インターメッツォ : ピース潜在期という考え方 漸生説、エピジャネシス、エピには 「前」+「上」と意味があります。 The life cycle cpmpleted 『人生......
今宵の聖書の言葉は,神様と良心です。
イエス・キリストは,『新約聖書』の初めに出てくるイエス・キリスト物語の「マタイによる福音書」の最後,第28章で,次のように仰っています。
「 弟子たちへの指示
16十一人の弟子たちはガリラヤのイエスに指示された山へ行き、17彼にまみえてひれ伏した。しかし疑うものもあった。18イエスは彼らに近よっていわれた、「天と地の全権がわたしに与えられた。19それゆえ、行ってすべての国の人を弟子にし、父と子と聖霊の名で彼らをきよめ、20あなた方に命じたことをすべて守るよう教えよ。安んぜよ、わたしは世の終わりまでいつの日もあなた方とともにいるから」と。」
キリスト者は,ですから,単独者でいる時も,いつでも,イエス・キリストと同行2人ということになりますね。まるで四国のお遍路さんみたい。
そして,イエス・キリストの教えは,「あなたの隣り人を,自分のように大事にしなさい」でしたでしょ。そして,これは,「弱くされた人に一歩歩み寄る勇気を持って生きなさい」ということだと,前日のブログで申し上げましたね。
つまりは,弱くされた人と≪共に見る≫ことが,イエス・キリストと≪共に見る≫に繋がることになりますね。良心を意味するギリシア語συνείδησις,シュネーデシスが,≪共に見る≫ということは,このブログの熱心な読者ならば,すでにご存知ですね。
イエス・キリストが共に居てくださることを信頼して,弱い立場の人に一歩歩み寄って,≪共に見る≫ことが,良心を育むことを教えてくれている,と私は考えますね。
換言すれば,イエス・キリストが「「…安んぜよ、わたしは世の終わりまでいつの日もあなた方とともにいるから」と。」と約束してくださっていることが,キリスト者の良心の根っこだ,ということだろうと思います。