脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

「○○」なんかで死ぬんじゃない!

2009年09月23日 | つぶやき
先日
テレビ東京で9月18日に放送された
「ルビコンの決断」「借金なんかで死ぬんじゃない 」

本日、BSジャパン9月23日、夜10時から再放送されます。

関心のある方はぜひご覧ください。

ヤミ金被害者を救うべく、
闘った弁護士さんの物語です。


私はいつのまにか、
「借金」を「脳脊髄液減少症」に置き換えて、

「ヤミ金被害者」を、「交通事故での脳脊髄液減少症になった被害者」に置き換えて、
闘う弁護士さんを、見ていました。

「借金なんかで死ぬんじゃない。」という言葉は

「脳脊髄液減少症なんかで死ぬんじゃない」って、言ってもらえたように思いました。


交通事故の被害者なのに、

適切で正当な補償も受けられず、

誤解と偏見と医療や国の無支援と、無理解と、経済苦と、

家庭崩壊と、失職などで、

さらにさらに肉体的にも精神的にも追い詰められて
自らの命を断つまで追い詰められるなんて、

絶対におかしなことです。


ヤミ金問題に自殺を考えるほどお金がなくて悩む人たちは
弁護士さんにも相手にしてもらえないことも多いだろうし、

追い詰められて、もはや死ぬしかなかった気持ちも
わかるような気がします。


でも、
「借金なんかで死ぬんじゃない。」と

こうしてヤミ金と闘って人々の命を救ってくださったような、
正義の味方のような弁護士さんもいるのだと、


この世の中は理不尽なことだらけだし、
自分に関係のないことには、全く理解のないひどい人たちもいるけれど、

こうして、難しい問題の中で生きるか死ぬかの瀬戸際にいる弱者に
手をさしのべてくれる人もいる。

世の中、捨てたもんじゃない、
あきらめちゃダメだ、と思えるような再現ドラマでした。


脳脊髄液減少症患者も「絶望して死んではいけない!」と思いました。


印象的だったのは、


番組の最後で、
ドラマではなく、

宇都宮健児弁護士その人が
実際に行動する姿でした。

「弁護士が救える被害者は一部でしかない、
だから、
全部の被害者を救うには、
「政治」や、「政策」や「法律」が必要なんだ。」とおしゃって、

各政党をまわって議員たちに、闇金問題のことを、
訴えてまわっている実写シーンでした。

このシーンだけでも、
ひとりでも多くの方がたに見てほしいと思いました。

この弁護士さんのお考えには
とても共感を感じました。

ヤミ金だけではなく、
脳脊髄液減少症患者にも同じことが言えると思います。

一人の医師が、どんなに体を酷使して頑張っても
救える脳脊髄液減少症患者の数は限られています。


ヤミ金から被害者を救うのと同じように、

脳脊髄液減少症患者を救うためにも、
「政治」や「政策」や「法律」が必要だと私も感じました。


政治家に現状を伝えること、お願いすること、
訴えることは、
何も悪いことではありません

ましてや、罪悪感を感じることもありません。

「政治」や「政策」や「法律」を変えるためには必要なことです。

患者ができる最初のスタートだと思います。


ヤミ金も、患者も、弱い立場の人間が
その弱い人間たちだけでいくら頑張っても
いつまでたっても救われません。


遭難者がいくら遭難現場で励ましあっても、
いくらがんばっても、救助隊がこないと救われないように、

いくら励ましあっても、救助を何年も待っても、

「その人たちを救おうという強い意志を持った力強い救助隊」が来ない限り、
遭難者たちは救われないと思うのです。

それと同じように感じます。


一人ひとりが、この人はと思える政治家に、
素直に、現状を伝えることは何も悪いことではないと思います。

それどころか、
国民の代表である議員たちに思いを伝えることは
国民の権利であり、

国民の代弁者として、国民の声を国に届けるのは
議員たちの義務だと思います。


どんどん、政治や政策や法律に
国民がかかわっていくために、

政治家に訴えていってほしいと思います。

政治家の動きをよく見て、
政治家の対応を評価し、
少しも私たちの気持ちが理解できないような政治家には
二度と投票しなければいいのです。

自分の思いとは違う方向へ行こうとする党へは、
二度と投票しなければいいだけのことです。

黙っていては、それこそ
「患者の権利」なんか守れないと私は思います。


患者の権利を守るためにこそ、
政治や政策や法律を変えることは必要なことだと思います。


自分達でまず、できること、するべきことがあると思います。


私にできることは、このブログで私の素直な思いを訴えることだけですが・・・。




薬害C型肝炎の九州原告団代表だった、
福田衣里子衆議院議員が、

19日午後、長崎市浜町の商店街で
さっそく、
「肝炎患者支援法」の制定に向けて、署名活動を行ったと
新聞で読みました。

当選すれば、
まず自分達の病についての理解や支援を訴える行動が優先で、
他のことは後回しになるのは仕方がないことでしょう。

でも、もしも、
「脳脊髄液減少症患者支援法」なんてものが
現実になる日なんて来るのでしょうか?


いまさらですが、
脳脊髄液減少症患者の回復者の中から、

ひとりぐらい国会議員さんがでて当選してほしかったと思うのは
私だけでしょうか?


どんな重病の経験者であっても、

「症状を訴えても訴えても医師にも病人としてさえ認められないで、
精神的なもの、心理的なものと何年も何十年も放置され、さらに症状を訴えると、またかと冷笑されたりあざ笑われる。」という

脳脊髄液減少症患者のようなひどい特殊な経験はないはずです。

重病の経験者の方がたは、
たとえ苦しい闘病生活や世間の無理解は経験していても、

少なくとも「医療」からは「病人」として認められ、
手厚い医療を受けてこられたはずです。


健康保険や、難病認定で、医療費だって国から助けてもらえたはずです。


そのような方がたに、
事故で発症し、被害者なのに、本人のせいにさせられ、

補償も充分に受けられず、治療費も打ち切られ、

その後も症状に苦しみ、

何十年もドクターショッピングを強いられ、自分たちでの医療費の出費を強いられ、

症状を訴えても、原因がはっきりしないために
まともに病人としても扱ってもらえず、

本人の性格のせいや、気のせいにされて、嘲笑されてきた
脳脊髄液減少症患者の気持ちが
はたして、わかってもらえるのでしょうか?

今もなお、
国による救済を、祈るような気持ちで、
毎日毎日、綱渡りのように、生きている

脳脊髄液減少症患者の気持ちが、はたして、理解してもらえるのでしょうか?

脳脊髄液減少症とわかっても、
さらに治療に健康保険さえ適用にならないような、

国に窮状を訴えても訴えても、

当時、実際に脳脊髄液減少症の治療経験もないような医師でほどんど固められた「研究班」の結果待ちだよ。と丸なげされ、

「研究者の医師の先生方にすべて任せてあるんだから、後は知らないよ。
結果がでるまで黙ってひたすら待てよ。」とばかりに
国にすでに3年もほったらかされ、

その「研究者」たちの実態を精査しようともせず、
おまかせ状態の無責任さ。

さまざまな苦しみに耐え切れず、
自ら命を絶つ脳脊髄液減少症患者の気持ちが、
拷問のような生き地獄のような症状の中で
かろうじて生きている患者の現状を
理解してもらえるのでしょうか?


毎日毎日の過酷な症状を抱え、
ただひたすら耐え続け救助を待ち続けるような心境の
多くの脳脊髄液減少症患者を

何年も何年も
国にほったらかされてきたような、

こんなひどい特殊な経験をした、患者の気持ちを

理解できる国会議員さんなんてはたして今回の国会議員さんたちの中に、
いるのでしょうか?

いくら、難病や薬害を経験した議員さんであっても、、
脳脊髄液減少症患者の置かれている立場や気持ちがどこまでご理解いただけるのか?
私は非常に不安です。


本当にいまさらですが、

脳脊髄液減少症から回復した患者さんから、
いろいろな意味でゆとりと元気のある元患者さんに、
ひとりぐらい国会議員さんになってもらいたかったです。

そうすれば、もう少し、脳脊髄液減少症患者の気持ちが
ダイレクトに国に届いたかもしれません。


街頭に立ち、声を張り上げ、演説し、
ハードな選挙運動も、議員活動もできるまでに、
回復した脳脊髄液減少症患者さんは
日本に一人もいないのでしょうか?

脳脊髄液減少症の理不尽さ、残酷さ、ひどさを本当に知っているのは
自分に落ち度のない事故でこの後遺症を負いながら、
病名がわらかないまま、

少なくとも10年以上苦しんだ経験のある患者さんだけだと思っています。

いえ、時間だけではなく、起き上がれないほどの症状、
気もくるわんばかりの精神症状、恐ろしい高次脳機能障害、無理解、
医師による無理解など、

脳脊髄液減少症の多彩で複雑な症状とそれがもたらす、二次的三次的な
社会的、精神的、経済的被害まで経験して人でないと

この病の全貌や深刻さは絶対理解できないと思うのです。

起き上がれないような激しい症状や、ものすごい耐え難い数々の身体症状、精神症状、
精神的な怪奇な症状、
恐ろしい高次脳機能障害などの、

脳脊髄液減少症患者のさまざまな症状や、二次的に発生して患者を責め上げる
無理解や経済苦、人間関係の崩壊、家庭崩壊など、この病気がもたらす
複合的な苦しみ、理不尽さを
フルコースでたっぷりと経験した人でないと、

脳脊髄液減少症の真の怖さ、恐ろしさ、理不尽さは
理解できていないと私は思います。

真の恐ろしさを経験しないですんだ人たちだから、
簡単に「死なない病」だなんていえるのです。


一部の脳脊髄液減少症患者さんたちから、

「脳脊髄液減少症は死に至るような病じゃない。」とか
「死ぬような重い病気じゃない。」などの声を
何度も何度も効くたびに、

ああ、「脳脊髄液減少症の恐ろしさ、症状の全貌」を知っている
生き残りの患者が少ないのだと思い知らされます。

脳脊髄液減少症のことを、
発信できる患者はごく限られた一部の患者さんにすぎません。

どくに、重症の人ほど、
治療に結びついていない人ほど、
こうして声をあげてはいないはずです。

声を上げられる環境にある一部の幸運か軽症か、
死ぬような経験をしないですんだ患者たちが、
「死なない病」だと発信すれば、
それがすべてだと誤解される恐れがあります。

私たちは、全体の患者の氷山の一角の、
本当に恵まれた一部の患者であることを忘れないようにしたいものです。

まだまだ水面下では苦しみもがいている人がいるのです。

人知れず、命を落としている人もいるかもしれません。


だから、私は個人的には

脳脊髄液減少症たちが「脳脊髄液減少症では死なない」という言葉は

今後絶対に使ってほしくはないと思っています。

これ以上、世間に「たいしたことのない病」と
誤解されたくないからです

脳脊髄液減少症は
発見治療が遅れたり、放置されれば、少なくとも間接的には
「死に至る可能性もある」病だと思います。
(私の経験からも、この病が引き起こす不慮の事故などでも、殺されてしまう可能性もあると思っています。)

そこのところを
脳脊髄液減少症の患者さんも
医師も、脳脊髄液減少症のことを、
「ほうっておいても死なない病だから」とあまり軽視しないでほしいのです。

だから、研究班の一部の否定派先生方にもそう思われて、
何年もかかっても大丈夫だと、のんびり構えられてしまうのではないでしょうか?

「謝金なんかで死ぬんじゃない!」と
闇金被害者を自殺から救った宇都宮健児弁護士のように、

「脳脊髄液減少症なんかで、死ぬんじゃない!」と言ってくれる弁護士さんや、

「病気の人がどうやって永田町まで訴えにいけるんですか!」と
訴えてくださった、元薬害C型肝炎の新人議員さんのように、

自らは思うように動けない脳脊髄液減少症患者の代弁者として、
国に訴えてくださる、議員さんも弁護士さんも、

必要だと強く感じました。


ついでに書きますが、

昨日、がん患者とその家族や支援者が24時間を交代で歩いて、
がん患者の理解や緩和ケアや早期検診の重要性、
がん患者への支援の重要性を訴える催しがあったようです。

現役脳脊髄液減少症患者は、そんなこともできません。
24時間ウォークどころか、デモも座り込みもできません。

同じように深刻な病でありながら、

世界中に認知されている「がん」と
世界中に認知されていない「脳脊髄液減少症」

その理解と支援のあまりの差と違いに、愕然とさせられました。

西広島タイムス

昨年の24時間リレーの様子

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