発達トラウマ障害の子ども達は、必ず豊かな根源的信頼感のある人が必要
ルターが使った道具はこれ 自分を確かにさせたいのに、それが叶わないとき、悪い良心が生じます。まさに今の日本がそれです。ですから、人を人とも思わな......
本田哲郎神父様は,メタノイアを「低みに立って見直す」と訳されていますでしょ(『釜ヶ崎と福音』岩波現文庫)。その中に,「理解する」,「本当に分かる」意味で,英語のunder-standを引用するくだりがあります。
私は,社会福祉を志す人たちが在籍する短大や専門学校で,かつて,教鞭をとって来たことがあります。その時に,「援助職は,この種の理解,under-standing が必要です」ということを常々言ってきましたから,本田哲郎神父様も同様なことを言ってるんだと思って,嬉しく感じましたね。
でも,それだけではないんですね。パウロさんの臨床心理学は,『新約聖書』の中にある,パウロさんの手紙の1つ「ローマ人への手紙」第5章3節から5節に在ります。新共同訳では,「忍耐」と訳されているὑπομονή,ヒュポメネーは,ヒュポ,下に+メノー 立つ,ですから,文字通り,under-stand,理解する,本当に分からせてもらう,ということだ,と私は考えています。
前田護郎先生の翻訳を引用しておきますね。
「3そのうえ、苦難にあっても誇ります。苦難は忍耐を、4忍耐は訓練を、訓練は希望を生むことを承知ですから。5この希望は恥をかかせません。われらに与えられる聖霊によって神の愛がわれらの心に注がれるからです。」
この聖書の言葉の中にある「苦難」にも,様々なものがあるのでしょう。しかし,真面に「弱くされた人たち」の仲間になろうとすると,それがそもそも苦難の元,ということが少なくないですね。ニッポン人なら「まあまあ,そこまでやらなくても(角を立てなくても),ここら辺が落としどころでしょう…。」と言う感じになる場合が実に多い。そうすると,上司や同僚には受けが良くなるかもしれませんが,弱くされた人たちの立場を大事にし切れない,むしろ,裏切る感じになってしまいます…。
それで,思い切って弱くされた人たちの立場からものを見て,感じて,学ばせてもらおうとすると,上司や同僚と対立が生じますね。ですから,私は「波風を立てましょう」と日頃から申し上げている訳です。そうすると,それが苦難の始まり始まり…。
でも,その中で,自分の感性も磨かれて,弱くされた人たちのことをより深く理解できるようになってきたのも事実でしたね。その中で,自ずから? 道が開かれたのも,事実でした。
低みに立つのは,感性に磨きをかけ,弱くされた人のことが本当に分かる所に近づくことですね。