身体のように感じてしまうということでしょう。トラウマに負けないようにするには、自分の身体と、自分の≪本当の自分≫に触れるところに帰るのを、手助けしてもらわなくっちゃね。
トラウマって、本当に恐ろしい。でも、世間にトラウマという「眼には見えない傷」があることが認められるまでには、20年にもわたる臨床医たちの戦いがあったそうですね。ベトナム帰還兵達の苦しみを和らげて、助けてあげたい、という極めて人間らしい願いを、その臨床医たちが抱き続けたからでしょう。
いまも、発達トラウマ≒愛着障害ということがなかなか認められませんが、先輩たちが、苦しみをやわらげ、助けてあげたいと願い続けたみたいに、私どもも、戦いつづけなくっちゃね。闘わない奴等が笑っても、戦いは止められない…
今晩も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : defelopmental trauma disorder)をDSM-Ⅴにハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の19日目。
今晩は、 「発達トラウマ障害≒愛着障害の証拠」の章の9日目。発達トラウマ障害≒愛着障害の診断基準C.4.です。
診断基準C.4.日常的な自傷、反発からの自傷
日常的な自傷、あるいは、反発からの自傷には、自分自身を刃物で切る、叩く、皮膚をつねる、頭突きをする、自分にやけどを負わす、その他の明らかに有害な行動が含まれます。CANS(非営利団体「思春期以前の子どものニーズと人間力」)の研究では、発達トラウマ障害の診断基準Aのトラウマになるストレスに晒されている子ども達は、他のトラウマに晒されている、養子になった子ども達と比べて、3倍も自傷の問題がある、とされますし、トラウマになることのない、養子になった子ども達の8倍も、自傷が多いとされます。自傷は、CCTC(シカゴ子どもトラウマ・センター)の研究協力者の中では、あまり多くはありません(CCTCの研究協力者の子ども達は、自分や他人に危害を加える子どもは含まれていません)が、発達トラウマ障害の子ども達は、自傷をする、他のトラウマに晒されている子ども達の4倍も多かったわけです。フォード等の報告によれば、少年法の調査協力者の中には、発達トラウマ障害の、思春期以前の子ども達は、他の子ども達よりも、自殺の危険が高い、とされます。
自傷と言ったら、やっぱり自閉症を思い出しますね。
自殺と言ったら、うつ病を考えますよね。
ですから、発達トラウマ障害≒愛着障害の子どもは、自閉症やうつ病に間違えられてしまいます。