ポンチキさも極まりますし。
皆様におかれましては変人に思われないよう、
心の奥にそっと仕舞っておいてもらえたら......
という感じのお話でしょうか。ただ、
「間違いないことだろうな......」
という実感は確固としてありまする。
そんなこんなの徒然話しはまた次回にでも。
今日のところは一旦、おやすみなさいです。(^^)
——————などと前回記事の終わりに記していましたので、
今回はその続きのお話なぞを。
「金峯山寺徒然(きんぷせんじつれづれ)」
という感じでしょうか。
ええ。ええ。(^^)
奈良県は吉野の名刹「金峯山寺(きんぷせんじ)」。
今に伝わる伝承では、
かの役行者(えんのぎょうじゃ、役小角)さんが開いた
寺院とされています。
行者さんは全国の霊山を開山した後に、
熊野から大峯山脈の稜線伝いに吉野で修行をすること33度。
最後の締め!として金峯山(きんぷさん。大峯山)の
山上ヶ岳の頂上で千日間の参籠修行をしていたのだそうです。
その時、行者さんの
「苦しみの中に生きる人々を救える御本尊を賜りたい......」
という祈りに応えて釈迦如来、千手千眼観世音菩薩、
弥勒菩薩の三仏が表れ。
行者さんはその三仏の柔和な姿を見て
「この姿のままでは荒ぶ衆生を済度しがたい......」
とも思い、さらに祈念を続けたのだそうです。
すると、天地が鳴動し、山上の大盤石が割れ裂け、
雷鳴と共に忿怒の形相荒々しいお姿の御仏が出現したのだと......
その御仏が金剛蔵王大権現(こんごうざおうごんげん)であり、
行者さんは
「これぞ末法の世を生きる人々の御本尊なり」
と、その姿を山桜の木に刻んでお祀りされたとのこと。
これが金峯山寺の始まりであるとともに、
修験道の起こりでもあると伝えられています。
そして、巨大な御本尊の3仏はこの伝承により、
それぞれ釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩が権現した姿
ともされていて、
過去、現在、未来の三世にわたって人々を救済する......
という意味が込められているのだそうです。
そんな秘仏の御開帳期間は今年は1ヶ月半ほど。
僕は前回記事で記したお守り「五嶽神鏡」を新しくしようと、
ねーさんとみゆきちゃんとYUさんにも声をかけて
金峯山に伺うことにしました。
ただ、最終的にみゆきちゃんはスケジュールが合わず。
僕とねーさんとYUさんの3人での参詣とあいなりました。
実は、YUさんは以前、
僕に勧められてこの地の秘仏に会いに来たことがあり。
その時は蔵王権現さんと向き合った時に厳しくも優しい!?
お言葉をいただいて。
そのありがたさに一人涙をこぼしまくっていた......
なんていうこともあったようで、今回は2回目の参詣。
ねーさんに関しては初めてなのでぜひ行ってみたい!
とのことでした。
そんな僕らが伺った時は、ちょうど
「役行者(えんのぎょうじゃ)さんのお護摩」
が始まるところで、僕らも一緒に参加させていただきました。
1時間弱にも及ぶ長いお護摩修行だったのですが、
僕らにはとても貴重な体験となりました。
三像の前に設らえられた、
像と一人で向き合うことができる間仕切り空間にもじっくり、
ゆったりと座らせていただけて。
心穏やかな時間をたっぷりと過ごすことが出来ました。
そして、そんな権現像さん達に会いに行く道すがら、
僕はねーさんにこんなことを投げかけていたのです。
「ねーさん。
俺さ、今回ねーさんに聞いてみたかったことがあるんだよ。
ここの蔵王権現さんて不動明王さんに似ているところがあるじゃん。
形相もそうだし、体も青いし。
でね、違うということもわかる。
大きさもチカラも不動さんをさらに強力にしたような感じもあるし。
異質なところは確かにある。
でさ、となると、だよ。
真ん中の権現さんは不動さんの本体であるミナカヌシさんじゃね?
両脇はスサノオさんとアメノトコタチさん。
以前、出雲大社の遷宮の時に出た日輪を見た時に
閃いていたことなんだけどさ。
あの日輪の三箇所の虹部分と同じ並びで
作られているんじゃないかと思うんだ。
役行者さんは実はその三神を感得したんだけど、
時代との合わせもあるから、
皆に受け入れられやすいように少し変えたんじゃないかと。
きっと。
どう?実際。
それ、神様に聞いてもらえたら嬉しいんだけど。
ねーさんの神様ってさ、まさにそのアメノトコタチさんじゃん。
ミクネの神。
YUさんはスサノオさんとの縁も深いし。
このタイミングで聞いたら教えてくれるかも?とか思ってんの」
ねーさんは早速、
必殺の神様振子トークで聞いてくれて。
こんな返答でした。
「そーだって。
よくわかったな、だって。
UZMETの言うとおり、真ん中がイラタの神で、
左がスサノオで右が自分だって」
「やっぱり!
まじか!
せーーーーかい!
やった!
オレってすげー!」
と、これが吉野、
金峰山寺の金剛蔵王大権現さんのお話。
あくまで、僕さんのポンチキセンスと、
ねーさんのクレイジートークのお話ですので。
違和感のある方は軽く聞き流しておいていただけたらと。
ええ。ええ。
ま、以前記した空海さんの
「光の玉が口に飛び込んできて悟りを開いた......」
に対する独自解釈に次ぐ爆弾解釈ですけども。
僕さんはこの地の蔵王像をそんなふうに捉えているわけなのです。
その後、像さん達ともじっくり向き合ってお話しもしましたし。
確かなことだという確信はあります。
ええ。ええ。
その後向かった修行門。
この先にあるのは、
今回僕さんが個人的にどうしても行きたかった
「西行庵(さいぎょうあん)」
名僧「西行」さんの住まわれていた庵。
吉野観光エリアの最奥地、奥千本のさらに奥にあります。
軽い登山。
まさに修行。
ねーさん玉砕。ブロークンハート。
つきまちた。
感動。感激。
お酒もお持ちいたしましたのです。
どぞどぞ。
お逢いできてよかったですー♪(^ν^)
実は、僕さんがココに訪れたのには訳がありまして。
それは西行さんが詠んだ(よんだ)有名な歌に関係しています。
以前も「おかげ横丁」という記事で記したことがありますが、
今一度記しておきますと.......
「なにごとの おわしますかはしらねども
かたじけなさに なみだこぼるる」
この時は、
この西行庵から直接向かいたかったところがありまして。
そのお話は、また、新年に記せればと思っています。
ども。ども。(^^)
☆この記事の理解が深まる関連過去記事さん達☆
「不動明王」
「続、不動明王」
「続々、不動明王」
「続々々、不動明王」
皆様におかれましては変人に思われないよう、
心の奥にそっと仕舞っておいてもらえたら......
という感じのお話でしょうか。ただ、
「間違いないことだろうな......」
という実感は確固としてありまする。
そんなこんなの徒然話しはまた次回にでも。
今日のところは一旦、おやすみなさいです。(^^)
——————などと前回記事の終わりに記していましたので、
今回はその続きのお話なぞを。
「金峯山寺徒然(きんぷせんじつれづれ)」
という感じでしょうか。
ええ。ええ。(^^)
奈良県は吉野の名刹「金峯山寺(きんぷせんじ)」。
今に伝わる伝承では、
かの役行者(えんのぎょうじゃ、役小角)さんが開いた
寺院とされています。
行者さんは全国の霊山を開山した後に、
熊野から大峯山脈の稜線伝いに吉野で修行をすること33度。
最後の締め!として金峯山(きんぷさん。大峯山)の
山上ヶ岳の頂上で千日間の参籠修行をしていたのだそうです。
その時、行者さんの
「苦しみの中に生きる人々を救える御本尊を賜りたい......」
という祈りに応えて釈迦如来、千手千眼観世音菩薩、
弥勒菩薩の三仏が表れ。
行者さんはその三仏の柔和な姿を見て
「この姿のままでは荒ぶ衆生を済度しがたい......」
とも思い、さらに祈念を続けたのだそうです。
すると、天地が鳴動し、山上の大盤石が割れ裂け、
雷鳴と共に忿怒の形相荒々しいお姿の御仏が出現したのだと......
その御仏が金剛蔵王大権現(こんごうざおうごんげん)であり、
行者さんは
「これぞ末法の世を生きる人々の御本尊なり」
と、その姿を山桜の木に刻んでお祀りされたとのこと。
これが金峯山寺の始まりであるとともに、
修験道の起こりでもあると伝えられています。
そして、巨大な御本尊の3仏はこの伝承により、
それぞれ釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩が権現した姿
ともされていて、
過去、現在、未来の三世にわたって人々を救済する......
という意味が込められているのだそうです。
そんな秘仏の御開帳期間は今年は1ヶ月半ほど。
僕は前回記事で記したお守り「五嶽神鏡」を新しくしようと、
ねーさんとみゆきちゃんとYUさんにも声をかけて
金峯山に伺うことにしました。
ただ、最終的にみゆきちゃんはスケジュールが合わず。
僕とねーさんとYUさんの3人での参詣とあいなりました。
実は、YUさんは以前、
僕に勧められてこの地の秘仏に会いに来たことがあり。
その時は蔵王権現さんと向き合った時に厳しくも優しい!?
お言葉をいただいて。
そのありがたさに一人涙をこぼしまくっていた......
なんていうこともあったようで、今回は2回目の参詣。
ねーさんに関しては初めてなのでぜひ行ってみたい!
とのことでした。
そんな僕らが伺った時は、ちょうど
「役行者(えんのぎょうじゃ)さんのお護摩」
が始まるところで、僕らも一緒に参加させていただきました。
1時間弱にも及ぶ長いお護摩修行だったのですが、
僕らにはとても貴重な体験となりました。
三像の前に設らえられた、
像と一人で向き合うことができる間仕切り空間にもじっくり、
ゆったりと座らせていただけて。
心穏やかな時間をたっぷりと過ごすことが出来ました。
そして、そんな権現像さん達に会いに行く道すがら、
僕はねーさんにこんなことを投げかけていたのです。
「ねーさん。
俺さ、今回ねーさんに聞いてみたかったことがあるんだよ。
ここの蔵王権現さんて不動明王さんに似ているところがあるじゃん。
形相もそうだし、体も青いし。
でね、違うということもわかる。
大きさもチカラも不動さんをさらに強力にしたような感じもあるし。
異質なところは確かにある。
でさ、となると、だよ。
真ん中の権現さんは不動さんの本体であるミナカヌシさんじゃね?
両脇はスサノオさんとアメノトコタチさん。
以前、出雲大社の遷宮の時に出た日輪を見た時に
閃いていたことなんだけどさ。
あの日輪の三箇所の虹部分と同じ並びで
作られているんじゃないかと思うんだ。
役行者さんは実はその三神を感得したんだけど、
時代との合わせもあるから、
皆に受け入れられやすいように少し変えたんじゃないかと。
きっと。
どう?実際。
それ、神様に聞いてもらえたら嬉しいんだけど。
ねーさんの神様ってさ、まさにそのアメノトコタチさんじゃん。
ミクネの神。
YUさんはスサノオさんとの縁も深いし。
このタイミングで聞いたら教えてくれるかも?とか思ってんの」
ねーさんは早速、
必殺の神様振子トークで聞いてくれて。
こんな返答でした。
「そーだって。
よくわかったな、だって。
UZMETの言うとおり、真ん中がイラタの神で、
左がスサノオで右が自分だって」
「やっぱり!
まじか!
せーーーーかい!
やった!
オレってすげー!」
と、これが吉野、
金峰山寺の金剛蔵王大権現さんのお話。
あくまで、僕さんのポンチキセンスと、
ねーさんのクレイジートークのお話ですので。
違和感のある方は軽く聞き流しておいていただけたらと。
ええ。ええ。
ま、以前記した空海さんの
「光の玉が口に飛び込んできて悟りを開いた......」
に対する独自解釈に次ぐ爆弾解釈ですけども。
僕さんはこの地の蔵王像をそんなふうに捉えているわけなのです。
その後、像さん達ともじっくり向き合ってお話しもしましたし。
確かなことだという確信はあります。
ええ。ええ。
その後向かった修行門。
この先にあるのは、
今回僕さんが個人的にどうしても行きたかった
「西行庵(さいぎょうあん)」
名僧「西行」さんの住まわれていた庵。
吉野観光エリアの最奥地、奥千本のさらに奥にあります。
軽い登山。
まさに修行。
ねーさん玉砕。ブロークンハート。
つきまちた。
感動。感激。
お酒もお持ちいたしましたのです。
どぞどぞ。
お逢いできてよかったですー♪(^ν^)
実は、僕さんがココに訪れたのには訳がありまして。
それは西行さんが詠んだ(よんだ)有名な歌に関係しています。
以前も「おかげ横丁」という記事で記したことがありますが、
今一度記しておきますと.......
「なにごとの おわしますかはしらねども
かたじけなさに なみだこぼるる」
この時は、
この西行庵から直接向かいたかったところがありまして。
そのお話は、また、新年に記せればと思っています。
ども。ども。(^^)
☆この記事の理解が深まる関連過去記事さん達☆
「不動明王」
「続、不動明王」
「続々、不動明王」
「続々々、不動明王」
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