エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

いつでも大事な、トータルなヴィジョン

2016-04-04 08:10:25 | エリクソンの発達臨床心理

                             矢川緑地公園のこの桜は良いです。

 

 
無責任な私たちに必要な、オリエンテーション
                国立、矢川駅北側の桜 東京電力は、世界史に残るような大事故を起こしたのに、1人の逮捕者も、出ていません。小さなバス会社が、衝突事故で何人かの...
 

 

 アメリカの施設は、子どもから高齢者まで、40年前からかなり良くなってきたみたい。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の、p.117の、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 

 それで、年寄りたちがお出まし、という訳です。こういったことにすべてが工夫され、医者たちや看護師たちがいるのも、その年寄りたちのためなんです。年寄りたちはモタモタしているかもしれません、危なっかしいかもしれません、頼りなげかもしれません。車いすや歩行器、必要な人も多い。失禁する人もいますし、食事療法をする人もいます。骨折して治らない人も多い。たかだか、脆い仲間たちです。関係やら、日々の暮らしに必要な力やらは、いつも危なっかしいし、予期せぬ様々な故障が体系的な「機械仕掛けの仕組み」にも、スタッフにも利用者にも起きてきます。

 

 

 

 

 

 年寄りたちの暮らしは、いつでも危ういものですし、危なっかしいものですね。でも、よく考えたら、私どもの暮らしは、本来、いつでも危ういものですし、危なっかしいものではないですか? いつ、急病や急な事故に遭うか分かりません。鳥よりたちの暮らしは、それをハッキリと示してくれているだけでしょう。

 ですから、年寄りたちのためにするあらゆるソーシャルサービスは、私どもすべてのためでもある訳ですね。いつでも大事なのは、こういったトータルなヴィジョンです。

 

 

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タッチが足りない!

2016-04-04 07:10:22 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
オッカムの剃刀で、あなたもスッキリ
  オッカムに代表される唯名論は、名前には意味はあるけれども、実態はない、と考えたわけですね。実在論との、かの有名な普遍論争は、教科書的に申し上げれば、中世の代表...
 

 

 現代社会は、命と命の繋がりという根源的な繋がりを見失っていることが、あらゆる社会病理の根っこをなしているんでしょう。その繋がりを見失っているために、不安で不安でたまんない私たちです。 

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」のp.235、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 私がすべての答えを知っている、などというつもりはありませんけれども、現在行われている子どもを育てるやり方は、私どもの子ども達を傷つけている場合が多い、ということは承知しています。たとえば、キャリフォルニアでは、3歳から5歳までの大規模な子育てセンターでは、スタッフは子ども達に触れることが許されていません。子どもたちはハグされたい、抱っこしてほしいと願えば、大人たちは子ども達を「あっちに行ってなさい」と突き放します。これは、一見正しく見える考え、子ども達を性犯罪から守りたいという考えが、重大な否定的な結果をもたらしうる、古典的な実例です。今まで見てきましたように、赤ちゃんたちは、触れ合いがなければ、文字通り死んでしまいます。触れ合うことが私ども人間の生態の一部なのですから。

 

 

 

 

 

 今のニッポンの子ども達も、猛烈に触れ合いを求めていますからね。遊びのオジサンが子どもたちと遊んでいる時に、1人を抱っこしようものなら、2人、3人とおんぶしてもらおうと、肩に上ってきますからね。それは「異常」、「異様」なことですよね。こんなにも、触れ合うという根源的なことが欠けている子育てが、多い、ということが、「異常」であり、「異様」なんですよ。子どもが十分に抱っこされたり、ハグされてされていたりすれば、どこの学校に行っても、あんだけたくさんの子ども等がタッチを求めてくることはないはずでしょ。

 

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平常心を保つのって、けっこう難しい

2016-04-04 06:13:51 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
臨床の相手を理解するために
  性理論はタブーから自由までになるんですね。人の評価に一喜一憂してはいけないことが、ここからも分かります。  The life cycle cpmplete...
 

 

 クライアントの話にひき出されないためには、教育分析が必要です。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.246、ブランク下の、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 犠牲者たちが話をしなくなる時、すなわち、脳の言語野がお休みに入った時に、もう1つ問題が起ります。私はこのようなお休みを、移民のケースの法廷や、ルワンダの大量虐殺の犯人を裁く法廷で、見てきました。自分の経験について証言するように言われても、犠牲者たちは動揺して、話しが出来ることはほとんどなかったり、パニックに陥ったりして、自分達に起きたことを明確に話すことが出来ません。こういった犠牲者の証言は、滅茶苦茶だったり、混乱していたり、断片的だったりして、信頼できないものとして、採用されないことが多いものです。

 

 

 

 

 

 事件や事故の犠牲になるようなことがあれば、、その事件や事故のことについて考えるだけで、平常心を失っても、それが人情というものかもしれませんね。

 どうしたら、平常心を保つことが出来るのでしょうか?

 

 

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いろんな症状を、ひとまとめに説明するのが、発達トラウマ障害≒愛着障害

2016-04-04 02:26:13 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
無責任な私たちに必要な、オリエンテーション
                国立、矢川駅北側の桜 東京電力は、世界史に残るような大事故を起こしたのに、1人の逮捕者も、出ていません。小さなバス会社が、衝突事故で何人かの...
 

 ヴァン・デ・コーク教授のおかげで、「PTSDは、…安心・安全で、約束に基づいた、見通しと一貫性のある養育のやり方で育てられた子ども達が、一回の事件・事故によるトラウマの影響を捉えるのに相応しい診断だ」と分かりましたね。すると、今のニッポンの、長時間労働、長時間通勤、増える1人親家庭、職場に長時間いるのが職場への忠誠の証のように見る錯覚の横行、非正規労働者や女性に対する差別と、それに基づく経済的不平等があまりにもひどい状況では、PTSDの診断が相応しくなるような、まともな家庭は、今のニッポンには絶滅危惧種です。すなわち、質量ともに、子どもと十分やり取りがあり、安心・安全が保障され、約束に基づいた、見通しと一貫性のある養育のやり方を日々実行することが出来る家庭って、100に1つも、ないんじゃないですか?

 もしも、その通りなら、どんな震災や災害があろうと、今のニッポン、PTSDは非常にレアケース、ということになるでしょう。これは、私の心理臨床の実感を、学問的に裏付けてもらった感じがしています。あの勘違いで不勉強な「専門家」に感じていたウソとゴマカシの臭いが「やっぱりね」とばかりに、ヴァン・デ・コーク教授の論説によって、裏書されましたね。

 今晩も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : defelopmental trauma disorder)をDSM-Ⅴにハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の4日目。

 序章(イントロダクション)から、昨日の第5パラグラフの続きで、今晩は第六パラグラフ。

 

 

 

 

 

 1,699人の、トラウマを焦点にした治療を、国立子どもトラウマ・ストレス・ネットワークの25のネットサイトで受けた子ども達を調べた調査(スピナゾーラ等、2005)によると、大多数(78%)の子ども達が、いろんな対人間暴力に、長期に渡ってさらされてきたことが示されました。それも、第3様式の(母親による、赤ちゃんの頃から繰り返された、虐待やネグレクトによる)トラウマです。その内、PTSDの診断基準を満たしたのは、25%以下でした。重大事故や病気に遭遇したのは、10%もいませんでした。トラウマの後遺症のあるほとんどの子どもたちは、PTSDの診断基準ではとらえられませんでした。少なくとも50%の子どもたちが、1)感情のコントロールが出来ない、2)集中力をたもつことができない、3)自分は悪い子と思っている、4)衝動を抑えられない、5)攻撃的、6)危ないことをする、などの点で、重度の混乱があります。このような研究成果は、過去20年に渡って、子どもの頃に受けた対人間暴力のトラウマが、10000人の子どもたちに対して、どのような影響があるのかを研究した、夥しい、疫学的、生物学的、心理学的研究と一致したんですね。いまは、他に診断の選択肢が1つもありませんから、このような症状は、関係のないように思える併存する様々な病気、たとえば、うつ病、ADHD、PTSD、行為障害、恐怖不安、反応性愛着障害、分離不安などと、曲げて診断されなくてはなりません。シカゴ・子どもトラウマ・センターから得たデータを分析したところ、不適切な養育のやり方をされて、現在進行形のトラウマになるストレスに晒され続けている子ども達は、他のトラウマを負わされた子どもたちに比べて、トラウマとは無関係な診断がされることが、1.5倍も多いことが明らかになりました。データを見れば、いろんな併存する病気に診断されてしまう泥沼を抜け出し、こういった子どもたちの、様々な症状を一貫して説明する、新たな診断名をハッキリと示すことが、急務です。

 

 

 

 

 

 かくして、発達トラウマ障害≒愛着障害という診断名が提案されるに至ったわけですね。

 今晩の最後のところで、子どもが示すいろんな症状を一貫して(ひとまとめに)説明する診断名が必要だ、と、ヴァン・デ・コーク教授が言ってますでしょ。これは、一昨年度、私自身、30を超える学校を回って、子どもが示す症状を「発達トラウマ障害」として一貫して、ひとまとめにして説明したときに、多くの教員が「今までバラバラだったことが、一貫して、1つのものとして理解できてよかった」と言われたことと同じでしょうね。

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