エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「生き方の習慣」

2016-04-16 09:51:14 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
空気が薄くないですか? カタクリ
   みなさん、このまま流されてもいいの?    自分の頭で考えることを諦め、進んで行動する...
 

 ニッポンでは、事相などに通告される虐待件数がうなぎ登りなのですが、そもそも通報されない、何重にも保育をするようなネグレクトが、非常に多いのです。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」のp.237の第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 私どもが人々を教育する必要があると思うのは、赤ちゃんのニーズについてと、赤ちゃんのニーズに、もっと上手に応えることです。私どもは、赤ちゃんと関わる基礎訓練、子どもと関わる基礎訓練をちゃんとやる社会が必要です。そういう社会は、子どもと関わるすべての人が、何をしたらいいのかが分かる社会です。たとえば、コナーみたいに、赤ちゃんが全く泣かなくなったら、それは、その赤ちゃんが大泣きしているみたいに関心を引こうとしているためだ、ということが多いですよ、ということです。子どもの発達段階に見合う行動を理解するようになれれば、子ども達は必要な時に助けてもらえるようにもなりますからね。

 

 

 

 

 

 かくして、赤ちゃんや子どもの発達についての基礎を学び、訓練することが必要です。それは単なる知的な学習ではありません。倫理を知的に知っていても、倫理的な人間とは限らないのと似ています。

 基礎の学びは、ものの見方、心構えから、生活態度に至る迄、の訓練です。それは、フラナリー・オコーナーや大江健三郎さんの言葉で言えば、The habit of being 「生き方の習慣」です。

 子どもと関わる時に必要なのは、この「生き方の習慣」です。これを見れば、どの程度の関わりを子どもとしているのか、すぐに分かります。

 

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裁きのしるし 創造のしるし

2016-04-16 07:41:02 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
悪い良心 どうしましょ
  悪い良心から、人間を解放したことは、ルネッサンスの業績です。 Young Man Luther 『青年ルター』p193の第2パラグラフの下から6行目途中か...
 

 

     まことに上なる天の窓は開かれ

     地の基(もとい)は揺れ動く。

     地は裂けに裂け、破れに破れ、

     地はよろめきによろめく。

     地は酔いどれのように揺れ動き、

     仮小屋のようにふるわれる。

     その罪はその上に重く

     地は倒れて再び起き上がらない。

 

   これは、『旧約聖書』の「イザヤ書」24章18節後半~20節(岩波文庫のp.95-6)です。関根正雄先生の翻訳です。

 最初の「天の窓」が開かれるとありますが、これは「大雨が降って来る」ということだそうです(関根正雄先生の解説から。前掲書p.196)。

 熊本周辺の中央構造線に沿って群発する大地震、広島や北関東の大水。御嶽山の噴火による死亡事故。それは自然現象ですから、様々な自然の法則に従っていることでしょう。

 しかし、イザヤの昔から、人はそこに何かを読み取ろうとしたことも確かですね。東日本大震災以来の5年、あるいは、神戸大震災以来の20年でもいいのですが、特にこの5年の地震、津波、洪水、地滑り、噴火、さらには、現在進行形のフクシマ第一の放射能大量洩れと放射能汚染の拡大ですね。

 今のニッポンの現状と言えば、ウソとゴマカシだらけ、「自分だけ、自分の組織だけが得すりゃ、いいや、仕方ない」というウソとゴマカシだらけが深く広まっていますよね。何でも自分が得するようにコントロールしようとしてますでしょ。

 自然でさえ、自分が得するように、自然をコントロールしてますもんね。大規模開発、フクシマからの放射能汚染は、自然を深く傷つけることですよね。

 自分(の組織)が得するために、何もかもコントロールしようとしている今が、ニッポンにあるとすれば、中央構造線に沿って起こる群発地震、フクシマからの放射能汚染の拡大、噴火…は、人間がコントロールできない事の最たるものでしょう。

 驕れる者は久しからず、なのでしょうか。アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間達から、東電やおバカな教員委員会のお役人たち、無知で無恥な「専門家」まで。

 創造の道は、かくして開かれるものなのでしょう。

 

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他人の身体みたいになる?

2016-04-16 02:37:55 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
精神分析発達の基本の「き」は社会の窓
  簡単そうに見える、エリクソンのエピジャネシスの表は、実にうまくできた表なんですね。 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、...
 

 

 考えもフラッシュバックになるって、初めて聞きましたね。自動思考も、中にはフラッシュバックというものもあるみたいですね。 

ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.248。今晩は、新しい節です。

 

 

 

 

 

 他人の身体みたいになること

 

 人が物語を語ることによって圧倒される訳は、あるいは、認知的なフラッシュバックがある訳は、その人の脳が変化してしまったからです。フロイトやブロイラーが観察したように、トラウマは、その症状によってその人が自由になるものではありません。むしろ、「心理的なトラウマは、もっと正確に言えば、トラウマの記憶は、他人の身体みたいに動くんです。その他人の身体が、ずっと動き続けるものと見なくてはなりません。」 感染症を引き起こす棘のように、身体が訳の分からないものに反応してしまうことが、訳の分からない物以上に、厄介です。

 

 

 

 

 つまり、発達トラウマ障害があると、自分の身体なのに、自分でコントロール出来ない、ということです。ハンドル制御が出来ない車に乗ってるようなものでしょう。厄介と言うよりも、怖いですね。ですから、発達トラウマ障害の子ども達は、怖々した顔つきなのでしょう。

 

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発達トラウマ障害の子ども達にとって、一番大事なのは、やっぱり、やり取り

2016-04-16 00:56:43 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
空気が薄くないですか? カタクリ
   みなさん、このまま流されてもいいの?    自分の頭で考えることを諦め、進んで行動する...
 


 

 今晩も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : defelopmental trauma disorder)をDSM-Ⅴにハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の16日目。

今晩は、 「発達トラウマ障害≒愛着障害の証拠」の章の6日目。B.4.です。

 

 

 

 

 B.4. 自分のいろんな気持ちと体調を言葉にすることができない。

 

 自分の気持ちや体調を言葉にすることが出来ないことがハッキリと出るのは、気持ちを言葉にすることが出来ない時、思いを言葉にすること出来ない時、「お腹空いた」とか「ウンチ」とか言うことが難しい時です。発達トラウマ障害の子ども達は、CCTC(シカゴ子どもトラウマ・センター)の研究の報告では、いろんな気持ちを言葉にしたり、表現したりできず、願いや望みを伝えたり出来ない上に、自分の思いを知って、言葉にすることが出来ない、ということが、他のトラウマを負わされた子ども達に比べて多かった。このような発見が、以前の面接で報告されたことと一致しています(サヤー、コウズ、グレイブ、トバス、2005; ズー、リ、リアング、2006)。

 

 

 

 

 

 自分の気持ちさえ分からない。それは人間にとって、根源的な傷付でしょ。自分の気持ちも分からなければ、必然的に、人の気持ちも分かりませんからね。気持ちの分からない人が近くにいたら…。親でも苦しいのじゃぁないかしら? 発達トラウマ障害の子ども等は、こうして関わりづらい人になってしまいます。本人も、なぜ、人が関わりづらそうにしているのかも、分かりませんから、本人は本人で辛いでしょ。

 このようにして、発達トラウマ障害の子どもも、その子に関わっている親も保育士も教員も、それぞれ辛い思いをせざるを得ませんね。

 大事なのは、心理学的洞察でしょうか?

 どうでしょう?

 https://www.youtube.com/watch?v=jYyEEMlMMb0

の中で、ブルース・ペリー教授は、そのようには言いません。

大事なのは、その子どもの眼の前にいて、我慢強く、親切に、敏感に、やり取りの出来る人です。

 

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