脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

「きらっと生きる」高次脳機能障害

2009年09月18日 | 高次脳機能障害
NHK教育テレビの福祉番組
「きらっと生きる」(「きらっといきる」の放送は
毎週金曜 午後8時から8時29分

再放送は翌金曜、午後1時20分から1時48分)

今夜8時からの放送のテーマは

高次脳機能障害。


脳脊髄液減少症の患者さんは、
自分は大きな脳の外傷もないし、
脳の疾患もないから、自分は関係ない、

そんな症状はないと思っていませんか?

脳脊髄液減少症になってから、
知っているはずの人の名前が出てこなくなったり、

脳脊髄液減少症になってから、
漢字が出てこなくなったり、
文章の読み書きがしにくくなったり、

道に迷ったり、方向おんちになったり、
手に持ったものをいつのまにかなくしたり、
しまい忘れ、おき忘れなどが増えていませんか?

文章を読んでも頭に入らなかったり、

人の話が理解できなかったり、

言おうと思った言葉が出てこなくなったり、
言おうと思った言葉と違う言葉が出てきてしまったり、
簡単な計算がしにくくなったり、

今までスムーズにできたことが、
できなくなったり、

やろうと思っても、
気がそれて、優先順位がメチャクチャになったり、

ドラマを見ても、内容が理解できなかったり、
以前に比べて、怒りっぽくなったり、
そんな経験はありませんか?

ひどくなると、直前の記憶が消えてしまうのが
脳脊髄液減少症の高次脳機能障害の特徴のようです。

これらは高次脳機能障害です。

ひどくならないと、自分のそれらの症状がなんなのか、気づきにくいけれど、
脳脊髄液減少症でも程度の差はあっても、
さまざまな高次脳機能障害がでます。

脳脊髄液減少症は
体の症状の方が激しくつらいから、ついそちらにばかりに
患者本人も、医師も家族も目を奪われて、
高次脳機能障害の症状は、脳脊髄液減少症患者の中でも、
さらに気づかれにくいと思います。

脳脊髄液減少症でも高次脳機能障害が起こることに気づいている人は
医師は意外に少ないかもしれません。

専門医であっても、患者がこれらの症状を受診のさいにだまっていれば、
脳脊髄液減少症での高次脳機能障害の存在に気づけないと思います。

それに、現在の高次脳機能障害の診断基準では、
脳脊髄液減少症の高次脳機能障害は、正しく診断されない恐れがあります。

くわしくは、
脳脊髄液減少症とは?
「どのような症状を呈するか?」の
第四からの高次脳機能障害のところを参照ください。


脳脊髄液減少症は、
体の症状のつらさばかりが大きく取り上げられがちですが、

この高次脳機能障害で学習が困難になっている子供達もいると思われます。

脳脊髄液減少症の高次脳機能障害にも、
もっと患者さんはじめ、多くの支援者の方がた、医師の方がた、

そして、高次脳機能障害の専門医の方がたに関心を持っていただきたいと思います。

高次脳機能障害について書いた記事は
カテゴリーの「高次脳機能障害」の中
いくつかまとめてありますのでご参考ください。(
本日の記事も含まれています。)



さて、話は代わりますが、

今から2年前、
この「きらっと生きる」という番組で脳脊髄液減少症も放送されました。

ご存知ない方は、以下ご覧ください。

2007年4月7日放送、「きらっと生きる」

2007年の放送は以前はここでも左の動画が動いて見られたのですが、今は見られないようです。

はじめてこの記事を読む方は画面の
文字をクリックして内容をお読みください。

「診断書が表彰状」って感覚は私もすごくよくわかります。

でも、この感覚は、脳脊髄液減少症でありながら、
何十年もほったらかされつつ生き延びて、診断がついた
患者にしか、わからない感覚かもしれません。


事故から日が浅くて、
脳脊髄液減少症の診断できる医師や、病名にたどりついた、

あまりにも幸運な患者さんたちには、

私たち交通事故以来何十年も病名もないまま、気のせい扱いさえて生きてきた
患者が、やっと診断されたときの

あのなんともいえない、安堵と、
やっぱり自分のせいではなかったという気持ちと、

やっと正しく診断されたことで、ここまで生き抜いた自分を
表彰してあげたいような、

そんな気持ちはわかってもらえないかもしれません。

何十年も病名もつかず、医師にイヤミや誤解を受け、
病人としても認められず、

社会的に補償もなく、
症状ごとにドクターショッピングを強いられ、

周囲にも理解されず、怠け者、性格のせいと
責められ続け、

高次脳機能障害での怒りっぽさも、
脳脊髄液減少症での呼吸困難も、

すべて患者の性格的な欠陥、精神的なものとされ、

周囲にも理解されず、怠けもの、と誤解され続け、

それでも、症状に耐えて、生きてきたものが、
やがて、脳脊髄液減少症という病名を知り、

その症状にそっくりであることに気づき、
診断できる医師を探し出し、

脳脊髄液減少症の正しい診断治療に出会え、
激しい脳脊髄液減少症の症状に耐えぬき、生きぬいて、

RI検査を受けて、やっと、やっと、やっと、

交通事故から数十年ぶりに「脳脊髄液減少症」という

事故後遺症の真相にたどりついた患者にしか、

「診断書が表彰状」と感じる

あの感覚はおそらくわからないと思います。

私にも
「脳脊髄液減少症」という診断書は

「あなたは悪くない、あなたのせいじゃなかったんだよ。

精神的身体的なさまざまな不定愁訴は
交通事故で見えない怪我を負って脳脊髄液が漏れ続けていたせいだったんだよ。

今までつらかったね。

よく、死なないで逆境の中を生き抜いてきたね。

えらかったね。

あなたは仮病なんかじゃない。

あなたは、うそつきなんかじゃない。

あなたはお金めあての病理利得の患者なんかじゃない。

保険金目当ての詐欺師なんかでももちろんない。

ただの、交通事故の被害者だったんだよ。

ここまで、長かったね、でも、生きてこの診断書にたどりつけてよかったね。」

そう診断書に語りかけてもらったような気持ちでした。



「脳脊髄液減少症」という診断書を見た時、


「病気、病人と認められた証明書」のように

「今まで死なないで、誤解や偏見に耐えて、
激しい症状に耐えて
生き抜いた自分への表彰状」のように、

本当にそんな風に

私も感じました。


コメント
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