脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

久しぶりの涙

2009年10月28日 | 心の葛藤
今日も昨日も、

朝は体中が痛くてつらい朝だった。

腰が痛くて、全身がいたくて、
しばらくはすぐには動けない。

ずるずると床におしりをつけたまま、
移動し、しばらくして、
やっとつかまりながら、立ち上がる。

それでもすぐには動けない。
しばらくまた床にうずくまる、

そして、また、立ち上がる。

そうして、朝の家事をこなさなければならない。

起きてすぐ、動き出せるようになった時期もあったが、
昨日今日は台風の接近のためか、こんな風だ。

こんな中でも、
私は精一杯がんばっているし、

病名判明する以前も判明後も、
症状を抱えながらもなるべく普通に過ごし、

小さな生きるよろこびを日々見つけながら、
生きてきたつもりだ。

至らないながらも、精一杯
家族にも尽くしてきたつもりだ。

でも、
時々、涙することもある。

今夜は久しぶりに泣いた。

自分の置かれている厳しい現実と無力さに、
涙が止まらなくなった。

今年になって、
いろいろつらいことが重なって、
泣くことが多くなった。

今年は
精神的に自分でもかなり危ういと思う時期が
何度かあった。

専門家にカウンセリングや薬の助けを求めかけた時期もあった。

でも、結局は、人間不信で、
自分から、助けを求めるのをやめた。

人に頼らず、
自分でなんとかしようと決めた。

もう、これ以上心が傷つけば、
生きていられないから、
それが怖いから。


夏をすぎて、
少し気持ちも落ち着いてきたし、

今月上旬にあの上陸して大暴れした
大型台風が行ってしまってから、

体調も次第に安定し、気持ちも前向きになってきて、
また、リハビリにも取り組みはじめ、

今までできなかったことや、
新しいことにもチャレンジしはじめた矢先だったが、

今夜はとある血縁の心無い言葉と、

自分の人生の現実の厳しさ、
自分の無力を思い知ったことがきかっけで、

涙が出て止まらなくなった。

久しぶりに、一人、誰もいない居間で、
声をあげてオイオイと泣いた。

もう、死にたいと思った。

こんな自分の人生から逃げたいと思った。

こんな自分がいやでいやで、消えてしまいたいと思った。

病人だろうが、なんだろうが、
大人の患者には、
日常生活のこまごまとしたことや、トラブルや、こなさなければならない課題が
次から次へと容赦なくおかまいなしに押し寄せてくる。

大人としての常識や義務をこなさなければならない。

先月の9月から、一難去って、また一難、
ずっとこんな調子で、精神的に疲れていた。

それでも、
力を振り絞って、頑張ってきた。

こなしても、こなしても、大人としての次から次へと解決しなければならない出来事の連続に、
気が遠くなりそうだった。

たとえば、一番身近な家事一つをとっても、

食事をやっとの思いで作れば、
今度は包丁もなべもおたまも、まな板も洗わなければならない。

皿も、スプーンも箸も人数分洗わなければならない。

食べたと思ったら、もう次の食事の用意。

エンドレスである。

9月のシルバーウイークの5連休はつらかった。

家族がいたから、いつも食事の準備と片付けに追われているような感じで
クタクタになった。

そのほかにも、逃げられない、避けられない行事など
普通の大人なら、肉体的にも精神的にも何の負担にならないようなことが、
私には負担に感じる。

こういう日常生活のことにエネルギーを使うと、
他の気力がうせて、

やるべき最優先事項でさえ、とりかかれなくなる。

できない自分を常に責め続けていると、
ささいなことで、人に対し心がおびえてしまうこともある。

心が疲れてくると、
見捨てられ不安におののくこともある。

家族や、主治医や、理解して助けてくれている人たちや、
同病の患者さんたちから、
見捨てられてしまうのではないかという見捨てられ不安。


脳脊髄液減少症の症状のせいや、
心の症状のせいだけではなく、

長年人に信じてもらえなかったことの
心的外傷のせいもあるかもしれない。

ものすごく人に対して不信感が強い。

心に深い傷を負ってしまっていて、
心は今も傷つきやすく、人になかなか心を開けず、人を信用できない私は、

心を病んでしまっているのはわかっている。
少しずつ、体とともに自分で癒していくしかないと思っている。

病が見逃され、放置され続けると
人は心まで病んでしまう。

だからこそ、この病の早期発見、早期治療が重要だと思う。

私のように、人生への悪影響が及ばないうちに、
心の傷が浅いうちに、

周囲の無理解に、心まで深く傷つけられないうちに。



大人としての義務も課題も満足にできない私。

唯一与えられた家事も最低限しかできない私。

自分を養うための稼ぎを得ることもできない私。


出来ないと泣き喚いたところで、はじまらないし、
最低限のできるところから、解決しなけれなならないのだが、

毎日毎日、頑張っても頑張っても、
まるで累積赤字のように、こなせないことがたまっていく。


子供のように、親に身をゆだねることも、
頼ることもできない。

自分でやるしかないのだが、
それが出来ない自分がわかるから、また悲しくつらくなる。

そんな自分が許せなくなる。

自分のことも精一杯の私だから、

家族にやってあげたくてもできないこともある。
やろうと思っても思ってもできないことも、取組めないこともたくさんある。

過去の私は何でも人一倍頑張りやで
なんでも、がんばってこなしてきた。

こんなに悪化する前は、
脳脊髄液漏れながらも、深夜までがんばって働いていた時期もあった私。

あの日、あの交通事故にあわなければ、
そして、こんな見えない脳脊髄液減少症という後遺症を負わなければ、

どんな人生だったのだろう。

難なくできること、
頑張れたことはもっともっとあったはず。


こんな人間ではなかったはず。

悔しくて悔しくてならない。


過去は忘れて前向きに生きろ、と人はいう。

前向き思考ばかりがもてはやされる昨今。


でも、時には
思い切り過去と現在を嘆いて泣かせてほしい。

もう、充分がんばってきたのだから・・・・・。





脳脊髄液漏れのまま、長く放置されながら生きてきた私。

そして、今も、大人としてできることが、限られている私。

できることもあれば、できないこともある。



なんて情けない女だ、

働けない、稼げない、
なんて無価値な女だ、といつも自分の中で自分を責めている。


でも望んで、こんな状況になったわけではないのに、

そのことは、どれだけの人たちが理解してくれているのだろう。

悲しくてたまらない。


交通事故にあわなかったら、こんな見えない後遺症を負わなかったら、

もう少し、生きることが、楽な人生だったかもしれない。

もっともっと自由に動け、人生を謳歌できたかもしれない。

私という人間を、
誤解されずにすんだかもしれない。


もう少し、私は周囲の人たちにしてあげることが多かったかもしれない。




自分のこともまともにできず、周囲や家族にしてあげられることも、
できることも限られている、情けない自分。

ごめん。

ごめんなさい。

こんな私でごめんなさい。

こんな私で、自分でも自分が情けなく、消してしまいたいくらい嫌いです。

でも、

どうにもならない。

許してください。


そう、一人で心の中で叫びながら、泣くしかなかった。


やっと何年もかけてここまで来た今も、

自分という存在が無価値なものに思え、
もう、こんな人生から逃げたいと思う瞬間が時々くる。

こういう瞬間を、今までも幾度となく、
自分をなだめなだめして、乗り越え、ここまで生きてきた。

でも、また、もういやだと思う瞬間がくる。

脳脊髄液減少症が長く放置されると
被害者の人生も心も人間関係も破壊する。


ひとしきり泣いて、
とある人に気持ちを延々と電話で泣きながら話、
ティシュの箱が半分なくなるぐらい、鼻をかんで、

ようやく、少し落ち着いて、ここに向かって気持ちを吐き出している。

夜遅いのに電話してごめん、でもありがとう・・・。

この人がもし死んだら、私は誰に電話したらいいんだろうと
不安になる。

完全に不安神経症状態だ。


とりあえず生きるしかない・・・・。

とりあえず、

とりあえず、



病人が闘う相手が、「病気」だけの人がうらやましい。

どんなに苦しくても、

大人としての義務を果たすために、

病気以外にも、さまざまなことと闘い、やらなければならない、
こなさなければならない、大人たちがいること、

わかってほしい。


今夜はこんな記事は書くつもりはなかった。

でも、
たまには、後ろ向き思考も、許してほしい。

これがありのままの、脳脊髄液減少症患者の私だから・・・。


また、明日がくれば、また何かがよい方向へ変わるかもしれない。



ああ、もう深夜1時半になる。

お酒でも飲んで寝よう。


明日も、また朝早く起き
動かなければならないから・・・。

(10月28日 未明 記・・・・。日にちもわからなくなる・・・)


コメント (11)
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