脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

病的ひきこもりと、自然なひきこもり

2020年12月09日 | つぶやき
昨日、
NHKのひきこもりキャンペーンの
#こもりびとサイトの当事者の声を読んだ。

で、気づいた。

ひきこもりの定義では、半年以上、家や部屋にひきこもっている人としているけど、

同じひきこもりでも、人間の当たり前の反応としての当然のなりゆきでのひきこもりと、

自然なひきこもりが、長引いてそのままなりゆきのひきこもりになっているのと

そうではない、躊躇なく緊急医療福祉支援が必要な病的ひきこもりと

いくつかのパターンがある事に。

何かショックがあったり、大切な人が亡くなって、半年一年、外にあまり出なくなって家にひきこもったとしても、
きちんと食べて、寝て、トイレにいって、お風呂に入れているなら、
私はそれは人としての自然な心因反応だと思う。

だけど、電気やガスや水道が止められ、ゴミで埋もれた家にひとりいるのは、自然なひきこもりとは言えない。

それなのに、".ひきこもり"とひとまとめにして、支援の方法が一律では、うまくいかないのも当たり前だと思った。 

対応を人により変えていたとしても、死なせてしまっているという事は、当事者の「支援拒否」のせいではなく、支援者側の
「支援失敗」のせいだと私は思う。

ひきこもりのパターンを見抜き、
パターンごとの適切な支援をしないと、助かる命も助けられないのは当然だ。

特に、誰も家族がなく、電気やガスや水道が止められた中で、命の危機が迫っているのがあきらかに予測できる病的なひきこもり状態の人には、

ただ様子を見に行くだけとか、食料を置いてくるだけとか、本人が支援を断るからといってそのまま帰ってくるというのでは、「支援」とは言えないと思う。

もし、法的に、強制的に命を救う支援ができないなら、法律を変えないと、
ひきこもり死は防げないと思う。



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