「世に棲む日日」の終盤に、高杉晋作が、人間の人生はトータルで三銭のプラス、というようなことを言います。
村上春樹の「国境の南、太陽の西」を読んでいても、人生とは何だろう、とたびたび考えさせられます。
昨日、パリのマルシェを歩いていて、非常に活気に溢れていて、活き活きと魚を売っている女性(私と同年代)を見ていてほほえましく思ったのですが、生きるということは大変です。毎日食事を作らなくてはならないし、後片付けもしなくてはならない。そして、私も、それらの活き活きしたマルシェの人々も、皆いずれは消え去る。
毎日食べて、毎日片づけて、でも死んでしまうと、それらの営みも消え去ります。
これまで無数の人が生まれて死んで、その結果が今の世の中です。見方によっては、人間の人生はトータルでマイナスなのかもしれません。人類が活動しなかった方が、地球は美しいままだったかもしれない。
そう考えると、「三銭のプラス」とは絶妙の指摘であって、いろいろと考えさせられます。
両親や先祖の皆様のおかげで生を与えられ、人生を全うして死にます。
三銭のプラスとは何なのでしょうか。
内村鑑三の「後世への最大遺物」も考察の参考になります。
結局残るのは、広義の思想、インフラ、であって、それこそが人間がこの地球で生きていくために必須の、命がけの取組みなのでしょうね。大石久和先生の言葉をお借りすれば、大地に人間が一所懸命働きかけて、恵みを享受させていただく、そのためのインフラです。
高杉晋作の辞世の句、「おもしろき こともなきよを おもしろく」も、本質です。
プラスと思えばプラス。捉え方次第です。内村の言う「高尚なる勇ましい生涯」を全うすること、ですね。
今日は家庭の用事に対応しつつ、論文執筆作業を進めて、セーヌ川をジョギングしたいと思います。