発達トラウマ障害≒愛着障害の診断基準 AからD
子どもの貧困 No.5 今の日本の根源的な貧困 子どもの貧困。今日はその5回目。 今の日本の子どもの根源的な貧困について。 昨日のブログの最後......
昨日,教育テレビ「こころの時代」でスベトラーナ・アレクシェービッチさんのお話,「「小さき人々」の声を求めて」を伺いました。「証言記録文学」という独自のジャンルを切り開いた,と言われているそうです。ルポルタージュ,抵抗文学の1つだと思います。お話を伺うのは,今回初めての機会でした。スベトラーナさんは控えめな感じの人で,しかし,言わなければならないことはハッキリという意志の強さも感じさせるたたずまいの方だと感じました。
スベトラーナさんは,庶民と言われている人々の言葉に,「人間にとって,本当に大事なことが隠されている」と感じたから,その言葉を集めて記録しよう,という訳です。鎌田慧さんにも通じる,ルポルタージュの基本的な思想なのでしょうね。
スベトラーナさんの言葉を,備忘録的に,書き起こしてみました。
「チェルノブイリの周辺には,健康な子どもはいません。かつての戦争では,戦後生き残った人々は,健康な子どもを産み,その子は次の世代に命を繋いだ。しかし,チェルノブイリでは,事故の後,何年もたって生まれた子が,何の罪もないのに,命の危険にさらされてしまうのです。飛行機にはフライトレコーダーがありますよね。ベラルーシ人は自らを『人間フライトレコーダーだ』と言います。『他の人類の,未来のための情報を記録しているのだ』と。」
「原子炉の中に砂を入れて消火する,あるヘリコプター乗りがいました。彼ら全員が,死に至るほどの放射能を浴び,その男性も他の人たちと同じく,死に行く身となりました。彼は『早く来てくれ』と私をものすごき急がせ,こう言いました。『書き留めてくれ,僕には理解できなかった。あなたもそうかもしれない。でも,やがて人は理解する。早く証言を残さなければ。』私は,チェルノブイリで同じような言葉から話し始める人々の声を,何度も何度も耳にしました。『こんなことは誰も話してくれなかった』,『こんなことは見たことがない』,『こんなことはどこにも書かれていない』,つまり,過去のアーカイヴにもないし,トルストイやドストエフスキーも書いたことがない出来事なのです。…私たちは,全く新しい現実に直面しているのです。」
「社会的存在としての人間は,世の中のヒエラルヒーを信頼しがちです。お偉いさんが言うことを(信頼しがちです)。たとえば,(日本では)首相が,私たちのところ(ソ連)では,書記長が『コントロールしている』と言う。でも,事故直後,被災地にいた農家は,『なぜ,ミツバチが10日間も姿を現さないか,分からなかった。』 ミツバチは人間には聞こえない何かを聴いていたのでしょう。しかし,同じ時に人間の子どもは,サッカーをしていた。政府が「アンダー・コントロール」と言っていたから。でも,そのコントロールとは,いったい何か? 原子炉が消化されても,現地の関係者たちは,『中で何が起きているのか,知らない』と言っていました。フクシマも同じ状況ではないか,と思います」
「チェルノブイリでは(除染で出た土などを詰める)フレコンバックが積まれた状況は,数カ月だけのものでした。それ以降は別の対策が取られたのです。汚染された土は,専用の巨大なコンクリートの穴に入れられ,蓋をして覆われ,埋められました。ですから,日本ですべてが地上に出ていることは,社会を心配させるでしょう。私は,あの状態は長く持たないだろうと思いますし,危険だと思います。
「チェルノブイリの半径30km圏内は,立ち入り禁止⛔区域です。…一方,福島では,あんなにも早く,人々が戻ってきていました。何故それが可能なのか? 私には分かりません」
「人類は,核兵器と原発は別のものと思ってきました。広島と長崎以来,軍事としての原子力を,私たちは常に恐れてきました。でも,平和な原子力は友達なんだと思っていたわけです。でも,それが突然,軍事でも平和利用でも,原子力は共犯者で,どちらも人間を危険にさらす,と分かってきました。…どちらも,人を殺してきました。チェルノプリイと福島は,新しい形の戦争なんです。」
「モニタリングポストの線量計は,専門家が持つ計器の線量計の半分程度の値しか示さない」不思議。
「国家が騙していることを知っている人に会えてよかったです」
「国家は人間に命に対して,完全な責任を負わない,ということです。」
「国家は人に最低限のことしかせず,後は『好きにしなさい』です」
「また,私は,日本社会における抵抗のなさにも驚きました。…日本社会には『抵抗の文化』がありません。私たちの社会では,日常生活が全体諸義であることと土結びついています。あなたがたの国では,どうなんでしょうか?」
「いまや『意識の軍国主義化』が起きています。ある所の新しい愛国主義です。『私たちには偉大なロシアが必要だ,犠牲もためらわない』というような。そして,見出そうとする活路の1つが,お決まりの軍事侵略です」
「いま,民主主義が後退せざるを得ない時代に,私たちは生きている,とさえ言えます」
「真実を話すと,息子の戦士による補償金がもらえなくなる。私は,そのお金でアパートを買うのです。つまりは,国民の堕落が加わっているのです」
「どうすれば,絶望を克服することができますか?」 と,ひとりの学生が尋ねました。
ストラベーナさんの答えは次のようなものでしたね。
「私の人生にも,もちろん,絶望するような瞬間はたくさんありました。自分自身の人生の経験だけでなく,聞いたり書いたりしたことについても,人生では,たとえ大禍に見舞われなくても,『人間であり続ける』ことは容易ではありません。しかし,苦しみの経験は人を強くすると思います。そして,若者であるあなたに私が言えることは,ただ一つです。≪丹念で孤独な「人間であり続ける」作業≫は,たとえ一人になっても,自分自身でしてゆくことなんです。大切なのは,『人間であり続ける』ことで,他に,この世界であなたを守ってくれるものはありません。」
「現在の世界のナショナリズム,偏狭な保守主義の台頭は,小さき人々がとても怯えてしまっていることと結びついている,ということです。そして,この小さき人々は,トランプやプーチンのように,すべての問いに素早くこたえてくれる人々を求めるのです。これが今私たちがいる現実です。」
「もしも,天国に最後の審判があるならば,その時,神のみ前に呼ばれる主だった証言者たちは,小さき人々でしょう。私は,そんな小さき人々をこそ,信じています。小さき人々こそ,永遠の存在なんです。小さき人々は永遠に続く鎖。その鎖を断ち切り,自らを滅ぼすほど,人間は狂ってはいない,と祈りましょう。やはり歴史は前に進んでいると信じたい。道の途中で立ち止まったり,時の道を逆戻りすることがあっても,とにかく,前進は続いているんだ,と信じたい。少しずつではあるけれど,前に進んでいくのだと,それを夢見ましょう。」