脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

誰にも助けてもらえない人たち

2020年12月07日 | つぶやき
脳脊髄液減少症だった私のケースだけど、

脳脊髄液減少症だとわかる前は、主にあちこちの医師に相談し、

脳脊髄液減少症だとわかったあとは、

私は症状が悪化したり、一人ではできない事で困ると、
いつも、ちゃんと地域のあちこちに助けて!とSOSを出してきた。

けれど、

結局助けてくれたのは、自宅から何百キロも離れた主治医だけだった。

地域の人たちは誰も積極的に私にかかわろうとはしなかった。

行政の保健師も、
精神保健センターも、

地域の何人もの医師達も、
病院の地域医療連携室のソーシャルワーカーも、

社会福祉協議会の社会福祉士も、

行政の年金課の職員にも、

地域の社会保険労務士も、

地域の弁護士も、

地域の被害者支援センターの職員にも、
そこの精神科医も、

いくつもの何人ものクリニックの医師も、

近くのヘルパーステーションも、

訪問看護ステーションも、

近くのリハビリ施設も、

障害者の相談窓口も、

高次脳機能障害の相談センターも、 

もともとの性格は積極的な私だから、
必死で助けを求めた。

だけど、私に積極的にかかわり、具体的に手を差し伸べてくれようとする人も、仕組みも、この国には存在しないとわかった。

絶望感の中であきらめた。

脳脊髄液減少症だとわかってからも、
主治医だけを頼って、家族に生活を支えてもらい、自分でリハビリをして、
ここまで生き延びた。

でも、相手から見たら、私が自ら「支援拒否をした」事になるのだろう。

私はもう、この人たちに、相談しても無駄だと感じていただけなのに。

もともと積極的で行動的な私でさえ、誰にも助けてもらえない、人は頼れない、自分でやるしかないと絶望したんだから。

だからね。

なんとなく、中高年のひきこもりの人の追い込まれた状況や
絶望感みたいな気持ちが想像できるの。

「支援を拒否」してるんじゃなくて、それ以前に、あまりの人の冷たさに、繰り返し打ちのめされて、相当、人間不信で絶望してるんじゃないかな?

この国は、世の中に、認知度の高い病名や障害名が、医師によってつけられた人には、

さまざまな医療サービスも、福祉サービスも、生活支援のヘルパー制度も整っているけど、

地域の医師に、医療や福祉の支援が必要な人と、認められない分野の人たちは、

どんなに困っていても、
どんなに医療や福祉の支援が必要な状態が現実にあっても、
積極的にには支援のレールには乗せてもらえない。

それどころか、

みんなに相手にされない、見て見ぬふりされ、やっかいもの扱いされる。

これが現実。

今は、「認知症」と言われ、
介護保険でさまざなサービスで支えられてている人たちも、

ちょっと前まで、「痴呆症」とか「ボケ老人」と言われてた。

それよりもっと昔は、
病気でそうなっているのに、
さげすまれたり、厄介者扱いされていた時代があったはず。

認知症で脳が病んで、
一人で着替えられなくなったり、一人で食べられなくなったり、料理がてきなくなつたり、入浴できなくなったりすると、

介護保険も、デイサービスもない時代は、
家族にも冷たくされていた人もいただろう。

今は、高齢化に伴い、認知症の人の人権を守る動きや、医療福祉サービスも整ってきた。

けれど、そういう社会が支える制度が全くない人たちが今も存在する。

私のような、地域の医師にも、理解がない見た目なまけものにしか見えない脳脊髄液減少症患者とか、

親を亡くした
ひきこもりの中高年の人とか。



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