エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ジュリアンの気持ちが安定するのはね

2017-04-28 05:51:42 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 

 
宇宙に対するお礼
   今朝は、マハトマ・まど・みちおさんの言葉から(『どんな小さなものでも みつめていると 宇宙につながっている』より)。        だれに向か......
 

 発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.176, 第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ジュリアンは,シャンレー神父が年老いたことを気の毒に思う気持ちと,「どこかの部屋に連れてって,殺してやりたい」と思う気持ちの間で,揺れました。それから,ジュリアンは自分の恥についても繰り返し語り,自分を守れなかったとは認めがたい,と繰り返し零しました。「誰も僕にチョッカイは出せないし,僕はこれを話さなくっちゃ」という訳です。ジュリアンの自分に対するイメージは,大きくて,忍耐強くなりました。

 

 

 

 

 ジュリアンも気持ちが安定しません。これは仕方がありません。安心感と信頼を取り戻す過程では,むしろ当然です。

 セラピーが進み,自分の体感を取り戻すことが,安心感と信頼感を取り戻すことに重なりますから,そうすれば,気持ちも安定していきます

 

 

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エリクソンの叡智:遊びの2条件

2017-04-28 05:21:01 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

 
演じることは、生きる場を持つことに繋がってる
   岡部伊都子さんの場合  孤独を花明りにして 改訂版  岡部伊都子さん。ご存じだろうか? かく言う私も、数年前にNHKの「知る楽 こだわり人物伝」と......
 

 今朝のエリクソンは,Toys and reasons. 昨日の続きで,P.57.ページ,第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 いろんな動物の魅力的な遊びも,一定の秩序の元の行われていることは確かですね。その秩序とは,遊ぶゆとりがあることと,人を傷つけたり,人のゆとりをあんまりお邪魔したりしないように遊ぶという条件のもとにありますね。

 

 

 

 

 

 遊びも,実にうまく出来てますでしょ。

 

 

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現世考: 山でも,学校でも,学習しない教員たち

2017-04-28 05:05:45 | 間奏曲

 

 

 

 
宇宙に対するお礼
   今朝は、マハトマ・まど・みちおさんの言葉から(『どんな小さなものでも みつめていると 宇宙につながっている』より)。        だれに向か......
 

 

 那須高原の「春山安全登山講習会」で,高校生らが雪崩に遭って,殺されてしまったあの事件。7年前にも,同じ「春山安全登山講習会」で雪崩に遭っていたのに,それがその事故が県教育委員会に報告されないばかりか,翌年以降の講習会の場所や内容について,再検討されずじまいだった,ということがニースで流れましたね(http://datazoo.jp/w/%E9%9B%AA%E5%B4%A9/31496550)。

 事故や,それに伴う,人の失敗を指摘するのは,さっきの「聖書の言葉: 低みに立つ」でも示しましたように,弱くされた人たちの立場に立つのに似ています。上司や同僚の不興を買いやすい。だから,「まあまあ,…」と言って,あいまいなままに意識的ににしているフシが,学校と言う現場にはありますね。それは,大川小学校や,中学生が自殺した広島の学校でも,同じでしたでしょ。

 それは,教員らが,真実や子どもの命を日ごろから2の次,3の次にして,管理職の顔色ばかりを窺っているからなんですね。ですから,山でも,学校現場でも,教員が学習しない,というバカが繰り返されるんです。

 私どもは,教育の原点に立ち返って,何よりも真実を重んじ,子どもの人格の完成を目指す教育を,このニッポンに生き返らせる必要があります

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聖書の言葉: 低みに立つ

2017-04-28 03:32:03 | 聖書の言葉から

 

 

 

 
発達トラウマ障害の子ども達は、必ず豊かな根源的信頼感のある人が必要
   ルターが使った道具はこれ  自分を確かにさせたいのに、それが叶わないとき、悪い良心が生じます。まさに今の日本がそれです。ですから、人を人とも思わな......
 


 本田哲郎神父様は,メタノイアを「低みに立って見直す」と訳されていますでしょ(『釜ヶ崎と福音』岩波現文庫)。その中に,「理解する」,「本当に分かる」意味で,英語のunder-standを引用するくだりがあります。

 私は,社会福祉を志す人たちが在籍する短大や専門学校で,かつて,教鞭をとって来たことがあります。その時に,「援助職は,この種の理解,under-standing が必要です」ということを常々言ってきましたから,本田哲郎神父様も同様なことを言ってるんだと思って,嬉しく感じましたね。

 でも,それだけではないんですね。パウロさんの臨床心理学は,『新約聖書』の中にある,パウロさんの手紙の1つ「ローマ人への手紙」第5章3節から5節に在ります。新共同訳では,「忍耐」と訳されているὑπομονή,ヒュポメネーは,ヒュポ,下に+メノー 立つ,ですから,文字通り,under-stand,理解する,本当に分からせてもらう,ということだ,と私は考えています。

 前田護郎先生の翻訳を引用しておきますね。

3そのうえ、苦難にあっても誇ります。苦難は忍耐を、4忍耐は訓練を、訓練は希望を生むことを承知ですから。5この希望は恥をかかせません。われらに与えられる聖霊によって神の愛がわれらの心に注がれるからです。」

 この聖書の言葉の中にある「苦難」にも,様々なものがあるのでしょう。しかし,真面に「弱くされた人たち」の仲間になろうとすると,それがそもそも苦難の元,ということが少なくないですね。ニッポン人なら「まあまあ,そこまでやらなくても(角を立てなくても),ここら辺が落としどころでしょう…。」と言う感じになる場合が実に多い。そうすると,上司や同僚には受けが良くなるかもしれませんが,くされた人たちの立場を大事にし切れない,むしろ,裏切る感じになってしまいます…

 それで,思い切って弱くされた人たちの立場からものを見て,感じて,学ばせてもらおうとすると,上司や同僚と対立が生じますね。ですから,私は「波風を立てましょう」と日頃から申し上げている訳です。そうすると,それが苦難の始まり始まり…。

 でも,その中で,自分の感性も磨かれて,弱くされた人たちのことをより深く理解できるようになってきたのも事実でしたね。その中で,自ずから? 道が開かれたのも,事実でした

 低みに立つのは,感性に磨きをかけ,弱くされた人のことが本当に分かる所に近づくことですね。

 

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